第146話 知性の光

 不規則に揺らぐ波間が、月の光を反射している。その様子は、さながら魚の群れの様で『光の魚の群れがいる』と言えば、意味が通じてしまう様な情景だった。


 ただ、そこには、魚の群れが散り散りになる"原因"を作りそうな生き物もいた。


 月の光が照らし出すのは、一体の巨獣。

 

 その体表は白みがかっており、表をエナメル質の鱗が覆っていた。その鱗は、大理石の様な硬さを併せ持ちながらも、不思議と柔らかさを感じる厚みがあった。


 その"巨獣"の頭に乗って居た正巳は、先程からツルツルとした体を撫でながら、話をしていた。当然、話し相手は巨獣――ゴンだ。


 正巳が跨る真下には、一文字に閉じた口がある。


 話す時に、小さく口が開いて音を発するのだが、直ぐにピタリと閉じてしまう。


 こうして見ると、その口はツルツルしていて、如何にも"安全"なように見える。しかし先程、実際に噛みつかれた正巳は、知っていた。


「ゴンの歯は、かなり鋭いよな……」

「おりゃの歯は、なんでも噛めるんだなぁ」


 何だか怖がっている様で、聞いた事に簡潔に答えて来る。端的過ぎて多少捕捉が必要では有ったが、その凡そが分かった。


 この半年間、何をしたのか聞くと『……おいしかったんだなぁ』と言っていた。どうやら、ずっと海で"食べて"いたみたいだ。


 一応、マムからの捕捉もあって、『ゴンの遺伝子情報とその分析を行った処、"取り込む"性質が有りました。その為、海で"食べて"成長する様に言っておいたんです』という事だった。


 ……今のゴンの姿を見る限り、マムの判断が正しかったと分かる。


 改めてマムを褒めたくなったが、無意識の内にゴンの歯を撫でていた為、ゴンが話しかけて来た。


「お、おりゃのをちょっとだけあげるから、そんなにすりすりしないでなんだなぁ」

「ん? ……ああ、ちょっと?」


 ……ああ、そうか。

 恐らく、ゴンは数とか単位とか言った知識は、無いのだろう。


「ゴン、これから教える事を覚えておけよ?」

「わ、わかったんだなぁ」


 ゴンに頷くと、その牙を一つ叩いた。


「これで"イチ"だ」

「イチ、なんだなぁ?」


「次、これで""だ」

「ニ、なんだなぁ?」


 その後、九まで数を教えた。

 どうやら、ゴン自身は概念として"回数"を理解していた様だが、人間的な面において"数"を表す事が出来なかったらしい。その為、直ぐに理解していた。


 ただ、元々ゴンは、"一回"、"二回"の次は"沢山"という概念しかなかったらしく、三以上を教えるのには、二、三度繰り返す必要があった。


 ……とは言え、二、三度繰り返すだけで理解出来たのだ。頭が良い生き物なのだろう。


 ゴンに、確認の問題を出したが、完ぺきに理解したのを確認して、満足していた。

 すると――


「お、おりゃのを"二"あげるなんだなぁ」


 そう言って来たゴンを不思議に思って見ていたのだが、不意に伸びたゴンの腕に驚いた。

 ……ゴンの腹部から、白くて長い腕が二本伸びて来た。


 その腕の先には、三つの指が付いていた。


 腕が伸びて行くと、そのままゴンの口元へと行き―― 『"ゴキンッ!"』

 其々、一本ずつの牙を折った。


「おい、どうしたんだ?」


 そう言って、少し驚いていると、ゴンがその牙を持ち上げて来た。。


「お、おりゃのを"二"あげるんだなぁ」

「……良いのか?」


「良いんだなぁ……おりゃのあるじは、カンザキなんだなぁ」

「……そうか、ありがとうな。それと、俺は国岡正巳だぞ?」


 持ち上げて来た牙を両手で受け取りながら、ゴンの間違いを訂正しておいた。


「そ、そうなんだなぁ?」

「ああ、そうだぞ?」


 不思議そうに聞いて来たゴンに、念を押した。

 すると、一拍間があってゴンが言った。


「あるじは、カンザキ・クニオカ・マサミなんだなぁ?」


 ……ん?


