PAGE.262「レディ・エンズ・ウォーター(後編)」
飲み込まれていく民家。
その屋根の上を経由して、何者かが水流の少女に向かって近寄っている。
「あれは?」
屋根の上にいたフリジオがいち早く気が付いた。あまりにも無謀なことをしでかそうとしている病衣姿の少女の存在に。
「なっ!?」
突然外された視界。フリジオの視線の先にいる少女。クレマーティもその存在に気付いたようだ。
「何をしているんだ!? 早く戻れッ!!」
勧告はする。自殺行為も甚だしい行為は今すぐやめろと怒鳴りつける。
「フローラ、フロー、ラ……!」
しかし、屋根の上を歩く人物はその勧告に耳を傾けない。また一歩、また一歩と震える手足を必死に抑えて少女に近寄っている。
「……フローラっ!!」
ルノアは思いのままに叫んだ。
少女の事をどうしても振り切れなかった。ギリギリまで近づけたルノアは本当の名前も分からない少女。彼女が与えた新しい名前を呼びかけた。
「ッ!」
ついさっきまで、やつれた表情のまま変わり映えのなかった少女の顔。フローラと呼ばれた少女の素顔が、次第にほどけていく。
「……おねえ、ちゃん?」
フローラがルノアを目にしたその瞬間だった。
水流の勢いこそなくならないが……彼女の周りを囲んでいた竜巻が、袖の中に手を引っ込めるのと同じように、一斉に水の中へと消えていった。
「なっ!?」
「……これは一体」
その風景にクレマーティとフリジオの二人も息を呑む。
「フローラやめてッ! これ、君がやってるのっ!?」
「……そう」
少女はルノアの質問に正直に答えた。言い訳もせずに、静かに首を縦に振る。
「駄目だよ! こんな事したらッ!!」
「……どうして?」
フローラは意味も分からず首をかしげる。
「皆を困らせることをしたら駄目! それと、えっと!」
「……だめ、わたしはこれをやらないといけないの」
少女はそっと自身の胸に手を当てる。アンバランスに組み上げられた、人間そっくりのメチャクチャな肉体。
「おもいだしたの……わたしのこと、わたしのなまえ」
あまりにも発達が不安定な身体。人間の成長の仕方とは思えない不思議な体を持った少女はそっとルノアを見上げ、その名を名乗る。
「わたしたちは“みずのとうし”」
異名を告げる。
「わたしたちのなまえは“うぇざー”……」
水の闘士・ウェザー。
その名乗りは魔王の直属の配下である証。幹部であるという証拠。
少女はその名を思い出した。自分の正体を思い出したと告げたのだ。
「わたしたちは、おしろをこわさないといけないの」
「どうして!?」
ルノアは変わらず質問を続ける。
「どうして、そうしないといけないの!?」
「どうして……」
その質問に対し、少女は首をかしげる。
「どう、して」
頭を抑える。少女の質問に対する答えを探している。
「どうして……だっけ?」
出てこない。
その記憶だけが、少女の中から出てこない。
「わたしは、どうして、」
答えを探す。その最中。
「_____ッ!!」
貫く。
一発の弓矢が、ウェザーの体を貫いた。
「!!」
ルノアは、あまりに衝撃的な光景に言葉が詰まる。
「プラテナスか……!」
敵に悟られない位置からの遠距離射撃。正体にクレマーティはすぐに気づいた。
その距離は数メートル以上後方。まだ水流の届いていない超遠距離から狙いを定め、魔物を祓う魔弓より矢を放った精霊騎士団が一人。
ブリッジの監視者プラテナス。
援軍としては遅すぎる到着。しかし、少女が見せた一瞬の隙を遠距離からでも確認し、そのチャンスを逃さないと矢を放ったのだ。
「いたい……」
それだけの距離から放って命中させたこと自体が異例ではある。
「いたい……いたいっ」
だが、その矢は急所を外していた。
「いたい! いたい……っ!!」
少女は矢が飛んできた方向に水流を飛ばす。
巨大な蛇のように一目散に、高台の遥か上にいるプラテナスに向かって飛んでいく。
「ディジー、さがって!」
間一髪足を踏み入れたのは精霊騎士団のディジー。
地面に槍を穿つと、その二人を取り囲むように巨大な土のドームが出来上がる。牙を剥いた水流の群れから身を守ってみせる。
「あぁっ!?」
暴れまわる水流は当然ルノアの方へも牙を剥く。
「おっと! これはまずい!」
そこへすかさずフリジオが救助に入る。
あれだけの距離を一秒足らず。精霊騎士団最速の名も伊達ではないという事だ。
「いたい! いたいよぉ……いたいよぉ……!」
ウェザーは子供のように大泣きしながらその場を去っていく。
「一体どこへ?」
逃げる場所などありはしないはず。クレマーティは水流と共に逃げていく少女の後を追う。
「……!!」
そして気づく。
何処にあるのか分からないと調査を続けていた“そのゴール”。
アルカドア研究員の手によって作り上げられていた“魔族界ホール”の存在を。
一部の魔族のみが作成できる次元トンネル。人間界と魔族界をつなぐ穴の中に少女は泣きながら水流と共に飛び込んだ。
水流の量。それが次元のトンネルには容量オーバーだったのか。
全てを飲み込むことは出来ず、一部の水を残して魔族界ホールは消えてしまった。
「……逃がしましたか」
安心こそ覚えるが、複雑な気分も浮かべる。
あれだけの危機を討つチャンスであったというのに……逃してしまったのはあまりにも大きかった。復帰のチャンスを与えたことにクレマーティは深く舌打ちをした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ウェザー。完全には復活出来ていないようだな」
王都の様子を眺める何者かが一人。
「……あの様子では聞く耳持たずか。そもそも、アイツの行方を追えるかどうか」
興味を持たぬおもむきで、その人物は王都から去っていく。
「……行くか」
危機の去った王都。
だが、その被害はあまりにも大きく、悲劇的な歴史を残す災厄となった。
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