第24話
猫カフェの猫のような人生を歩んできたと思う。与えられた作られた綺麗な空間で過ごし、適応し、次から次へとくる人間たちに自然体で愛嬌のある振る舞いをする。それはそれほど難しくはなくて案外すんなりと出来るものだ。人を見ればどんな接し方をすれば喜ぶのか、なんとなくは想像できた。そしてその想像はたいてい当たる。適度に愛想を振りまき、そして適度に自分のしたいことをする。それが山岸拓哉の生き方だった。
毎朝の始業前の学校は忙しい。毎朝友達に挨拶をして、昨日あったテレビなんかの話をする。そして今日の授業やテストなんかの情報を擦り合わせて確認する。その後の席について始業ベルが鳴るまでの僅かな間が、唯一1人になれて落ち着く時間だった。
学校には情報が多い。一クラス50人くらいの人間がひとまとまりになって同じ部屋に所狭しと並ぶ。その光景は見慣れたものだが、パッケージ化されたお菓子の詰め合わせのような感覚を感じた。その50人が好き勝手色々な話題を話すのだ。昨日のテレビの話、今度のライブの話、好きな芸能人の話、明日発売の漫画の話、最近出た新曲の話、好きな人の話、かっこいいと思う先輩の話、この前の先生の言動の話。様々な話が同時に飛び交う。それはすごく身近な話ばかりで、いつどこで自分の話が登場するかわからない。
山岸拓哉は自分が話題に上がることを一番に気にするタイプだった。人の話に敏感で、噂されることをあまり好きにはなれなかった。噂話というのは、たいていが純粋な好意の持った話ではなく、妬みややっかみ、軽蔑などが入り混じった話であることが多いからだ。どこかで噂されているというのは、どこかで笑われていることと等しかった。だから拓哉は噂話が最も話される時間、始業前の休みには特に気を使っていた。
ざわざわとした教室内は、生温い旋風がゆっくりと渦巻くように教室に入り組んだ流れを作り出している。拓哉の耳に届くのは無数の話し声だ。断片的には聞き取れるが、意識して何を話されているのかを理解するのには限界があった。こんなときに聖徳太子になれたらいいのに、と拓哉はいつも思う。同時にいくつもの話がききとれたら、漏らすことなく噂話を理解できるだろう。そうしたら、なにかを話されているんじゃないかという恐怖はなくなる。把握していれば噂話をされていても心で受け止めることが出来る。そんなことができればいいのに、と拓哉は常日頃考えていた。
始業ベルが鳴り響く。それと同時に席に着く生徒たちはいまだ会話をやめることはしない。先生が教室にくるまでの僅かな時間でも噂話を止めることはなかった。拓哉は聴いている。無数に溢れる言葉の数々を、沢山の口から吹き出す大量の音たちを。煙草の煙のようにもくもくと湧いてくる言葉たちがクラスの人達の頭上に浮かび、ぎゅうぎゅうと圧迫して互いを押し出している。そして部屋一杯になった言葉たちは行き場をなくし窓の隙間から溢れていく。この瞬間が拓哉が一番集中する時間だった。数学のテストの時間よりももっと深く意識を向けるのだ。
「おーいHR始めるぞー、日直、号令」
「起立、礼、着席」
日直の号令でさっと静まった教室が一体となって一礼をする。軍隊などに比べれば、比べ物にならないくらいぐだぐたな適当な挨拶だったが、それでも拓哉には50人が纏まって動くその一体感が嫌いではなかった。与えられたものの中でうまくやっていくことが拓哉の得意だった。猫のように自由にやることとやらないことを取捨選択し、適度に過ごすことが拓哉の目標でもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます