第126話 執事と娘

 一人の女性が、椅子に座っていた。


 その女性の周囲を、4人の男達が囲んでいる。


 ――そこは広い敷地内において、ある意味最も"危険"な場所だった。


 無機質な空間に有るのは、大の大人が丸々入れるようなアクリル製の水槽と、数種類の道具。


 男達は、其々が思い思いにそれら"道具"を手に取っている。


 ……これらか起こる事は、火を見るよりも明らかだ。


 もしかすると、恐怖心を煽る為にわざと"演出"しているのかも知れない。


 ――自分の置かれている状況を、客観的に見る事が出来ていた。


 普通であれば、自分の置かれている状況の打破に意識が向くだろう。


 しかし彼女の頭の中では、全く違う事に意識が向いていた。


 ――お嬢様……。


 ユミルは、綾香の顔を思い出していた。


 ――――――


 ――――


 ――正巳達が、全翼機"ブラック"に乗り込む数十分前。


 ユミルは、綾香をベッドへと寝かせていた。


 心地良い音色が、心を落ち着かせる。

 マムが、『ぐっすりと眠る為に』と流したのだ。


 綾香の寝顔を見ながら、キングサイズのベッドに腰掛ける。このベッドは、住み始めた時に『どうしても』と綾香が言ったので、無理をして用意して貰ったのだ。


 最初は、『普通サイズのベッドが良いのです!』と言っていた綾香に『普通サイズのベッド二つか、キングサイズのベッド一つかにして下さい』と説得したのだ。


 どうやら、"同じベッドに寝たい"と言う事だったらしいが……


 流石に、『ベッドが小さくて、疲れが溜まる』なんて状況は避けたかったので、最低限くつろげる大きさの物を用意したのだ。


 大きなベッドに腰掛けながら、足の状態を確認する。

 まだ若干痛むが、普通に歩く程度なら問題なさそうだ。


 それにしても、綾香の胆力には驚いた。


 自分の"安全地帯"である筈の、学校で襲われたのだ。

 普通であれば、取り乱して不安に駆られても可笑しくはない。


 しかし、家に着いた後で足の消毒を行っていると、『一人では洗えないでしょう?』と言って、消毒を行っている"風呂場"へ入って来た。


 結局、『折角だから』という事で、二人で風呂に入った。

 体を洗って貰ったお礼に、髪の毛を洗ってあげると、気持ち良さそうにしていた。


 その後、いつも通り普段着に着替えた。

 疲れは取れ難くなるが、非常時下は"何時でも動ける服装"でいる事は基本なのだ。


 その後ベッドに入ったユミルだったが、いつの間にかぐっすりと眠っていた。

 ……通常時でさえ、深い眠りに入る事が殆ど無いにもかかわらず。


 ――全ては、催眠作用のある"ヒーリングミュージック"の影響であったが、そんな事を二人が知る筈もなく……ひと時の安息に有ったのだった。



 ――――


 ――それは突然だった。


 衝撃を感じて目を開くと、そこには数人の見知らぬ者達が居た。


 視界に確認できるのは4人。


 4人共めざし帽を被っているが、その体型から男性である事だけが分かった。


 横を見ると、綾香がいない。


 ……少し離れた場所から物音がする。


 どうやら既に連れ去られている所らしい。


 ……失態だ。


「フッッツ……!」


 勢いをつけてベッドから起き上がろうとした。


 しかし、直後に感じた腹部への痛みと、その衝撃で意識を失った。





 ユミルにソレ・・を使用した男は、満足気に頷いた。


「……ショックボルトは効いたな、よし……運び出せ」


 男の手には、暴徒鎮圧用に使用される"ショックボルトガン"が、握られていた。


 使い方は簡単、相手に向けて引き金を引く。すると、先端から端子が飛び出す。端子が対象に触れた状態で再度引き金を引く事で、電流が流れるのだ。


 "弱"から"強"と調整できるそれは、"弱"であっても行動を抑止する。

 通常の威力であれば、成人男性の意識を刈り取る事さえ可能だ。


 それが、"強"へと設定されていれば……大型の獣でさえも抗う事が出来ないだろう。


 男達は、二人がかりでユミルを拘束すると、その体を担ぎあげた。その上で、前後に一人づつ警戒に付くと――撤収を始めた。


 車庫から外へと出る。


 そこには車両が止まっている。

 ――大型のバンだ。


 ……車庫のシャッターは、電子制御されており、有事の際はアラームが鳴る仕組みになっている。しかし、今はその"防衛の為のシャッター"が上がり、アラームも鳴ってはいなかった。


