2.第二の町、オールドバニー(1)

第一話 ブリルの大冒険とその終わり

「……って、勢い良く飛び出したまでは良かったんだけど……」


 何処までも延々と続く道に、いい加減嫌気が差してきた少女・ブリルは、ぶちぶちと愚痴をこぼした。


「あー、やっぱ、あのおじさんの忠告を素直に聞いとくべきだったかなあ。もー、足、痛い……」


 とぼとぼと歩いているだけで、何だか無性に悲しくなってきてしまう。それはきっと、何処までも同じ風景が続くこの地のせいだ。




 この新大陸には無限の可能性がある――。


 かつてそう言ったのは、三〇余日にわたる長き航海の果てに遂にこの地を発見した、高名なる魔法使いにして冒険者でもあった、クリストフ・コロネリア、その人である。


 クリストフが指揮を執る旗艦、サンテ号を含めた三隻で編成された船団は、いずれも大小三本のマストを備えたカラドボルグ級の魔道帆船であり、帆で風を掴まえ、魔法石を燃焼させて船体を推進させる機関部の両方を備えた、当時の最新型であった。航行速度は強風時には二十ノッテにも達したと言う。


 天体学にも精通していたクリストフの当初の見込みと計算では、三週間もあれば広大な領土を誇るグレンフォード皇国の東端に世界をぐるりと一周回り込むようにして到達できるだろうと考え、意気揚々と出向したのだが、実際にはそうはならなかった。何故ならその航路の途中に、未知の大陸――この広大なアメルカニアが存在していたからである。


 新たなる大地を発見したクリストフたち船団の帰還後、何人もの船乗りたちによってアメルカニア行きの航路が確立され、また魔道帆船の性能も飛躍的に向上したことで、今日では皇国の西端、例えばシェールフルなどに代表される港町から出ている定期船に乗り込めば、二〇日間足らずでこの地を訪れることが出来た。実際、多くの人々がこの地を目指してはるばる海を渡っている。


 そうまでして皆がアメルカニアに渡ろうとするその最たる訳は、先程のクリストフの名言に起因しているのだが、しかしそれを語るには少し当時の背景説明も必要になってくるだろう。




 現在の皇国において、人々の暮らし、その全てを支えているのは魔道機関の存在である。


 皇国中の人口のわずか一割にも満たないと言われている魔法使いのみが成し得る人知を超えた奇跡、《魔術行使》によって世界は一変した。だが一番の問題は、誰しもが内に秘めている魔力を自在に行使できるわけではない、ということだった。つまり、魔術の才を持たない大半の平民たちは、ほんの一握りの魔法使いたちの力に頼らざるを得なかったのだ。


 以来さまざまな研究が行われ、ようやく近年になって人類は次のステージへの切符を手に入れる。


 それこそが、魔道機関の発明、であった。


 いまだ一般家庭レベルまで行き届いてはいないものの、この発明により誰もが魔道機関を用いることによって《魔術行使》を行うことが可能になった。巨大な建造石を造作もなく運搬し、鉄鉱石はおろかより高温の炉でしか製錬出来なかったタイタニウムすら溶解させる業火を生み出すことも可能になったのである。


 ただ、その魔道機関もやはり万能ではなかった。


 最大の問題は、機関を動かすには希少鉱石・エルテニウム――広く一般的には《魔晶石》と呼ばれるそれを燃焼させることにより得られる莫大なエネルギーが必要になる、ということだった。


 不幸なことに、皇国で産出される魔晶石は魔道機関の発明後まもなく底を尽き、慢性的な資源不足に陥って一時皇国は情勢不安定な状態にまで至った。だが幸運なことに時を同じくして、新大陸・アメルカニアの広大かつ手つかずの大地には豊富な魔晶石が埋蔵されていることがクリストフたちの調査により明らかになった。実際彼らの船団は、皇国への帰還時に、大量の、純度の高い良質な魔晶石を持ち帰っている。




