4-4  異世界列車通り魔事件④


 騒動から数時間が立ち、時間にして深夜一時あたりの頃。

 列車の周辺の見張りとして、国家魔法使いエージェント・シアルは目を光らせる。


 -----夜空では今も信号弾が煌めいている。

 あの光には野生動物や知性のない魔物などが本能的に嫌う何かが含まれているのだろうか。天敵を避ける蟲のように動物たちが列車へと近づいてこない。


「……時間が経ちすぎた。あの信号弾もそう長くはない」

 光を失ったその瞬間から、国家魔法使い達の護衛の仕事が本格的に始まるわけである。魔導書片手にシアルは辺りを徘徊する。

「明かりの用意を今のうちにしておかないとな……ふぁああ~……」

 乗客達は切り離された宿泊車両にて睡眠をとっている。

 大した不安や騒動も起きることなく、平原の真ん中で夜は更けていく。

「失礼いたします」

 朝方までは終わらない。ある意味での重労働。列車の徘徊途中にシアルは男と鉢合わせをする。

「貴方は確か……」

 国家魔法使いシアルはその男へ視線を向ける

「見回り。お疲れ様です」

 観光マニアであるルゥの従者のエルである。

 数時間も列車を見回りしていたことを気遣ったのか。コップ一杯分のあたたかいコーヒーを持って、こちらまで赴いたようである。


「……やはりそうだ。見間違いでなければ、貴方は」

「申し訳ありませんが、その話、ここでは」

 エルは人差し指を口元へ近づける。

「……すみません」

 シアルは即座に頭を下げた直後、コーヒーを受け取った。

「私もご協力出来ることがあれば」

「これは俺とミシェルの仕事です。貴方はあのお方の護衛を」

 もうすぐ彼女と交代の時間である。万が一のことがあれば、すぐにでも連携は取れるようにしているため問題はない。胸に強く手を当て言い切った。

「ただでさえ物騒なんです。あのお方の隣には貴方が居なければダメだ」

「……かしこまりました」

 コーヒーの入ったコップを手渡すとエルはそのまま立ち去っていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ----時間を同じくして、第四車両・ラチェットの個室。


「……なァ~? 見つめ続けられると眠れないんだが~?」

 小さな個室のベッドでも仮面をつけたまま横になっているラチェットは呆れた声で口を開く。

「だって心配なんだもん!」

 ベッドの向かいのソファーで同じく横になっているのはコーテナだ。

 もう怪物はいない。頭痛もだいぶ引いた。貴族との騒動も一つの謝罪でひとまずは丸く収まった。これで何の問題もなく熟睡できる。


 しかし、そんな時に部屋へ乗り込んできたのはコーテナだ。

 ラチェットの事がとても心配らしく、放ってはおけないと部屋から動こうとしないのである。


(……クッソ寝れねぇ)

 すぐさま眠りにつきたいが視線と同時、安眠を妨害する理由が一つ。

(仮面。つけたまま寝るのはやっぱり窮屈だナ……)

 睨めっこが既に三時間近く続いている。

 向こうが眠れば少しは気が楽になるのだが----もしや朝まで見張るつもりではと考えてしまう。

(外してぇ……だがダメだ)

 寝るときくらいは仮面を外したい。頼むから出ていってほしいと彼は心から強く願っている。彼は人前で仮面を決して取ろうとしない。


 大丈夫だから。本気で大丈夫だから。

 ラチェットは必死に仮面越しのアイコンタクトで『出て行ってくれ』とサインを送っていた。

「なんと言おうとボクはココから動かないもんね。ドラゴン一匹連れてこようが逃げるもんか」

 だが、やっぱり動こうとしない。

 断固の決意。一ミリもそこから動こうとしなかった。

「変に心配を向け続けられるのは迷惑なんだ……心配しすぎなんだヨ。さすがに」

 寝返りを打つようにコーテナに背を向ける。

 せめて彼女を視界から消そうと思っていたようだが……今度は背中から視線を感じ、かえって逆効果になった気がしてならない。


 ----無言の時間が続く。


「お前、見たんだよナ?」

 彼女を視界から消した瞬間。ラチェットは不意に問いを口にした。

「なにを」

「俺の顔」

 初対面からずっと仮面で隠し続けてきた顔の傷。

 記憶が正しければ……この部屋で魔族から襲われた直後、コーテナも部屋に飛び込んできたはずである。その時に彼女はしっかりと顔を見たはずだ。

 見た。コーテナはハッキリとラチェットの顔を見た。


(っていや! なんで掘り返してほしくないところを質問した!? 俺っ!?)