 それもその筈、一応形の上では"ハッキング"されているのだ。ソレ・・をした男は、メガネのズレを直しながら、細く笑みを浮かべていた。


「どれだけ高度なセキュリティかと思ったが――敵じゃなかったな、ひひっ!」


 男は知らなかったのだ――そもそも、"セキュリティレベルが下げられていた"等とは。


 その後、始終上機嫌だった男は、『誘拐した女の一人を岩斉ボスから貰った』と聞いて『俺も、功労者の一人だから交ぜろ』と権利を主張したのだった。


 ……その後で被る事になる"報い"を知る筈もなく。





 綾香の寝顔を思い出して、顔を緩ませていたユミルだったが……不意に襲って来た激痛に歯を食いしばった。


 見ると、膝の皿の部分……膝蓋骨しつがいこつに違和感がある。


 目の前には、ハンマーを持った男……


 どうやら、足から壊すつもりのようだ。


 歯を食いしばりながら、周囲を再度確認すると、ある事に気が付いた。


 ……同じような場所を知っている。


 昔所属していた組織の拷問室だ。


 ……あの組織においては、拷問室は処刑場だった。


 『拷問室』と言いながら、既に情報を抜き切った者達を送る場所なのだ。


 そこで、耐えられない程の苦痛を与えて、『もし知らない情報が引き出せたら儲けもの』位にしか考えていない。


 別名『発散場』と言われていたほどで、ストレス発散に使っている者も居た。


 ……好んで拷問官をしている者もかなりの数いたが、ユミルの場合は『興味がない』と言って断っていた。


 ……昔の事を思い出して、胸の奥がズキズキと痛んで来る。


 しかし、その胸の痛みは、新たな"痛み"で上書きされた。


 ……椅子に縛り付けられた腕の中の一つ、中指の爪が剥がされている。


 もう片方の腕は、『本当に使えないのか分からねぇ』と言った男達によって、体と固定する事で"支え"となっていた器具が外されていた。


 そのせいで片方の腕は、肩から力なく垂れ下がっている。


 ……丁度良かった。


 肉体の痛みが、胸の痛みを掻き消してくれる。



 ――――


 ――しばらく、同じような痛みが続いた。


 正直、痛みのコントロール……拷問への耐性のあるユミルにとっては、心を折るほどの痛みは一つも無かった。


 そんな中、一人の男がイライラした様子で言った。


「なあ、そろそろやろう・・・ぜぇ~悲鳴も上げないもんでつまらねぇしよぉ~」


 ……眼鏡の男だ。


 どうやら、他の者とは色が違うらしい。


 痛みを与えて楽しむよりも、快楽を得たいのだろう。


 ……ユミルとしては、正直このまま拷問されていた方が良い。


 それこそ、這ってでも動く力があれば良い。


 ただ、こんな男達に初めてを奪われるのは、嫌だった。


 まあ、既に30を越えている自分に、女としての価値が有るとは思えないが……


 それでも、自分に残された自分だけのナニカを奪われ、殺される気がした。


 だから――

 言ってしまった。


「お前達の様なクズとはごめんだ」


 ……ユミルは、分かっていた。


 余計な反応をする事で、余計な反応を得てしまうだろう事を。


 だが、言わずにはいられなかった。


 "拒否"の姿勢を示さずにはいられなかった。


 ――案の定。


「ははっ! どんなに痛めつけても反応しなかったのに……よし、お前ら楽しむぞ!」


 『よっしゃぁ!』と活気づいた男達が、ユミルに迫る。


 ……手を伸ばして来た眼鏡の男に、唾を掛ける。


「このクソアマぁ!」

