第五話 あとに残されたのは

 マニングマンは黙して見つめ、やがて応えた。


「客人、許可しよう。……ただしもう三分だけだ」

「ありがとうございます」


 レイは丁寧に腰を折り、会釈をしてから言った。


「――僕が拝見したところ、そちらの門番は酷い拷問を受けたようにも見えます。何をしたんです?」

「悪趣味だな……まあ、いい」


 マニングマンはレイの質問の意図をとらえあぐねて非難めいた言葉を口にしたが、彼自身時間を無駄にすることをよしとしない性分らしく、そのまま答えた。


「罪に見合った罰を与えたに過ぎない。それ以上でも以下でもない。単なる鞭打ちだ。単なる、ね」

「それだけでしょうか?」

「………………何が言いたい?」


 初めてマニングマンが返事を言い淀み、躊躇いとともに探るような問いを返した。少し、冷静さを装った仮面が剝がれかけているようにも感じる変化だ。


「僕らが昨晩お会いした彼とは少し容貌が異なって見える、そう思ったものですから。いかがです?」

「……君の言葉には推測が多分に含まれている」

「かもしれません」


 思わず二人の会話に口を挟み、少年の指摘の正しさを主張したくなったブリルだったが――そのブリルの気持ちを第一と考え、《瞳》の持つ力とその秘密を第三者に明かすまいと気遣ったレイの意図をすぐにも察し、黙ることしかできなかった。


「一分経過だ」


 あれほど冷静そのものだったマニングマンの身体がほんの少し左右にスウィングしている。明らかにレイからの質問は彼に動揺を与えているようだ。


「では――」


 こく、と頷き、レイは次の質問を投げかけた。


「貴方は、彼に見合った罰を与えた、と仰いましたね? ……それでは、何かを奪う方はいかがです? 罪の代償として、彼から何かを奪いましたか?」

「……」


 とうとうマニングマンが返事に窮すると、そわそわと落ち着かない素振りをしたレイが心底申し訳なさそうな愛想笑いで願い出た。


「あのう……残り時間も少ないので、なるべく早めにお願いできるとありがたいので――」

「急かすのは止めたまえ! 私とて、考えを整理することくらいあるのだぞ? いくら完璧な私であろうとも、だ――っ!」


 身を屈め、レイに向かって目を大きく見開いた顔を突き出し、唾を飛ばさんばかりの勢いでマニングマンはまくし立てたが――その拍子に片眼鏡モノクルが緩み、ぽろり、と転げ落ちたそれが石畳の上で粉々になって、ようやっと彼は、はっ、と我を取り戻したようだった。


「あ……いや、す、済まない」


 しかしそれは、レイに対して詫びるというより、取り乱した姿を見せた羞恥の念の方がより問題であるかのように見える。そして、次の言葉が出る前に、彼は元通りの冷静さの仮面を被り直していた。


「……改めて答えよう。答えはノーだ。与えるのは正義であり愛であり、奪うのは悪であり悪である。形こそ、罪であり罰であり鞭だが、それら全ては、根底に愛あるがこそなのだ。故に、私から与えることはあっても奪うことは決してない――決して」


 その科白を、粉々になったガラスの欠片を一つ一つ右手の指で摘み上げながらマニングマンは告げる。きっと、路上にゴミを捨てるべからず――とでも彼お気に入りのルールブックには記載されているのだろう。であればこそ、彼自身がそのルールを破る訳にはいかない。


「――残り一五秒だ、ヤングボーイ。終わりだな」


 あらかた拾い上げ終わったマニングマンは、白手袋の右手の上にガラス片を、ほぼ元通りの形になるよう並べている。ある種、偏執的な『正しさ』へのこだわりがそこからも窺い知れた。


 レイは残念そうに力なく首を振る。




 そして、こう告げた。




「では、一番簡単な奴を最後にお願いするとします。……その白手袋を脱いでもらえないでしょうか?」




 それは彼にとっては決定的な質問だったらしい。


「………………っ!!」


 もう誰の目で見ても、マニングマンは明らかに動揺していた。まさにその白手袋の上に載せられたガラス片同士がぶつかり合って、小さくチリチリと音がしている。


 それよりもむしろ、他の誰かが聞けば躊躇うことも尋ね返すこともないだろう程些細な少年の発した願い事一つで、時が止まったかのように、ぴたり、と動きを止めてしまったことこそが、心中の動揺如何程いかほどかを明白に物語っていた。


「……」

「どうかしました?」

「……」

「え……あれ? 何だか困らせちゃいましたかね」


 己の言葉を恥じたかのようにレイは頭を掻くが、


 ――嘘だ。


 レイは、マニングマンの白い手袋の下にある《何か》を知っていて、わざとカマをかけたに違いない。


「……」


 マニングマンは、改めて目の前の少年が一体何者なのかを見定めようと目を細め、じっと見つめる。そして、空いた左手を自分の右手に伸ばしたが、白い手袋にわずかに触れただけで、ぴたり、と動きを止めてしまった。


「今、割れたガラスを持っているのでね。君の願いを叶えることはできないようだ。造作もないことなのだが」

「僕の方はお待ちしますけど?」

「時間切れなのだよ」


 ばっさりと斬り捨てる。


「だが、特別に一〇秒追加する――そしてその一〇秒で、私は君にこう言うのだ。この町から出て行きたまえ、今日中に。……話は終わりだ」


 マニングマンはもう二度と振り返らなかった。




 あとに残されたのは――。


 一つの死と、二つの怒りと、三つの疑問。



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