 ……こんな質問、はっきりいって大馬鹿ナンセンスである。

 それは質問をした本人であるラチェットが一番理解している。

 あの大嫌いな表情と言葉を聞きたいわけでもないのに。何故わざわざ。

「……見たんだろ。どう思ったヨ」

 何故、こんな質問をしているんだろう。

 背中を向けたまま、ラチェットは震える体に恐怖を覚えながら瞳を閉じる。

 身構える。彼は自分で蒔いた種から放たれる発砲に身構えた。


「別に? 結構カッコいい顔だと思ったけど?」

「……は?」

 これには思わずラチェットは振り返った。

 予想外、あまりにも想定外の返事で困惑を極めてしまったから。

「ラチェットってば、いつも仮面で顔を隠しているからさ。実は顔が気持ち悪かったりとか、変なところにホクロとかシミがあって、それがコンプレックスなのかなぁ~って思ったりしてたけど……普通にカッコイイ顔してるって思ったよ?」

 ポカンとしてしまう。

 この子は一体、何を口にしているんだと。

「あ、でも、かなりイケメンってわけでもなくて」

「余計な一言付け加えるんじゃねーヨ!」

 どうせなら、イケメンなままでいさせてほしかった。

 自分の顔に自身があるわけではないが、カッコいいと言われた以上は少しくらい希望を持っていたかった。中途半端という評価がある意味では一番大ダメージである。

「隠すほどの顔はしてないと思ったけど、どうしてそんなに隠したがるの?」

 ----もしや、見えていなかったのか? あれだけ大きな傷が?


 そういえば顔を見ていた時。彼女は泣き叫んでいた。

 頭がいっぱいっぱいで顔を直視できるほどの余裕はなかったのだろうか?

 いや、それはあり得ない。発言通りなら、彼女はしっかりと顔を見ている。


「……顔に傷があったろ」

 傷の事に触れないでいるのなら、ラチェットはそれでいいと感じた。

 

“自分は何がしたいのだ?”

“何故、自ら墓穴を掘るような質問を彼女にぶつけている?”

 少年は理解できない自身の行動に混乱している。


「それを見て、何も思わなかったのカ?」

 これで同情の言葉をぶつけられたものなら自爆もいいところだ。それを分かっていて、何故詳細を聞き出そうとしているのだ。

 ”自身はドMか? 虐められることに興奮を抱いているサガを持っているのか?”

 理解できない。ラチェットは自身の行動が全く理解ができない。必死に止めようにも口が勝手に言葉を放ってしまう。


「うーん……」

 コーテナは少し気まずい表情を浮かべながらも口にする。

「……そりゃあ。何も思わないわけないじゃん」

 コーテナはラチェットの仮面をじっと見つめている。

「だってボクの大切な友達だもん。顔に傷とかあったら……何があったんだろうって思ったりするよ。もしかしたらボクより酷い日々を送っていたんじゃないかって」

「なら何故聞かなかった?」

「聞いてほしくないのかなって思ったから。ラチェットが仮面を外さない理由って、もしかして顔の傷の事に触れてほしくないこともあるかなって思ったから」

 この少女、気づいていた。

 ラチェットの心理に感づいていた。だから、あのように傷とは無関係な感想を口にしてくれていたのだ。

「だけど知りたいよ、君の事……でもボクは待つ。その傷の事、昔に何があったのか。自分から話してくれるその日まで」

 少女の気遣い。それはあまりにも……健気で、心が熱くなる。


「本当に甘くて臆病な奴だナ。お前は」

 ラチェットの震えが嘘のように止まった。

 そんな風に返したものの。その言葉、浴びるなら本来自分であるとラチェットは自覚している。


 この仮面は“臆病”の証明。

 傷口を広げられるのを恐れて、剥がすのを躊躇い続けている。自分から先へ進むことを恐れている。


「……いや、本当に臆病なのは俺の方だ」

 だから、少年は一度だけ覚悟を決めた。 

 友達と言ってくれた彼女の前で……一度だけこの”臆病の仮面”を外すことを。


「臆病者のままってのはなんかムカついてきたから喋る。文句あっか」

 仮面が外される。顔面の傷跡が再び彼女に晒された。

「俺は子供のころから両親に恵まれていなくてナ。昔から親父のいいように使われていた。この傷はその時につけられたものサ」

 包み隠さずに全てを話すことにした。

 寄り添おうとしてくれる彼女へ、自身からも寄り添おうとするために少年は逃げもせずに真っ直ぐに向き合う。

「それはもう道具のように扱われたヨ。毎日生きた心地もしなかったし、ブッ殺してやりたいと願いたいくなるほど親父が嫌いだった。というか……俺は……」

 衝撃の事実に場が凍り付く。

 だが、コーテナはラチェットの覚悟に背を向けずに向き合い続ける。


「……ボク、生まれた時の記憶が曖昧で……物心ついた時には両親がいなくて、ずっとあの屋敷で拷問を受けていたんだ……外で親子連れを見る度にずっと憧れを抱いていた。ボクもああやって、親と一緒に普通の生活をしたかったって」