 だからこそ、彼はこう言ったのだ。


 ――アメルカニアには無限の可能性がある、と。




「はあ……」


 しかしながら、切なげに溜息を漏らした今のブリルにとっては実にどうでもいい話だった。最大の関心事は、足が痛い、それに尽きる。


「絶対、こっちだと思うんだけどなあ……影も形も見えやしない……」


 冷静になって考えてもみれば、イスタニアの路地裏であの二人に置いてけぼりにされてからゆうに一時間は経過していたのだから、徒歩で後を追うなんていうのは愚の骨頂だった。なけなしの資金から捻出してでも竜を借り、それに乗って追い駆けるのが正しい判断だったに違いない。


「でも、イスタニアから一番近い町って言えば、オールドバニーしかないもん。この道で合ってる筈」


 懐から取り出した地図を眺め――さかさまなことに気付いて天地を返しながら――ブリルはぷっくりとした唇を舐め、ふむ、と唸った。

 少年とメイドの二人、いや、ノーマン・ガナーと名乗る黒衣の剣銃遣いを加えた三人の旅路に、確たる目的があるのかどうか、それはブリルにはまだ分からなかった。しかしそれでも、道中に町あれば、そうしないだけの理由でもない限りは立ち寄るに違いない。


 アメルカニアは広い。

 だが、何処へでも行ける、というのは少し違う。


 そうブリルは考えていた。


 実際に目の当たりにするとそれは酷い有様だとは言えども、このように整備された道を闇雲に外れて旅すれば野垂れ死ぬことだってあり得る。何せその先には誰もおらず、何もないのだから。

 食べる物も飲む物も有限だ。いくらあのメイドが隊商もかくやという山のような荷物をその背に負っていたとはいえ、やがてそれも尽きる。よっぽどの馬鹿でもない限り、次の町を目指し、またその次の町を目指す、それで正しい筈である。


 が、それはブリルとて同じことだった。

 ましてや、その身丈に合った小洒落たリュック一つきりしか背負っていないブリルにとっては。


「んく……んく……」


 今日の空が曇天だったのはいくらかマシね、とブリルは独り言ちながら、無造作にあおっていた革製の水筒の中身が少し心許なくなっていることに気付く。きっちりと蓋を閉めてから軽く振ってみると、やはり、もう残りはわずかだった。


(お前の欠点は、感情に囚われると周りがすっかり見えなくなることよ――)


 ふと、いつぞや姉から言われた科白が脳裏をよぎり、ブリルはむっつりと顔を顰めた。


「ふん、だ。余計なお世話だっての」


 誰もいないことを良い事に、ブリルは腹立ちをそのまま声に変換して吐き出す。




 思えば、近頃は名前ですら呼んでもらえていない。


 五つ歳の離れた姉は、昔からブリルにはことさら厳しく当たってきた。それもあって、姉に対してはあまり親しみを覚えなかった。元はと言えば姉が父の再婚した継母の連れ子だったということも手伝って、いまだわだかまりが心の何処かで燻っており、どうしても快く思えないのも事実だ。


 それでも優秀であるが故に家に縛られた姉と違い、勝手気ままに生きたいと願ったブリルの方が半ば勘当のような形で家を追い出される羽目になったのは、何とも複雑な気分である。




「いい加減、町の端っこくらいは見えてきてもいいと思うんだけど……。あの丘を登り切ったら、もしかして……」


 進む先には小高い丘があり、あそこからであれば遠くまで目が届きそうだ。ちらちらと冷たく白い光を反射する樹肌はカヴァの木だろう。すっ、と天に向けて一本伸びたその根元には程良いすべすべとした岩が転がっており、一休みするにはうってつけの場所だと思えた。


「――ふう」


 長々と行軍してきた身には少し堪える丘を苦心して登り切ると、かなり遠くの方まで景色が広がっていた。


「お――見えた!」


 あれがオールドバニーに違いない。


「……っ!?」


 そして、見つけたかった物もそこにはあった。


「あれ……ううん、絶対そうよ! 見つけたわ!」


 見間違えそうにもない山のように大きな荷物。

 少し前に目の前で見た物と同じだ。


 だがいくら目を凝らしても、道の傍らに無造作に置き去りにされたその大きな荷物の周りには、あの少年の姿も、メイドの姿さえも見当たらなかった。近くに点々とある林の中にでも出かけたのだろうか。ここからではそこまでは分からなかった。


「でも、あの近くには……いる筈よね……きっと」


 まるで見当違いの旅路でなかったことだけは分かったので、思わずほっとする。


 どどどどど……!


