PAGE.444「溺れる意識と、微睡みの海」
目覚めた。
彼女は“目醒めて”しまった。
「るの、あ、お姉、ちゃん?」
意識がある。独立したその生物は紛れもない意識を持っている。
ウェザーの心臓としてではない。人間界に長く存在しすぎたが故に、人間と同じような肉体へと近づいてしまったが故に、目覚めてしまった少女としての感情が今、再び。
「あ、ああッ……」
ルノアの動きがピタリと止まった。
腕が震える。覚悟で定まったはずの肉体が土壇場で痙攣する。
「いたい」
目覚めてしまった魔族とは別の存在としての意識。
「いたい、よ。いたい、の」
少女フローラとしての意識。フローラとしての言葉が放たれる。
「いたいよ、お姉ちゃん……!」
涙を流す。
人間らしい感情を、嘘偽りのない痛みを、かつて姉として慕っていたルノアに訴えた。止まらない痛みに耐えきれない少女の苦しみが溢れ出していた。
「ああああぁッ……!!」
戦意が失せる。
「ごめんっ、ごめん、なさいっ……ごめんっ……ごめんっ……!!」
ルノアもまた、閉じ込めていた苦しみが発狂しながら込み上げていく。
「チャンスは今のみ……仕留めるッ!」
動きが完全に止まっている。衰弱し切ったウェザーの本体を当然見逃すわけにはいかない。
「その命、貰ったッ!!」
黒いスライム達による猛攻から逃れ切ったフェイトは聖剣を手に、頭上よりウェザーへと奇襲を仕掛ける。今この瞬間、逃してしまえば苦戦は免れない。
あれだけの包囲網を突破する手段であったラチェットがあの様子だ。
さっきの一発で魔力を使い切ったのは明白。別の現場より砂漠へと急行したが故にポーションの貯えもなくなっている。次にウェザーが先程と同じ猛攻撃を仕掛けるものなら助かる保証はほとんどない。敗北まっしぐらだ。
故に見逃さない。
フェイトは確実なトドメを指すために、ウェザーの心臓へと刃を突き向ける。
「ダメっ、だっ、」
痙攣で止まり切っていたはずのルノアの体がピクリと動き出す。
スイッチが入ったように。彼女の中にかけられていた何かが切れてしまったように。
「だめぇええッ!!」
受け止める。
フェイトの攻撃から、ルノアはウェザーを庇ってしまった。
「なにっ……!?」
黒い炎の攻撃は人間にとってはかなりの猛毒であり、魔力を分解する。黒い炎を纏ったキャリバーヴォルフに触れた光の刃が次第に形を失っていき、元の素手へと形を変えていく。
「くっ……ううっ!?
フェイトは慌てて距離を取る。
黒い炎の火傷、キリキリとした痛みに苦しみながらも距離を取ったのだ。
「あっ」
我に返ったように、ルノアは大剣を両手から手放す。
「ち、ちがう……私、私は何をっ」
「貴様ァァ!!」
震えるように姿勢が崩れ落ちるルノアの元にエドワードが駆け寄った。
その瞳は怒りで尖っている。突き出された片手が拳銃のように殺意を放っている。その手の平から放たれるのは、紛れもなく“人間相手に撃つのは度が過ぎる殺傷”。
「……同胞のレディに手を上げることなど貴族として不躾! だがっ、しかしッ!」
エドワードの片手に掴まれた魔導書が光る。
発動寸前。十秒という短い時間であろうと猶予は与えない。今すぐにでも、その引き金はルノアに向けて引かれようとしている。
「解答次第では、私は君を撃たなければならないッ!」
「待って!」
魔族化を解除したコーテナがルノアの前に立つ。
攻撃をやめてほしい。殺意によって支配された瞳とは相反した想いが、エドワードに向けて放たれる。
「待ってほしいんだ! 話を聞いて! お願いだから、」
「無理だと思うよ」
眩暈を起こし倒れるラチェット。そして怯えるルノア。
今、怒号を上げんとしているフェイトとエドワードを止める手段はコーテナしかいない。だが、コーテナは魔族の一人であることに変わりはない。その行動は立派な離反であると捉えられても仕方がない。