『"バヂン!"』


 頬に焼けるような痛みが刺す。


「おい、おい、折角顔は綺麗なままにしてたのに、何してくれてんだよ」

「あぁ、悪りぃなつい……」


 眼鏡の男が、横に立っている黒い布を付けた男に謝る。

 ……どうやら、眼鏡の男以外は皆が黒い布を着けているみたいだ。


「おい、もう拘束を外しても動けないよなぁ?」

「あぁ、その筈だ」

「それじゃあ……」


 男達が何やら話していたが、戻って来ると椅子の拘束具を外し始めた。


 ……椅子に縛ったままでは、乱暴できないからだろう。


 それにしても、我慢していた甲斐があった。


 拘束を外されたら……先ず、目の前にあるペンチで黒布の男の目を抉る。次に、横にあるアイスピッグで眼鏡の男を刺せば良い。


「……よし外れたぞ」


 背中から声がする。

 ……よし。


「こっちも外した」


 目の前に屈んでいた男が、椅子と足を縛っていた拘束を外したようだ。


 後は、タイミングを計って……今だ!


「……?!」


 体を前に倒し、足に、腕に力を入れたのだが、その結果……


「おいおい、まだ元気が有ったとは……」

「あれだ、余程やりたくて自分から立ち上がったんじゃないか?」


『ハハハハハ』


 男達が笑う。


 ……正直、予想外だった。

 これほど、四肢にダメージが来ているとは思わなかった。


 再度確認すると、両ひざの皿は割られ、指の爪は全て剥がされていた。加えて確認できる、血の流れている小さな穴……アイスピッグで刺された部分だ。


 足は、踏ん張る為の構造が壊されている。腕に関しては、多少動かせはするが……まともに神経が機能していないらしい。


 ……しくじった。


 せめてお嬢様は助けなくてはいけないのに……それに、あの人・・・の為に出て来たのに、一番重要な男を始末できていない……。


「はいはい、大人しくしましょうね~僕が可愛がってあげるから~」


 眼鏡の男が、脇に手を差し入れて来る。


 これなら……

 残った力を腕に集中するイメージで、男の手首を脇に固定した。


 そして――


 「っふ!」


 思いっきり体を捻った。


『バキッ!』


 ……手応えがあった。


 当の眼鏡の男は、恐る恐るユミルから手を引くと、自分の手を見ていた。


「うぐぁああ!」

「……おいおい、折れてるぜ」

「まだこんな力が有るのか……リーダーは『知らない』とか言ってたけど、何者なんだよ?」


 ……叫ぶ男と、たじろぐ男達。


 本当であれば、この隙に動きたかった。

 しかし、最早自力で立ち回る事が出来ない。


 ……やがて落ち着いた眼鏡の男が、息を荒くしながら近づいて来た。


 そして――


「このっ! ボケがぁ! お、俺は、天才なんだぞ!」


 『それなのに手首を傷つけやがって! 殺してやるぅ!』と、喚きながら蹴って来る。


 痣にはなるだろうが、致命傷ではない。


 殺そうとするのであれば、もっと致命的なモノでなくてはいけない。そう、その手に握っているような、モノで――


 相当に頭に来たのだろう。暫く蹴っていたのにも拘らず、その興奮は治まる事が無く、遂には片手にアイスピッグを握りしめている。


「……ぁた……るぉ……?」


 蹴られた際に、首を痛めていたらしい。


『また同じ事になるよ?』


 と挑発したつもりが、言葉にならない音となっていた。


 少し残念に思いながら、自分へと迫るアイスピッグを見つめていた。


(……短い人生だったけど、最後の一年は良かったな)


