第93話 休息 [天秤]
『パパの命が狙われています』そう言ったマムを二度見、いや三度見した。
「パパって、俺だよな……?」
そう呟くと、マムが頷いて『マムのパパは、パパしか居ません』と、ちょっと分かりにくい事を言ってくる。しかし、マムが『パパ』と呼ぶのは俺だけなわけで……
「俺の命が狙われているって、どういう事だ?」
そう聞く他ない。
……今井さんも、固まっている。
「はい。これは、成長した時に確認できるようになったのですが……」
マムの言う『成長した時』と云うのは、今井さんがシンガポールに行った際の話だろう。今井さんも頷いて『100億掛けたからね』と呟いているが、世界規模の技術フォーラムと云うだけあって、かなり大きなイベントだったのだろう。
「このホテルは、ご存知の通り、顧客の依頼を受けます」
「そうだな、そのお陰で各地の施設から孤児を救出する事が出来た」
もし、ホテル側に依頼していなければ、今も各地へと救出に行っていた事だろう。
「加えて、このホテルは”中立”を保つ事を掟としており、特定の存在の肩入れをする事は決してありません」
「ああ、”中立”とはそういうモノだ……」
……少しきな臭くなって来た。
「それでは何故、ホテル側はパパの依頼を受けたのでしょうか」
「……それは、俺が個人だったからではないか?」
答えていて、苦しい説明だと自覚した。
「いえ、相手を”侵略や襲撃”する場合、個人であっても中立の立場は保たれます。それに、今回の場合パパが襲撃したのは”孤児院”……つまり、一つの組織です」
「……つまり、本来依頼は受託されないと云う事か」
「はい。本来は、受託されません」
「それならなぜ……」
「ただ、例外が有ります」
「例外?」
「はい。依頼主及び侵略先が共に”顧客”であった場合、”中立”な立場が守られることを前提条件に、依頼を受託する事が有ります」
……お互いが『顧客』であり、『中立』が守られる、か。
「つまり、今回の場合は”孤児院”が顧客だったと云う事か?」
それ以外に無いだろう。
「一部正解です、パパ」
「一部?」
「はい。”孤児院”がホテルの顧客だったのではなく、孤児院の”
なる程、そういう事なら分かる。
「それで、その”
言葉の途中で、マムの表情から察した。
「……分かりませんでした」
そう言って落ち込む、マムの頭を撫でる。
……マムって、頭を撫でても、神経通ってないから感覚が伝わらないんじゃないだろうか。そもそも、今の俺はマムよりも少し大きい位の身長で、俺が頭を撫でても、子供同士のじゃれ合いにしか……
少しの間、マムの前髪を見ながら、逃避していた。
そんな俺とマムの様子を見てか、今井さんが閉じていた口を開いた。
「それで、正巳君の命を狙っているのが、”孤児院”の
「いえ、”リクエスト”は有ったようですが、”矛盾依頼”に該当した様で”却下”されています……」
『殺害依頼』が有ったと云う事に、少し驚いたが、それよりも気になったのは……
「マム、『矛盾依頼』って言うのは?」
「はい、パパ。マスターの依頼と、矛盾する依頼だったのです」
マスターの依頼?
