神殺し

* * * * *


 背もたれに身を任せながら耳を澄ませていると、遠くにチャリオットの車輪の音が鳴り響くのを聞いた。閉じていた目を開けて顔を上げる。何台の戦車が一斉に動き出したのだろう。辛うじて聞こえるだけだが、かなりの台数だとは何となく想像がついた。


「獅子狩りね」


 背後に掛かった声と同時に、手が俺の髪へと伸びてくる。香油の甘い匂いが鼻孔を掠め、彼女の細い指が髪をそろりと撫で上げるのを感じていた。


「獅子狩り?」

「ナイルの氾濫が来たでしょう?その後に国の民の繁栄を神に祈るために王家が獅子を狩る。父も行く、神官も将軍たちも皆総出で行われる、大切な行事のひとつ。皆出て行くから王宮内はほとんど空っぽよ」

「ああ……なるほど」


 だからこんなに車輪の音がするのか。言われてみれば去年もそんな行事があった。あまり興味も沸かず、適当な相槌で終わらせると、会話は当然のごとく途切れる。


「ねえ、ヨシキ」


 少しの間があってから、彼女が口を開いた。


「ん?」


 何と無しに返事をした。それなりの抑揚は付けながらも気が抜けたような声色は消せていない。


「どうして話してくれないの」


 藪から棒に俺の顔を覗いた彼女がそんな疑問を投げてきた。


「ねえ、あなたは一体何を知ったの」


 こちらが目を瞬かせると、彼女は機嫌を悪くしたように怪訝そうな顔を作る。


「王女が亡くなってからあなた変よ。ぼうっとして何かを落としてきたみたい」


 あの時の話だと、腑に落ちた。すべてが歴史通りだったのだと絶望を知って、俺は彼女に慰められながら何も教えてはいない。


「王妃に同情して、ってだけじゃないでしょう?あの時を境に何かを知ったんだとしか思えない。教えて、何が分かったの」


 彼女に言って、何になるだろうか。

 詳しくは知らないが、あの男は若くして死に、やがてエジプト王家は混乱の渦に巻き込まれる。おそらく彼女も同じ歴史に飲み込まれ、消えていく。これから来る未来はすでに決まっているのだと言って、信じてくれたとしても王家であることを誇りとする彼女には絶望や落胆を与えるだけだろう。未来から連れてこられた俺も、ここで生まれ育った彼女も、まだ長い未来のあるシトレにさえ決まった未来があって、それを知りながら抗えることはない。

 人は自分の未来を知らないからこそ多くを夢見、そのために生きようとするものだ。きっとそれは冒険に似ている。そこに生きる未来を知らないすべての人を例えるのなら、彼らは全員ファンタジーに出てくる、苦難を乗り越えながら前に進む勇者で、何かをすれば道は開けると思っているだろうし、やらなければ開けないと信じている。自分の未来が切り開けたと思えば高揚感を感じ、駄目だと思ったら気を落とす。それが決められた道だと知らずに自分で決めたことだと意気揚揚と進んでいく。

 知ってしまった俺にはそれがない。俺がいる世界は、まるで何をしても結末がバッドエンドにしかならないゲームのようだ。それが現実であるのだから尚更たちが悪い。知らない頃は未来が分かったらと願った時もあったが、それは決して良いことではない。分からないからこそ、希望を胸に生きていこうと思えるのだ。知ったらそうは思えない。


