第六話 まかり通る非道――正す者は有りや無しや?

 ずっと――無言だった。




 昏倒し、ぐったりとメイベルに身体を預ける若い男を家まで送り届ける間も、気落ちした一行の様子を心配そうに見つめている鍛冶職人ガンスミスの店先を通り抜ける間も、灯りもなく待つ者もいなくなってしまったキャンディアの住むあばら家にようやっと辿り着いても、四人のうちの誰一人として言葉を発しようとはしなかった。


 だが心の内では皆一様に、いまだぐるぐると渦巻く感情の波に戸惑い、いきどおり、迷っているようだった。




(何て……ひどいの……)


 その一人、ブリルは珍しくむっつりと考えている。


 いや、考えることが沢山ありすぎて、言葉に出せないくらいだった。




(仕方なかったのに……良い人だったのに……どうして死ぬまでの目にわされないといけないの?)


 フラウドリン、と言っていたっけ。


 若い男がそう呼んでいたのを覚えている。あの門番はきっと、ブリルたちにもこういう事態が起こりうることを予期していたからこそ忠告したのだろう――このオールドバニーでは、ルールは絶対だ、と。


 だが彼自身、あの時すでにそのルールを破っていたのだ。ルールは親よりも、兄弟よりも大事――そうも言っていた筈なのに。しかし、彼にとってあの若い門番はそれ以上の存在だったのかもしれない。


(……絶対に許さない。許したくない――)


 脳裏に浮かぶのは、見るからに仕立ての良いスーツで一分の隙もなく身を飾る、痩身の圧政者。


(ロイ・マニングマン。……あいつはキャンディアちゃんのお兄さんも殺したんだわ……《決刀》で)




 しかし、そこで疑問が湧く。




 本来、キャンディアの兄が務めていた魔法執行官は、《決刀》を取り仕切る側の上位にあたる。直接《決刀》の場に居合わせることすら極めて稀だ。なのにどうして、二人の男は《決刀》をするまでに至ったのだろうか。


(亜人を手引きして、転覆を企てた、とかって言ってたわよね……? でも、何処を探したって――)


 少なくとも、キャンディア以外に亜人の血を引く者の存在を見かけない。イスタニアからオールドバニーに至る道中でも同じだった。


 アメルカニア大陸には、まだ多くの亜人――キャンディアの半分である獣人族はもとより、エルフ族やドワーフ族も多いと聞く。だが、いくら多いとは言っても、偏見や差別の感情が高まっている今となっては、彼らは人間たちから距離を置き、ひっそりと彼らだけの生活を営んでいるということだった。


(……あいつの目的には、キャンディアちゃんのお兄さんが邪魔だった? ううん……きっと、そうだったんだわ! だから――!)


 ありもしない疑いをかけて、キャンディアの兄が《決刀》を受けざるを得ない状況を作り出したのだ。そうして、ロクに剣銃の扱いも《決刀》の勝ち方も知らない魔法執行官のキャンディアの兄を造作もなく葬り去ることに成功したのだろう。


(何て汚い奴なの……! でも、あたしじゃどうにもできない……悔しい……悔しいなあ……)


 いくら怒りに燃えようが、所詮ブリルはしがない新聞記者だ。しかも、皇国お抱えどころか、何処か大手の新聞社に雇われている訳でもない。単なるフリーの新聞記者でしかなかった。


(あいつの非道を記事にして、せめて世間を味方に付けられたらいいんだけど……)


 それくらいならできそうではある。


 しかし、そのためには何処の町にも必ず常駐している魔法執行官の手と技を借りて、自分の書いた記事を新聞社宛に送りつけなければならない。魔法執行官だったキャンディアの兄の後任に当たる者が、今のオールドバニーにはいるのだろうか?


(けれど、それより問題なのは――)


 たとえそれができたとしても、ブリルの記事が紙面に掲載されるかどうかの保証は何処にもなかった。


 そして、何より、


(そんなの、悠長に待っていられないわよ……昨日の今日で、もう、一人の人の命が……)






 明日には、また一人、死ぬ運命かもしれない。


 であるならば――。






(レイ君とメイベル、二人ならもしかして……)


 ブリルは、もうすっかり冷めきってしまったカップの中の鏡のような水面を静かに見つめているレイと、その傍らに寄り添うように立っているメイベルの様子をそっと窺った。




 長身のメイド、メイベル――。

 彼女は黒衣の剣銃遣い、ノーマン・ガナーというもう一つの顔を隠している。




 とはいうものの、今はあの荷物の何処かに隠しているに違いない剣銃を彼女が抜いてみせたのは、ブリルが街道盗賊のアジトにさらわれてしまったあの時ただ一度だけである。しかも、それを華麗に操るどころか鞘ごと力任せに振り回した挙句あげく、救出対象だったブリルまで巻き添えにしてしまった、という何とも笑えない腕前だった。剣銃遣いという仮の姿は、言葉通りの仮でしかないようである。


 しかし、


(それでも……さっきみせた動きは凄かったじゃない。メイベルって謎の女性だわ。本当に只のメイドなのかしら……?)


 ほんの一瞬でブリルのすぐ脇を旋風のごとく駆け抜け、常人とは思えない程高々と跳躍してみせたかと思うと、右腕のたった一振りで門番を繋ぎ止めていた太い縄を断ち切って、解放した彼の身体を宙で受け止めたまま二人分の体重を感じさせないくらいの軽やかさで着地してみせた。それは夢でも幻でもない。あれがごくごく一般的なメイドのたしなみだとでも言われようものなら、ブリルの良く知るメイドたちは皆失業してしまうことになる。


(かなり太い縄だったけど……。護身用にナイフでも持ち歩いてるのかしら。うん、そうよね、子供と女の二人旅なんだもん、それくらいは常識かも)


 かく言う女一人旅のブリルは持っていない。


 今度、機会があったら買っておこうかしら――ふと、そんなことを思いつつ、すぐに苦々しい笑みを浮かべて首を振った。不慣れな自分が扱っても怪我をするのが関の山だ。やめておこう。


(それに、レイ君がいるんだもんね。きっと……)


 才能の欠片もないメイベルを、凄腕の《黒衣の剣銃遣い》たらしめているのは、レイの持つ類稀なる射撃の腕前があってこそだ。


 それに、他の誰よりも正義感が強く、他人を思いやる心がある。少なくとも、それに助けられたブリルはそうだと信じて疑わない。


(今回だって、きっと――)


 そんな願いと望みを込めて、ブリルが顔を上げた瞬間のことである。



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