神と悪魔の輪舞曲

裁定

 万事万物万象に存在する善。そして悪。

 既に蔓延る悪はどうにもならないが、これより生まれる悪は何とかなるかもしれないと、誰かが考えた。

 此の世に生まれ出るかもしれない悪。

 此の世に現れるかもしれない悪。

 邪悪の根源になりうる可能性を全て根絶やしにしていけば、いつしか平和な世界が訪れるかもしれないと考えた者がいた。

 その名は誰も知らない。出自も何も知られていない。

 だがそう考えた誰かがいなければ、あれは生まれて来なかった。あれが作られる事などなかったはずだ。

 明らかなる人工的産物。

 宗教という着眼点。

 信仰、崇拝と言った人間の心を基盤とした考え方は、人間にしか出来ない。

 だからきっと、そう考えた誰かがいた。誰かとも知られる事のないそれによって、あれは――絶対悪ぜったいあくは生み出された。

 皮肉かな、悪の根絶を目指す人類こそ、最も大きな悪の根源。

 絶対悪を作り出したそれも悪意こそなかったものの、生み出されたそれは悪以外の何物でもなかった。

 しかしそれもまた、もう名も知られぬ誰かのせいではない。

 何せそれは絶対悪。全てそれの仕業であり、全てそれのであり、それが全ての要因であり、原因。全ての悪の象徴であり、全ての悪因の起源なのだから。

 そうあるために、それは作られたのだから。

「そう、全ては私のせい。私の仕業。だから私は絶対悪」

 不適にほくそ笑む絶対悪と対峙する形で立つ召喚士しょうかんしの血に濡れた腕の中には、胸を貫かれて息を引き取った両天使りょうてんし

 彼女を仕留めた尾の槍から血を滴らせる召喚獣は、司る蠍座の猛毒を吐き散らしながら絶対悪に対して唸る。

 召喚士の呼吸が詰まり、視線が眼光となって鋭く射抜いたその瞬間、蠍座は長い脚を動かして駆け寄り、猛毒と鮮血とを滴らせる尾を槍の如く突き立てた。

 突進と共に繰り出された鈍重な一撃を受け止めた絶対悪は、火花を散らしながら大剣を擦り切り、蠍座の体に刃を叩き付ける。

 顔に掛かった血飛沫を舐め取って、絶対悪は笑顔を歪ませた。

「天界の裁定者が、私情を挟んでよろしいので? ですがそれもまた、私のせい……故に私は絶対あ――」

「何を勘違いしているのかな」

 剣が弾かれる。

 尾に胴を薙ぎ払われて壁に叩き付けられ、胸に尾を突き立てられた。

 槍のように鋭い尾の先端を掴み、辛うじて貫通は免れるが、わずかについた傷から毒が巡って、意識が熱に奪われていく。

 絶対悪が斬ったのは蠍座の体の表皮の一枚。飛び散った血の量から、傷の大きさを見誤ったミスは、紛れもなく絶対悪の失態だった。

「これは僕の私情じゃあない。参加者が裁定者、またはその側近を殺してルールを犯そうとするのなら、重大な違反行為だ。これを断罪する事に、私情も何もあるものか」

 “召喚術式しょうかんじゅつしき――巨蟹宮きょかいきゅう磨羯宮まかつきゅう宝瓶宮ほうへいきゅう”。

 占星魔術を編み出した召喚士の名の由来。

 占星魔術の原型にして、凝縮された星々の光。

 召喚魔術。使役するのは、天に輝ける十二の黄道宮。

 肉体の構成、力の構築。そして意思さえも、召喚士が作り出した独自の魔術。この世で唯一、最強の天使に認められた術技。

「“せつ”」

 黒装束を纏った蟹座の魔術が、絶対悪の膂力と魔力を半分にまで削ぐ。その状況で抗えるはずもなく、蠍座の尾を許して胸を貫かれた絶対悪だったが、まともな臓器など持たないこれはまだ死なない。

 山羊座が蠍座の影を泳ぎ、尾を伝って絶対悪の下に入り込むと奇声を上げ、絶対悪の全神経を逆撫で、刺激し、激痛で悶絶するそれの悲鳴をも奪う。

 魔術による力の半減。

 蠍座の毒。

 そして怪音波による神経伝達阻害の三つによって、言動の全てを封じられた絶対悪に対して、水瓶座の組み上げた魔術式が水もない場所で高波を作り上げ、一挙に叩き込まれた。

 水によって呼吸まで奪われ、絶対悪は成す術も無い。一方的過ぎて、抗う余地がない。

「この国で誰を殺そうが黙認するしかなかったけれどね。この戦争の大事な裁定者に手を上げる事だけは、ルール的にも、天界の天使としても無視出来ない。本当に、君は悪い子だ。そんな悪い子には、お仕置きが必要だね」

 “召喚術式・人馬宮じんばきゅう”。

 番えるのは光の矢。

 悪を滅し、平和を齎す焔の陽炎。

 星が湛える眩き光を矢筈に変えて、振り絞った弓で解き放つ。

「“アルスナル・ライト”!!!」

 絞られた光が眉間を穿つ。

 全身を巡った魔力が体を痙攣させ、体の何処かにあった参加資格である証が砕かれた。

「第八次玉座いす取り戦争ゲーム参加者、絶対悪。君の参加資格を、剥奪する」

「くっ、くくっ……くくかかくくかかっ! それもまた私のせい! 私のせい! 因果応報! 自業自得! 結構、実に結構! 全て私のせい全て我のせい全て吾輩のせい! 嗚呼、だから私は絶対悪!」

 意識を奪われ、呼吸を奪われ、脳を穿たれ、胸を貫かれて尚、生きている。動いている。喋っている。

 改めて目の前のそれが生物ではない事を実感した召喚士は、更なる召喚を行なおうとして、やめた。寧ろ五体の召喚獣を引き下げ、その場から立ち去ろうとする。

 蠍座がいなくなって落ちた絶対悪の体は壊れたように笑い転げて、自身の笑いで震えていた。

「ん? 何故引く? どうした? もう、終わりか?」

「意地悪だな。もう、君の核は移動しているんだろう? この場で今のその器を壊したところで、意味はない事はわかり切ってる。ただの自己満足だ」

「そっか……ごめんね? タイミングが悪くて」

「あぁ、まったくだよ」

 “召喚術式、処女宮しょじょきゅう”。

 黄金の女神の彫像が、両天使を抱き上げる。

 半開きの目から最後に溢れた涙を拭い、口と共に閉ざす。乱れた前髪を整えて、最後に胸に空いた穴を封じてやると、そこで張り詰めていた物が切れて、吐息と一緒に涙が漏れた。

「ごめんよ。僕が軽率だった」

 良かれと思って感情を解放した結果、絶対悪に付け入る隙を与えてしまった。

 そうしてこの手で彼女を殺めざるを得ない結果となってしまった。

 占いにはなかった。占いが示すのは、あくまで戦争の勝敗だけだ。こんな事になるのなら、なんて後悔はしてもし切れない。

 故に、前を向いて進む。

 この戦いの結末を見届けるために。

 この戦いの勝者を、迎えるために。

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