「……教えてはくれないのね」


 抑揚の無くなった声の主を、俺は見なかった。見たら、すべてを吐き出してしまいそうだった。


「知らない方がいい」

「酷い人」


 彼女は不貞腐れたような目で俺を見る。そんな眼差しを浴びて俺は腰を浮かしながら笑った。


「構わないよ」

「その覚ったような顔、腹が立つわ」

「人には知るべきことと、知らない方が良いことがある」

「あなたは知っているのに私は知らない方が良いってわけ。同じ人なのに。何が違うの」


 俺たちの決定的な違いは、間に流れる数千年の時間だ。互いに、本来なら出会うことない存在だった。俺はこの人を、ただの胸像でしか知らずに終わっていたはずだった。


「知らぬが仏ってこともある」

「何よ、ホトケって。はぐらかさないで」

「知らない方が幸せってことだ」


 彼女の調子を崩すには、彼女が知らない言葉を吐き並べるに尽きるが、むず痒い。もしこの問い詰めてくる相手が憎い相手だったなら、俺は迷わず暴露していただろうに。


「あなたが3300年後の未来から来たってことは信じてる。前もそう言ったわよね?」

「言った」

「私とシトレと一緒にこのまま生きるとあなたは言った。あなたが王妃をどれだけ思っていようが私はそれで構わないと思った」

「ああ」

「そういう間柄の私に、どうして言ってくれないの」


 言わば、ここにいる彼女は俺の命の恩人だ。そしてこうして暮らしている以上、夫婦と言ってもいいくらいの関係なのだと思う。弘子が消えないとは言え、目の前に立つこの人のことはとても大事に想う。気高く、絶世の美を持っていながら俺と同じような弱さを持つ人に、好きだと言っていい感情を抱いている。だからこそ変なことを言って、惑わしたくはない。絶望など与えたくはない。


「放っておこうとも思ったわ。でもそのしみったれた顔が気に障る。ただ事じゃないと分かる。なのに何故教えてくれないの。相談してくれないの」

「シトレはどこに?」


 別の話題を唐突に出した俺に、彼女は腰に手を当て、身を乗り出した。


「この私をはぐらかすつもり?」

「そういうことだな」


 睨みつけるような瞳に、俺は黙って見て返す。間を置いて、彼女は落胆したように俺から目を逸らした。諦めが彼女と俺の間に漂っていく。何も言わずに彼女を見下ろしていれば、整った形の唇が動き出す。


「……シトレなら奥で寝てるわ」


 溜息まじりの返答に、そうかと返して俺は彼女の隣をすり抜けて奥の部屋に向かった。

 奥へ足を進めながら、言っても良かったのかもしれないとも思う。大切だから言わないのだと。どうしようもなく落ちぶれた俺を支えてくれたこと、醜い部分を目の当たりにしながら見捨てずに拾ってくれたこと。どれだけ感謝してもし切れないのは彼女だ。そうでありながら言わないのは、俺の唯一残されたプライドなのだろう。

 ここまで思って、自分で嗤ってしまった。こんな人間にまで堕ちても尚、そんなものを持っているのか。プライドを持てるほどの大層な人間でもあるまい。


 くり抜かれた壁を越え、シトレが眠っているだろうと寝室を覗くと、いつもの場所にその子はいなかった。慌てたのも束の間、見つけた姿に思わず声を上げた。寝台の上の台を幼い手で掴み、まだあどけない二本の脚で寝台を踏みしめて立っている。四つん這いではいはいしか出来ていなかったシトレが。名を呼ぶと、その子は振り向いて俺を見つけ、声を上げて緩やかに笑った。


「ティティ!……ティティ!」


 つい先ほどのことなど一気に吹き飛び、俺は半ば叫ぶように彼女を呼んでいた。


「シトレが!」


 何事かとほとんど小走りでやって来た彼女も、シトレを見た途端表情を一変させる。


「ああ!まあ!」


 彼女が嬉しそうに目を輝かせ、声を漏らした。シトレは俺たちを見るなり、にっこりと笑ってこちらに片手を伸ばした瞬間、バランスを失ってすてんと座り込んでしまった。それでも何がおかしいのか、シトレはきゃっきゃっと笑っている。

 元気で活発な子だ。名も知れない母親が望んだ通り、笑顔を絶やさない子に育っている。爛々と目を瞬かせ、口を一文字に力強く結びながら、何度も挑戦してはへたりと座り込むことを繰り返し、立つに近い体勢になるたびに一段と嬉しげな声を響かせた。


「ああ!凄い!凄いわ、シトレ!」


 駆け寄るようにして彼女がその子を抱き締めた。


「いつの間にできるようになったの!」


 子供特有の笑顔がひどく愛しい。それを抱き締め、頬を摺り寄せて心から喜ぶ彼女の笑顔は本当に美しいと思う。その嬉しい様子の中に切なさが入り混じっているのは、シトレより幼くして死んだ弘子の子供を思ってだろう。彼女は子供に対しての思い入れが強いから。