「その二人、一度怒ると中々冷めないから」
彼等にとってコーテナの始末など容易い事。迷いなどない。
最早怒りに奮えてしまった二人を止める方法など“死”以外の方法はない。
それを警告するかのように……フローラの後ろから、その場にはいなかったはずの人物の声が囁かれる。
「その声、はっ……!」
エドワードの集中が逸れる。その場にいないはずの人物へと向けられる。
「やぁ、昨日ぶり。挨拶と行きたいところだけど……時間はなくてね」
その場にいなかったはずの人物。
“風の闘士コーネリウス”は、フローラの真後ろで片手を突き出した。
「あっ……」
コーネリウスの片手はフローラの背中から体内にねじ込まれている。
「ここまでやってくれればいい。君達は本当によくやってくれた」
血液は吹き飛んでいない。皮膚と臓器を貫通するかのように、その片手は恐怖のあまり声すらも吐けなくなっていたフローラの体を揺さぶっている。
まるで子供が玩具箱の中を手探りで掻きまわすように。
「あったあった」
片手が引っ込められる。
「これが欲しかったんだ……“ウェザーの魔力と精霊の力”」
コーネリウスの手のひらで、青色の水晶らしき物体が輝いている。
水のように綺麗な光を放っている中、ところどころで黒いシミのようなものが水晶の輝きを台無しにしている。
「ううっ……」
フローラはその場で倒れる。
生まれたままの姿だった彼女の体から黒い液体が削ぎ落されていく。この砦を支配していたはずの黒の水が一斉に蒸発し、姿を微塵も残さず消していく。
「私一人ではコイツを突破するのは困難でね。仲間にも相談しづらい状況だったし、仕事が早くて助かったよ」
コーネリウスは取り出した青い水晶を自身の胸に押し込めていく。
「やっぱり君達は凄い。私が目を付けただけのことはあるね♪」
取り込まれていく。コーネリウスの肉体は、水の精霊と水の闘士の力を飲み込んでしまった。
「ふふっ、ようやく魔力が揃ってきた。贅沢を言えばもう少し蓄えたいところだけど、もう時間がない……始めるとしようかな」
「コーネリウスぅう!!」
黒い炎の影響により、魔力が体に回らない。
痺れに苛まれ、叫ぶことすらも困難なはずの彼女は、コーネリウスへの憎しみだけで体を突き動かしていた。激痛の感覚一つ思い出せないほどの思考麻痺を呼び込むほどに。
「貴様、一体何を……何をしに、ここへ来た!!」
「ご機嫌よう。フェイト、エドワード、そして精霊皇と御一行様」
コーネリウスは笑顔のまま、姿を消していく。
「……新たなる世界で生きていたのなら、また会おう」
あまりに突然の事で体が動かなかった。
意識が追いついたころには、コーネリウスの逃走を許してしまった。
「コーネリウス、待てっ!」
エドワードの叫びも虚しく一帯に響くだけだった。
冷たい空気が流れる。
黒い水。ウェザーの魔力と思われるモノはその一帯から消え去った。
砦の窓から空を見上げると、砂漠を覆っていたはずの漆黒の曇天も消えてなくなっていた。
「どうなっている。ウェザーの気配が」
「……フローラ!」
地に倒れ、意識を失った少女フローラにルノアが寄り添う。
「フローラ! 起きて、フローラ!」
「……本当に、どうなってやがるんダ?」
状況が理解できない。
ウェザーの魔力がいきなり消えてしまった事。
漆黒の曇天、黒いスライムの存在がほんの一瞬でこの場一帯から消え去った事。
そして。
フローラという少女が……“以前のような人間に近い存在”へと戻っていた事。
気が付けば終息。
ウェザーはこのクロヌスという世界から消滅してしまっていた----
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