「いや―― まあ、そうだな。それで良いぞ」


 訂正しようかとも思ったが、小さい事だと思い直した。


 ……ゴンが、『あるじは、カンザキ・クニオカ・マサミ。あるじは……』と繰り返している。忘れない様に反復学習している様だ。


「……偉いな、ゴン」


 ゴンをそう言って褒めると――


「――! "えらい"なんだなぁ?」

「ああ、色々と"知っておく"事は、大切だ」


「――!! わかったなんだなぁ!」

「お、おう……」


 ……何だか、ゴンのやる気メーターが降り切れたらしい。


 やけにテンション高めに言った後で、体を左右にユッタリと揺らしている。


 ……褒められると、嬉しいのかも知れない。


 そんなこんなで、暫くの間ゴンとやり取りをしていた。

 しかし、下から聞こえて来た声で我に返った。


「正巳! 無事か?」


 見ると、車両の上にバロムとデューとサナ、それに王子とライラが居た。

 ……どうやら、王子達も車両に乗って来たらしい。


「……アブドラは、こんな所に居て良いのか?」


 間違いなく現在進行形で、クーデター関連の緊急放送中だと思うのだが……


「それに関しては、俺が必要な部分は終えた!」


 どうやら、後は将軍の仕事らしい。

 まあ、将軍の仕事なのか、押し付けただけなのかは分からないが……


「それに『仲間が危機』だと聞いてな! ……まあ、お主が既に解決して……おまけに、それ・・は例の竜か?」


 興奮している王子に苦笑いしながら、答えた。


「いや、犯人は捕えて無いんだがな……あと、コイツは……まあ、竜かな?」


 一瞬、『コイツはキメラで、ゴンって言うんだ』と答えそうになったが……その場合、話していない事 ―仲間や自身の特殊な部分― を話す必要が出てきそうだったので、取り敢えずは話を合わせておく事にした。


 正巳の言葉を聞いた王子は、少しだけ疑問を感じたみたいだが、好奇心が勝ったようだった。頷きながら、まじまじとゴンの事を見ている。


「……ゴン、あそこに降ろしてくれ」

「わかったんだなぁ~」


 機嫌の良いゴンに、車両まで降ろして貰うと、正巳は手に持っていたゴンの牙をポーチに縛り付けた。一応、ゴンがくれた"贈り物"なのだ。大切に持ち帰って、有益な事に使おう。


 ゴンが『おりゃはどうするんだなぁ?』と聞いて来たので、『そうだな、少し待っていてくれ。ここにいる人には、噛みついたらダメだぞ?』そう言ってから車両に入った。


 ……車両に入る寸前、サナがゴンに飛びついているのが見えたが、気のせいかゴンが委縮している様に見えた。それに、もし何かあってもサナであれば、全て問題無いだろう。


 少し怖いのは、怒ったサナがゴンを半殺しにしないかだ……まあ、大丈夫か。


 ――

 車両内には、布を体に巻き付けた綾香とボス吉が居た。

 ……ボス吉は、寒そうな綾香に寄り添っていた様だった。


「偉いぞボス吉」

「我が主の仲間となれば、当然であるな」


 一見ツンツンして見えるが、その尻尾がユラユラと揺れていて、喜んでいるのが分かる。

 ボス吉をモフモフした後で、綾香にも声を掛けておいた。


「大丈夫か?」

「ええ、お兄様。それよりもあの男は……」


「大丈夫だ、逃げ切る事は出来ない。しかし、そうだな……そろそろ手を打つか」


 綾香に、『ゆっくりしていろ』と言った後で、そこにユミルが居ない事に気が付いた。

 外に出ながら、マムに聞く。


「マム、ユミルは?」

「ユミルには、ザイと共に『重要なサポート』をするように言って、ヘリに乗って居ます」


「そうか……まあ、勢い余って"殺してしまう"可能性が有るからな」

「えっ? ……パパ、岩斉は始末するんでは?」


「ん? ああ、そのつもりだったが……ほら、ゴンにあげるのが良いかと思ってな」


 そう言いながらゴンの方を見ると、王子がギリギリ触れられない距離に、ゴンが留まっているのが見えた。そのゴンの頭の上には、サナが乗って居た。


 ……何も、ゴンに岩斉を喰わせようというのではない。

 先程のゴンの理解力とその姿勢に、少なからず驚いたのだ。


 だから――


「ゴン、お前に一人の人間を与える。得られる知識を、全て吸収しろ。……お前は、俺の言っている言葉が理解出来ているみたいだからな。お前が話せるようになれば、岩斉からも知識を吸収できるだろう。それと、岩斉にも食事を与えるんだぞ?」


 ゴンに、岩斉を与える事にした。


 ……本来であれば、きちんと報いを受けて貰うつもりだったのだが、ゴンに何かを教えるというのは、罰としては十分に重いと思う。


 少し考えていたゴンが、答えた。


「いろいろおぼえるんだなぁ、食べないんだなぁ?」

「ああ、いや……全てを吸収したら、好きにすると良い」


 ……この先、岩斉がどの様な目に合うか分からないが、恐らく碌な目に合わないだろう。少しだけ、哀れに思った正巳だったが、『分かったんだなぁ! 食べられるように、がんばるんだなぁ!』と言って、勢いよく潜って行ったゴンを(食べられるようにか……)と思いながら、見送ったのだった。