「さあ、シトレ。もう一度やって見せて」


 そう言って腕を解くが、シトレは甘えるように彼女に抱きついたまま。立とうとすることはもう飽きたようだった。にこにこしながらティティに手を伸ばしている。


「歩けるようになるのももう少しかしら」


 抱き上げてそんなことを彼女が呟いた。愛おしげに手で小さな頭を撫で、「ねえヨシキ」とこちらを見て微笑む。


「……きっと」


 本当に、この子の未来も決まっているのだろうか。どこまで生き、どこで死に、どんな生き方をしていくのかも。すべて決まってしまっているのだろうか。変えることはできないのか。


「失礼いたします」


 気おくれしたような呼びかけに振り向くと、新人の女官がそこに立っていた。


「どうした」


 問いかければ、女官が少し戸惑うようにしながら口を開いた。


「外でナクトミン様がお待ちです」




 何かあるたびにこうやって呼び出してくることをうんざりだと思ったことは無い。俺がアイ側の情報を詳しく把握できるのは、ナクトミンが情報源となってくれているからだ。あの男に何の魂胆があってのことかは知らないが、それはどうでもよかった。


「やあ、ヨシキ」


 いつものように柱に寄り掛かって、何でも知ったような顔をしているかと思えば今日は違った。狩りにでもいくような、それでいて正装に限りなく近い身なりで背中には矢筒を備え、右手に握るは装飾を施した長い弓。いつもなら脇に挟んでいるメネスもしっかりと頭に被っているし、エジプト人特有の目元の化粧も忘れていない。


「アイ様がファラオの獅子狩りについて行くよ」


 俺の反応など気にせずに、ナクトミンはさらりと告げた。


「知ってる」


 恰好を見れば一目瞭然だろう。ティティの話からすれば、今日行われる獅子狩りはそもそも神へ捧げるものだ。いつもの恰好であるはずがない。


「獅子狩りには毎年アイも神官たちもついて行くんじゃないのか?普通だろう」

「そうだね。でも普通じゃないことも仰った」


 言わんとしていることが掴めず俺が眉を顰めると、相手は少し間を置いてから言い放つ。


「『神』を殺し、自らが『神』となる時が来たと」


 息を呑んで、ナクトミンを見返した。


「独り言みたいだったけど。この神殺しの意味、ヨシキはどう考える?」


 神殺し。神が何を表しているかなど、言わずと知れている。この時代、この国における神はただ一人。王だけだ。


「……殺す、つもりなのか」


 あの男を。弘子が愛し、俺が憎むあの男を。

 口の中が異様に渇き、声を低く掠れさせた。自分の鼓動が一段と変に高鳴った気がした。そんな俺を尻目にナクトミンは満足げにくっと喉を鳴らす。


「やっぱり僕とヨシキは似てるね。思考も、行動も」


 本来なら何がどう似ているのか聞きたいところだが、それとは別の方に俺の興味は悪寒と共に迫っていた。


「直接聞いたのか、王を殺すと」

「それっぽい感じを醸してただけだし、詳しくは分からない。でも僕もヨシキと同じ考えに至った」


 アイが王を殺そうしていると。

 あの男にとっては、我が子を失ったばかりで精神的に衰えているだろう中での狩りだ。隙を狙って何かをするというのなら持って来いの機会となり得る。


「今から出発なんだ。連れて行ってあげてもいいけれど、どうする?」


 まだ謎とされるツタンカーメン王の死。事故死説、殺人説。今の状況で浮かぶのはこの二つ。それも俺が年代測定器の誤差を考慮して叩き出した死亡年齢と時期もちょうど合致する。

 死ぬと決まった訳ではないが、この狩りで何かが起こるのではないか。時は来たのかと背筋が凍る思いがした。

 見届けようか。歴史の真実を、この目で。


「……行こう」


 気づけばそう返していた。あの憎い男の最期を、見ることになるかもしれない。

 そんな俺に「そうこなくちゃ」と正面の男は口端を引き上げた。

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