 ラチェットの言葉に対して、コーテナも夢想を口にする。

 日々砕け散っていく理想。抱くだけ無駄な夢。

 両親という存在に深い憧れを抱いていたことに。

「心の拠り所であるはずの両親に痛めつけられるのがどれだけ恐ろしいのか……それはきっと想像を絶するものなんだと思う。きっと苦しかったと思う」

 いつもは不快に思ったはずの同情の顔。

 ところがこの少女のその表情からは不快感も嫌悪感も抱かない。

 今までとは違う……特別な感情を少年は彼女に抱いている。


「……ラチェット!」

 コーテナは立ち上がると、そのままラチェットの震える両手を握りしめる。

「ボクでよければ……君の心の拠り所になりたい!」

 心からの願い。仮面というガードのない、この瞬間にだけ伝えられる気持ちを。

「ボクを助けてくれた恩人としてもそうだけど!ボクの初めての友達として!」

 彼女の手が温かい。感じたことがない。この温もりは。

「君が笑顔になれるように、君がいっぱい笑えるように……ボクに出来ることを沢山頑張るから!」

 彼女の必死な叫び。

 その気持ちは仮面という防御膜のなくなった彼の心へしっかりと届いた。


「……なんだヨ。まるで俺が普段笑ってないみてぇーな言い方じゃねーか」

 ふと返事をする。不思議と笑みも浮かんだ。

 不思議な気分。いつも通り毒のある威圧的な返事だというのに。少年はその言葉に不思議と温かさを感じる。

「……笑った?」

 コーテナはラチェットの顔を見て、笑みを浮かべる。

「初めて見た……ラチェットの笑った顔。仮面のない本当の顔」

 それはすごく嬉しそうな表情だった。

 ラチェットの素顔、そして笑顔を見れたことに感動を覚えていた。

 彼はその時、どのような表情を浮かべていたのか分からずじまい。どんな顔だったのだろうかと少しばかり不安を覚える。だけど、その不安の中で少年は感じた。


『自分も笑えるんだ。』


 この空っぽな人生で、きっと無縁と思っていた……その概念。


「……うん、やっぱり良い顔だと思うよ。ボク、君のその顔、凄く大好きだ」

 野生動物の鳴き声や蟲の鳴き声も何一つ聞こえない平原のど真ん中。

 二人は確かな友情をそこに感じ、静かなまま夜は更けていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ----魔法世界歴 1998年8月13日。


 翌日、ルゥの発言通り、王都と呼ばれる街から騎士団のものと思われる馬車が一斉に列車の元まで走ってきた。


 本物の騎士だ。その姿はまさしくファンタジー世界の騎士そのもの。規律正しき戦士たちがその場に集結していた。

 一部貴族たちは馬車で、ラチェット達は貨物庫に収納されていた自前のバギー車に乗って大移動を始める。

 

 移動中。ルゥや貴族たちは勿論、そこにスカルと国家魔法使いエージェントも加わって、旅の続きの世間話は盛り上がっている。

 昨晩の事件はすごい経験だったと笑い話にするものもいた。少し不謹慎なような気がするが、それくらいの機転の良さが丁度いいのかもしれない。



「……仮面、つけっぱなしなんだね」

 そんな中、バギーの後ろの席で座っているコーテナがラチェットに目を向ける。

「まぁ~ナ~」

 そこにはいつも通り仮面をつけるラチェットの姿。

 涼しい風を浴びながら、心地よい表情で太陽を見上げる彼の姿がある。

「このコンプレックスはすぐには克服できねぇ~よォ~」

 そっと仮面に手を振れる。


「……でも、決心はついた」

 ラチェットは気持ちをコーテナにだけ伝える。

「いつかこの仮面は外す。ありのままの自分を見てもらえるように頑張ろうと思った。だから、サ」

 仮面をちらっとズラす。その表情がコーテナにだけ見えるように。

「それが出来るよう最後まで手伝えヨ? 俺の、最初のちゃん?」

 それは凄く不器用でぎこちなくて、とても照れくさそうな表情。

 あまりにもお粗末だけど、今の彼にとっては最大の笑顔を浮かべていた。

「……うん!」

 コーテナは肯定する。

 ラチェットとの約束。彼の笑顔に最高の笑顔をお返ししてあげたのだった。




 【 第2部 完 】









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「今日も騒がしい」


「……それは、とても良いことだ」


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