PAGE.432「邪悪に包まれた闇夜の中に(その2)」


 ガルドの寝室で一人、コーヒーカップを手にしたまま動かない姿が一つ。


「雲が晴れない、ね」

 ルノアだ。

 カップの中には淹れたてのコーヒーが入っている。自宅から持ってきたコーヒーメーカーで作った自作のコーヒーだ。


“僕たちの考えが正しければ、この黒い雨の黒幕はおそらく……”


 分かっている。

 黒い雨。黒い液体。それがもたらすのは人類文明の壊滅。

 似たような事を過去にも経験したことがある。精霊騎士団の助けがなければ、王都は間違いなく飲み込まれていた、漆黒の濁流を彼女は一度この目にしている。


 “ウェザー”。彼女はそう名乗った。

 少女は……自身が“地獄の門の一人”であることを告げたのだ。


「フローラ。君は本当に敵になっちゃったの……?」

 そう名乗った。現に彼女は王都を破壊しようとした。

「私には……そうは見えなかったよ」

 だけど、同時に彼女は苦しんでいた。

 王都を破壊することを。姉のように慕っていたルノアに刃を向けることを。致命的な一撃を食らったフローラはそのまま魔族界へと姿を消していった。

「ウェザーの心臓だと言っていた。君はそれを望んで怪物に……それとも無理矢理怪物に?」

 彼女がまだ“怪物として”完全な自覚を持っていないのか。

「元々、怪物だったの……ねぇ、どっちなの」

 それとも宿命として、その役割を無理やり演じているだけなのか。或いは元よりそういった宿命の下で生まれた存在なのか。


 分からない。


「……ううん。関係ない」


 だけど、どのような結果であれ。

 彼女は今……苦境に晒されている事だけは分かる。


「おい、どうした」

「うわわっ!?」

 突然声を掛けられ、上の空だったルノアの意識が戻ってくる。

「って、あちちっ!?」

 意識まで遠のいていたおかげか、淹れたてのコーヒーカップをずっと握っていたすら忘れていたようだ。

そこでようやく腕が“軽い火傷を負っている事”を自覚する。それだけに関わらず、カップから漏れたコーヒーが腕に引っかかるなど散々な状況だった。


「バッカみてぇ。何やってんだか」

 クロ、であった。

 彼女はルノアと同室。元よりこの艇、寝室に二つベッドがあるのがほとんどだ。


「あはは、ごめん……」

「おい、コーヒー淹れてくれよ」

 ずっと上の空だったルノアは再びコーヒーに視線を戻した。

「砂糖とミルクはいる?」

「いらねぇ。ブラックでいいよ、ブラックで」

「え? 苦いけど本当にいいの?」

「余計なお世話」

 本当に大丈夫だろうかとルノアは心配にもなる。しかし本人は不機嫌にブラックを注文し続ける。

 これ以上続けても余計不愉快にさせるだけだろう。少々不安を覚えながらもルノアはブラックのコーヒーを作り始めた。


「……何かあったか、お前」

「ううん、特に何も」

「お前さっきからずっとその調子だぞ。何もないわけがないだろ」

 さっきから。その言葉はおそらく“集落にいた時”のこともふくまれている。

 気が付いていたようだ。ずっと静かに、一人の少女の事を考えこんでいるルノアの異変に。

何か思うところがあって黙り切っていたことに感づいている。

「……大丈夫。大丈夫だから」

「ならいいんだけどよ」

 クロはアクビをしながらベッドに横たわった。

「何かあったら相談しとけよ。お前、抱え込むタイプだってコーテが言ってたからな。変なところでそれに気を取り乱されてミスをされたら困るからな」

「ありがとう。気遣ってくれて」

「そんなんじゃねぇよ」

 そっぽを向いたかと思うと、誤魔化した。

「ふふっ、コーテナちゃんったら。あっコーヒー出来たよ」

「おう、いだたく」

 自分の事をこんなにも心配していた友人の存在にルノアは笑みを浮かべた。そんな友人の為、腕によりをかけたコーヒーを御馳走する。

「……にっげぇええ」

「だから言ったじゃん。背伸びするもんじゃないよ」

 

 何はともあれ、まずは黒幕を探ることが優先だ。

 黒い雨の正体。これ以上、あのような被害を世界へ植え付けるわけにはいかないのだから。

「じゃあ、私もいただきます」

 空気を入れ替え、ルノアは手に持っていたコーヒーにようやく口をつけた。

「……ぬるい」

 入れてから三十分近くたっている。それだけ時間もかかれば当然コーヒーだって冷める。当たり前の感想を口にし、多少の後悔をしながらもコーヒーをすすり続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る