 ほっとするついでに振り返ってみると、後方から騒々しい音を立て、土煙を巻き上げながら近づいてくる竜の一団が見えてきた。


「あたしってば、何てラッキーなのかしら!」


 徐々に噛み合い始めた運命の歯車に感謝しつつ、ブリルは、にんまり、と笑う。




 よし、乗せてもらおう!


 ちょっぴりくらいならお金を要求されても構わないし、ひょっとしたら――根が楽天的に出来ているブリルは思う――あたしって可愛い方だし、もしかしてタダで乗せてくれるかもしれないじゃない!?




「おーい!! ねー、次の町まで乗せて――!」


 見る間に近づいてくる《四つ足》の鞍の上には、ちょっぴりむさ苦しい面々が居並んでいて、盛んに手を振るブリルを認めると一様に不揃いの歯をむき出しにして、にいっ、と笑い返してきた。


「うえっ……え、えっとー。やっぱ今度に――!」


 さっきまでの晴れ晴れとした笑顔を引き攣らせて、ブリルが彼らの邪魔にならないように慌てて道の外へと一歩後退ったところで、


 がしぃっ!


 すれ違いざま先頭の竜を駆る男の毛むくじゃらの太い腕がするすると伸びてきて、ブリルのそれなりに引き締まった細い腰を容赦なく抱きかかえると、彼女の意志などまるでお構いなしに一気に引っぱり上げてしまった。


「うひっ……!」

「まあまあ。遠慮すんなよ、嬢ちゃん!」


 目を白黒させて見つめると、その顔目がけて思わず背けたくなるくらいの臭い息が吐きかけられ、ブリルは反射的に、うっ、と呼吸を止めた。


「うへぇ、こいつは上玉だ! おいお前ら、今夜はお楽しみだぜえええええええええええええええ!」

「いやぁあああああああああああああああああ!」


 そして、すっかり涙目になったブリルの悲鳴は次第に遠のいていき、丘を下ったあたりにある一際大きな森の中へと消えていったのだった。






 しばらくして――。


 ぽつん、と置き去りにされていた大きな荷物の傍に、正当な所有権を有する人影が二つ、小さな茂みの奥から、そろり、と姿を現した。


「いやはやまったく――」


 乱れた髪を撫でつけ、最後に丸眼鏡の位置を、ちゃきり、と正した長身のメイドは安堵の息を漏らし、こう続けた。


「最悪、荷物を失うことまで覚悟していましたが、最良の結果が得られました。これであのお嬢様もいろいろと……諦めていただけることでしょう――」


 言外に含みを持たせたメイドの科白に、傍らに立つ小柄な少年は非難がましく眉間に皺を寄せた。


「もう! そんな冗談言ってる場合じゃないでしょ、メイベル。僕たちで助けてあげなきゃ――!」

「……本気で仰ってるので?」

「僕のことなら何でもお見通し……でしょ?」

「いやはやまったく――」


 少年――レイに悪戯っぽく上目遣いで見つめられると、メイベルは一切表情を変えることなく、ただ溜息を吐き漏らして言った。


「……はあ。どうしてもそうされたいと仰るのであれば仕方ありません。契約がございますので」

「やった! だから僕、メイベル大好きなんだ!」

「……いやはやまったく」


 無自覚というのは実に困る。

 メイベルは別の意味での溜息を心の奥底で吐きながら、何度も首を振りつつ一気に荷物を担ぎ上げた。そして一歩踏み出し、足を止めてレイに告げる。


「では、いつも通りに、ですね?」

「そ」


 レイは銀灰色の髪を揺らし、勢い良く頷いた。


「絶対に、誰一人、死なせないこと。良いね?」

(いやはやまったく――)


 メイベルは声には出さず、頷くだけに留める。


(それが一番難しい注文だと言うのに――)




 いつだって主が従者に無理を言うのはこの世の常。



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