 ――死を受け入れていた。


 最後を受け入れて、その目を閉じた。


 しかし――


「全く、あなた・・・の人生は始まったばかりでしょうに……」


 思いがけず聞こえた声に目を開いた。


 ――知っている・・・・・声の様な気がしたのだ。


 その姿が確認できた時、自然に言葉が出ていた。


「……ぁんぇなんで?」


 そう聞くと、目の前に立っている執事姿の男は、静かに言った。


「……娘を助けぬ親が居ますか?」


 そう言った後『全く、神楽様に付いて行くと思ったら……とんだじゃじゃ馬は変わりませんね』等と呟いていたが、ユミルの耳には届いていなかった。


 『何故ここに?』と言う疑問と、『お嬢様を助けないと!』と言う焦りが思考の大半を占めていた。それこそ、まだ敵がそこかしこに居る、と忘れるほどに。


 ……いや、敵が居るのはそれほど問題では無かったのかも知れない。

 目の前の男が来たからには、安全は約束されたようなモノなのだ。


 その証拠に眼鏡の男は、自身の振り上げたアイスピッグを、喉元から頭蓋骨に向けて貫通させている。……他の男達は、呆気に取られている。


「さて、ユミはそれ以上、血を流さないようにしていなさい……あの方にお願いすれば、あるいは助かるでしょう――フッ!」


 執事姿の男――ザイは、ユミルに話しかけながら、ハンマーで殴りかかって来た男の首を薙いだ。すると、男は一瞬目を見開いて倒れる。


 ……倒れた後で、頭と胴の間の辺りから液体が流れ出る。


 完全に動脈を切り裂いている。

 即死でなくとも、助からない。


「くそっ!」

「なめるなぁ!」


 その場に残った二人の男が、懐に手を入れるが――


「五月蠅い」


 直後、二人の手首が落ち、その首元は一文字に裂かれていた。


 一人はユミルの横に倒れ、もう一人は水槽に落ちた。

 ……水槽の水が、一つ飛沫しぶきを上げる。


「こんな程度でパニックになるとは……練度が低いですね」


 そう呟いたザイは、男の手首が握りしめていたソレ・・を手に取る。


「コレは……あの方に報告ですね」


 そう呟いて、安全装置を掛けてから、懐に仕舞った。


 そして、再び『ユミはそこに居るように』と言うと、扉から出て行った。



 ◆



 ――ザイの姿を見送りながら、ふとユミルは懐かしさを覚えていた。


 ……痛みの伴わない過去の記憶と、それを"懐かしい"と感じる初めての経験に戸惑いながら、『そう言えば、"ユミ"はお父さんが初めて呼んでくれた名前でした』などと考えていた。


 ザイに言われるまでも無く、当然動けるはずも無いユミルだったのだが……。

 一息ついてから気合を入れ直すと、全身を使って扉へと進みだした。


 『進む』と言っても、微妙に体を揺する程度であって、到底『進んでいる』とは言えないようなモノであった。





 ――ザイは部屋を出ると、その体の端の端に至るまで怒りを満たしていた。


 その怒りは、強烈な怒りであった。


 ……荒れ狂う暴風の様であった。

 ……全てを破壊する暴力だった。


 ――5分後。


 白かった筈のシャツを黒く染め、戻って来た。

 最上階に位置している部屋の、扉を開けた。


 ――驚いた。


 目の前に、到底動けるはずのないユミルが居たのだ。

 這いずって来たのだろう……その体を血で染めている。


「……成長したな」


 その"心"の状態を見ていたザイにとって、"驚くほどの成長"だった。


 あの、"少女"が今では他人の為に自分から動こうとしているのだから……それもこれも、全てはあの男と出合ってからだった。


 顔を微かに向けて来たユミルに、急かすような色を見たザイは、苦笑すると、ユミルをその腕に抱き上げた。


「さて、お二人も始めた頃でしょうし……」


 呟きながら、抱えたユミルの髪を撫でた。


「合間を縫って行きますか――神楽様、いえ……我がの元に」


 そう言うと、開いた扉から静かに下り始めた。

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