 サナは、ゴンが潜る瞬間こちらに飛び移って来ていた。





 マムは、ザイとユミルに岩斉の始末を指示していたが、急遽中止を指示していた。


 ……仕事の早いザイとユミルの二人は、岩斉を捕えた後だったが、手を下す寸前に間に合ったのだった。少し不満に思いながらも、車両からヘリへと戻った。


 その直後、真下から現れた巨大な生き物に驚くと同時に、通信で『正巳様の配下です』と聞き、良く分からないながらも、結局は納得していたのだった。


『あの方なら……』


 本来、あり得ない納得の仕方では有ったが、少しの期間を共にしていたザイにとっては、それ程不思議でもない事だった。


 そう―― 『あの方なら、普通じゃない事もあり得るだろう』と納得してしまうような。


 ユミルからしたら、ボス吉も大概だと思っていたので、すんなり納得していた。





 綾香のそばに居たボス吉は、始終、主人から褒められる事を求めて行動していた。まあ、ほんの少し、綾香という群れの一員に対しての気遣いも有ったが。


 とは言え、ほんの少しだけ後悔もしていた。


 というのは、先程迄感じていた"気配"は、ボス吉がキメラになる事を決心した"原因"であろう事が、ある程度予想付いたからだった。


 しかし、その気配の持ち主は、自分と同じ"配下"の一匹という事だった。その事を知ったボス吉は(この先出会う事もあるだろう)そう考えて、取り敢えず自分の目の前にいる、人間の子供を温める事にしたのだった。





 潜って行ったゴンを見送った正巳は、そこに居た王子含めた面々に、車両内に戻る様に言った。静かだと思っていたライラは、車両の端の方で縮こまっていた。


 どうやら、ライラはゴンが苦手らしかった。

 ……何やら『あんな存在、非論理的だわ!』等と言っていた。


 兎も角一旦ライラを落ち着かせると、車両内に戻った。


 そして、一同が注目したのを見計らうと言った。


「さあ、基地に戻るか。向こうの方は、将軍が上手く収めただろう」


 すると、王子が……


「バラキオスの事だ。恐らくは、大佐を拘束した上で……宴会だろうな」


 と言っていた。


 どうやら、何か大きなことを終えた後に宴会をするのが、バラキオス将軍の"お約束"らしかった。


 まあ、楽しい方が良いのだろう。


 その後、『これから宴会か……』と呟いていたら、その呟きを拾ったサナが『えんかいなの?』と聞いて来た。


 そんなサナに『まあ、帰りも有るから少しだけな』と答えながらも(日本とは随分と文化が違うんだな)と考えていた。


 その後は、基地に戻る車両内で、サナと一緒になってボス吉を撫でまわしたのだった。


 ――

 陸地に着くと、アブドラの言った通り、何やら賑やかな音が聞こえて来ていた。


本当に・・・宴を行うらしかった。


 深夜だというのに……





 ――――

 ゴンに捕まった岩斉は、その後とある無人島の洞窟に連れて行かれた。ゴンは、水中ではヒレの様なモノをつくり出していたが、地上ではその形を変えていた。


 洞窟での生活が始まって、暫く静かにしていた岩斉だったが、隙を見て逃げ出した。しかし、追いついたゴンは、岩斉の足を食いちぎってしまった。


 その後、苦しむ岩斉の"うめき声"から、人が"音"を出す際に、その首元にある一部を振動させる事を知った。そして、その後は自分の体のつくりを"変質"させる為に、色々な生物を捕食して行った。


 ある日ゴンは、島内に生息していた"鳥"を捕食した。すると、その鳥の持っていたつくりが、ゴンの体を求めていた形へと変質させた。


 その鳥は"オウム"だったのだが、その事をゴンが知る筈もなかった。


 元々、相当な数の人間を捕食していたゴンだったが、変質には"意思を持って捕食する事"が必須だったのだ。"オウム"を"捕食"した時のゴンは、"音を出す事"を求めていた。


 ようやく音を発生できるようになったゴンは、岩斉の元へ行くと、本来の目的である"知識の吸収"を始めたのだった。


 岩斉はと言えば、足の痛みの為か今起きている事が現実とは思えず、夢の中に居るのだと思い込んでいた。その為、"無人島で化物に対してモノを教える"という事に、少しずつ面白みを感じ始めていたのであった。


 過去、岩斉が求めた"理想"である姿 ――人々に慕われ、模範となる―― を実際に示していたのも、この"勘違い"が理由だった。


 ……岩斉は、最終的に感染病で息を引き取った。しかし、その人生からは想像できない程に、穏やかな死だった。岩斉の死のきわには、その"弟子"が居た。


 これも先の話になるが――

 "弟子"は自身の"主人"を探す為に、旅に出る事にしたのだった。


 旅に出る時、ゴンはこう呟いていた。


「おりゃの主は"カンザキ・クニオカ・マサミ"で、おりゃの師匠は"ガンサイ"なんだなぁ~」


 ――そこには、知性の光が宿っていた。


 過去『腹口はらぐち』とか『恐怖公きょうふこう』等と呼ばれていたゴンだったが、岩斉から"理想の人"の話を聞いていた事が、その姿に影響していた。


 ゴンはその体を、環境に適する形に体を変質させていたが、こと陸上においては好んで取る姿があった。それは、一種主人の姿を真似てはいたが、殆どの部分が"理想の人間"の姿を真似た姿だった。


 もし、そこに綾香が居ればこう言っただろう。


 『お父さん?』と。


 全て、少し先の未来の事では有ったが――

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