PAGE.429「砂漠で降る濁流」


 トラズ砂漠へと到着した。

 報告通り、普段は砂嵐が吹き荒れるこの地域にそれらしき面影はない。昼間であるにもかかわらず、その温度は不気味なほどに薄暗く肌寒い。

「寒っ……!」

 食堂で待機していた一同はあまりの寒さに毛布を用意する。

 昼間の砂漠は灼熱、夜間の砂漠は極寒とは聞いたことがある。夜中まで汗が滝のように流れる暑さを誇っているのかと思いきや案外そうでもない。むしろ真逆だ。

「原因はもしかしなくても……」

「あの黒い雲だろ、どう考えても」

 クロとルノアは空を見上げて溜息を漏らす。

 空を覆う漆黒の雲海が砂漠特有の蒸し暑さをかき消している。念のため、大量の水分を用意しておいたのだ、冷やしておいたソレはむしろ逆効果。体に鞭を打つのと何も変わらない。

「……昼間の砂漠の気温じゃないぜ、コイツは」

 これだけ肌に不快な気持ちを与えるだけの風が吹く砂漠。背筋には鳥肌。

 合流地点とされている集落地帯まで残り数分近く。一同は暖を取り、それまで外には出ないように画策する。


「……?」

 その矢先の事だった。

「ねぇ、今、揺れなかった?」

 揺れた。

 今、艇が一瞬だが揺れた。

「そうか? 特にそうでも、」

 最初は余震のようなもので、特に気にすることもなかった。

「……ッ!!」

 だが、次第に無視できない状況へと切り替わる。

 今度は大きく揺れた。

「「「気のせいじゃなーーーーーいッ!!」

 コーテナ、クロ、ルノア。三人娘の悲鳴がこだまする。

 食堂のテーブルに並んでいたコップが次々と地面に落ちていく。一同も突然の大きな揺れに対応できず、椅子から転げ落ちる者もいれば、その場で盛大にズッコケる者まで現れる。

「な、なんだ!?」

『みんな聞こえるかい!?』

 通信魔術を使い、艇全体へオボロの声が響く。

『来たよ! 敵襲だ!!』


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 艇の甲板にはラチェットとナーヴァの二人が既に姿を現していた。

 外に出れば、その寒さはより実感できるものとなる。しかし、その寒ささえも凌駕する出来事が今、彼らの目の前で起きているのだ。

「こいつは……!」

 ラチェット達に続き、スカル達も一斉に外へ出る。

「おいおいおい、やっぱり出やがったか!」

 ガルドの結界のバリアに張り付く一体の怪物。

「あのスライムだ!!」

 “黒いスライム”だ。

 しかも街中で見かけたものとは桁違いにデカイ。百倍近くの大きさをした液体生物が飛行艇ごと人間を飲み込まんと大暴れしている。

「デカすぎんだろオイッ!?」

 黒い雨の報告。その液体は人間の身を守る結界を溶かし、地に足をつける人間どもを根絶やしにする。

 黒い雨には結界を無効化する何かしらの仕掛けがある。現にバリアに食らいつくスライムは徐々に結界を外側から破壊していく。

「あの野郎! そんなことさせるワ、ケ……!」

 仮面に触れ、武具を取り出そうとしたラチェットではあった。

「いっつつ……クソッ!!」

 その矢先に体が悲鳴を上げる。

 そうだ、目こそ覚めたが、体はまだ完全に再生しきっていない。魔力を体から放出しようとするならば、痛めつけられた筋肉が余計に害を被る。

 足をつけ、中でもより被害の大きい右腕を押さえつける。とても戦える状況ではなかった。


「ラチェット! 無理をするな!」

 苦しむラチェットの背中を摩るスカル。

「けど、アイツを放っておけバ」

「ボクがいく」

 コーテナが黒いスライムを見上げる。

「……大丈夫、ボクの炎は魔族の力を無力化する! アイツをどうにか出来るかも!」

 黒いスライムに触れた物体は即座に粉々に砕け散り、生き物は溶解され蝋のようにドロドロに溶けていく。素手で戦うことはもちろん、剣や槍で戦う事さえも危険だ。

 しかし、魔族の能力を無効化できる“魔王の炎”を手にしたコーテナであるならば話は別だ。黒いスライムが相手であろうと、その効力は変わらないはずである。

「行くよ!」

 そっと、胸に手を当てリミッターを外していく。

 時間は充分にかける。あとは適度に制限を解除していき、魔族化を促していけば何の問題もない。


「待ちたまえ」

 コーテナの背に、魔族の翼が生えようとしていたその矢先。

「……君たちは力を温存する必要があるのだろう。なら、ここで“あんな魔物”程度に力を駆使する必要はない」

 ナーヴァが一人、黒いスライムを見上げる。

 両手を上げ、十本の指全てがナイフのように見立てられる。液状生物であるため存在こそしないが、牙を立てるかの如く結界を食い破るスライムに、その両手は向けられる。

「私がやってみよう」

 ……再び、ナーヴァの体が霧に包まれる。

「まずは君達の力以外でも奴を倒せるか……確認しておかなければな」

 いや、違う。

 彼の体が霧に包まれているのではない。

「消えてもらうぞ。生命の冒涜者」

 “彼自身が霧となっている”のだ。

 雲の如く、水蒸気の煙のように形を変えたナーヴァは宙を浮いたかと思うと、そのまま結界を食い破ろうとする黒いスライムの元へと飛んでいく。

 ……あれだけ巨大なスライムだ。小柄な魔族一人ではどうする事も出来ないはずの相手。

 しかし、ナーヴァの霧はより大きなものへと姿を変えていく。次第に、艇一つを飲み込もうと企んでいたはずの黒いスライムを“逆に飲み込んで”しまったのだ。


「……あれが、ナーヴァの力」

 一瞬。あの時は咄嗟であったためにしっかりと視認することが出来なかった。

 スカルを助けたときにも使用したその力。一国を救い続けたカルナの懐刀の所以が今ここで証明するかのように、黒いスライムが悲鳴を上げ始める。

「すごい魔力量だ……!」

 切り裂かれている。

 液状生物であるが故に切断はあり得ない。

「黒いスライムが、粉々に……!」

 黒の怪物が霧によって、抹消されていく。

 ガルドに飛び掛かった災厄は、ものの数秒で黒いスライムを駆逐してしまった。


「……よし」

 徐々に再生していく結界。消えていく黒いスライム。

 そんな風景に目もくれず、そっと甲板にナーヴァは人の形となって降り立った。

「私の実力。アテにはなるか?」

「……充分すぎんダロ」

 これは、とんでもない助っ人が乗船したものだ。

 ハプニングにこそ見舞われたが……到着まであとわずか。

 黒い雨の捜索の任の第一段階の終わりが近づいていた。

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