「……今井さんは危険が無いのか?」
「あくまでも今回”侵略”したのはパパでしたので、相手に”通達”されたのはパパの情報だけの様です……」
…………
黙り込んでいたら、今井さんが唇を噛んで絞り出すように言った。
「それって……僕が依頼しなかったら、正巳君の情報を相手に与える切っ掛けに、ならなかったんじゃ無いのかい?」
「はい、マスター」
……空気が重くなる。
「……そう言えば、今井さんはどんな”依頼”をしたんですか?」
一応、孤児院出発前に説明はされていたが、確認をしていた方が良いだろう。
俺の言葉を聞いた今井さんが、自嘲するように笑ってから、説明をしてくれた。
「先ず依頼したのは、正巳君の補助。それと、護衛。あとは、早く帰ってくる事だったかな」
……概ね、俺の理解と同じだ。
「今井さんが落ち込む事はありません。いや……ありがとうございました」
俺がそう言って、笑顔を向けると、今井さんは口をキュッと結んだ後で、ぎこちないながらも笑い返してくれた。
……大丈夫そうだ。
こんな事が、後々まで残る”後悔”となってはしょうもない。
今井さんが大丈夫そうだったので、改めて考えてみる。
……取り敢えず、現状で俺の命が狙われていると云う事だけ分かった。後は、ホテルの立ち位置と、敵は誰なのかだが……
「マム、ホテルは敵では無いんだよな?」
「はい、ホテル側はこのホテルまでの”護衛”をしていたので」
『護衛』と言ったマムに対して、今井さんが不思議そうに聞く。
「ホテルは、”中立”と云う事だけど、今回の”手伝い”は明らかに”中立”ではないんじゃないかな。となると、ホテル側は”中立にする”為にどんな譲歩をしたんだい?」
……確かに、今井さんの言う通りだ。
俺は、拠点の一つしか襲撃していない。
他の拠点は全て、ホテルの人員が襲撃及び孤児の救出をして来た。
”中立”と程遠く思える。
「はい、マスター。今回ホテル側は、『情報』『行動規制』『報復放棄』この三つを『襲撃補佐』と天秤にかけて釣り合わせたようです」
「具体的には、それらが天秤に乗る事でどうなるのかい?」
「はい、マスター。先ず『情報』は、”相手についての情報を共有しない”つまり、命の危険がある事を知らないと云う事になります」
……これは確かに、危険だ。
何も知らないで襲撃したら、返り討ちに合う可能性があるのだ。そして、実際に俺には知らされていないので、
「……それらは、問題なかったようだな」
ユミルが負傷したり、ハク爺が負傷したりと、『完全に問題なかった』とは言えないが、広く見て『問題なかった』と言う事が出来るだろう。
襲撃は受けたが、結果的に生き残ったのだから。
「はい、パパ。次に『行動規制』ですが、これは”ホテルが関連しての襲撃の禁止”と云う事になります」
……つまりホテル側は、守る事は出来ても、攻撃は出来ない、と云う事か。
「となると、相手が襲ってこなくなるのは……」
「”諦めた時”ですね、パパ。……ホテルの中は”不可侵”なので安全ですが、外へ出るのは危険かと思います」
「それって、正巳君は今後ずっとホテルの中に居るって事かい?」
今井さんの問いに、マムが答える。
「パパの”安全”を考えると、それが良いかと思います」
……冗談だろ。
一生、ホテル暮らしとか……聞こえは良いが、流石に嫌だぞ?
「……その話は後で考えるとして、最後の『報復放棄』について教えてくれ」
ホテルに籠るか、出るかの話をすると長くなりそうだったので、先に『報復放棄』について話を聞いておく事にした。
「はい、パパ。『報復放棄』は、ホテル側が”護衛”の際に失った職員に関して、一切の報復をしないと云う内容なります」
「つまり、今回怪我をしたり、命を落としていた者が居たとしても……」
「はい、ホテル側は何も動く事が無いと思われます」
……幾ら職務だとしても、俺の護衛をして、亡くなった者がいては、折角子供達を救出してきたと云うのに、後味が悪くなる。
命を犠牲に命を得るなど、選択肢には無い方が良いに決まっている。
「……命を落としたものはいるか?」
居ないでいてほしい。
そう願ったのだが……
「パパ、今回の”任務”で命を落としたのは、全部で14名です」
…………
「そうか……」
そう言えば、同じ班だったメンバー全員と顔を再会した訳ではない。
「マム、名前を読み上げてくれ」
そう言うと、マムが一人ひとりの名前を挙げ始めた。
「一班所属のカサイ、四班所属のカミイ、イクシマ、サンエイ、五班所属の……」
その後も、名前を聞いて行ったが、一番死亡者が多いのは四班と五班だった。
この2班合計で5名死亡している。
その後、最後まで死亡者が読み上げられたのだが、その中に知っている名前があった。
「……そうか、ジュウが逝ったか」
口数は少ないが、良い奴だった。
一緒に居たら、確実に仲良くなれただろう。
……もう少し話したかった。
「はい。どうやら警護中に”交戦”したようで、『敵三名を巻き添えに亡くなった』と報告には書かれています」
……敵三名を巻き添えに、か。
「その、『警護中』って言うのは?」
「はい。ホテルのデータベースに”職務マニュアル”が有りまして、そのマニュアルの6項に”『警護中、警護対象が不快もしくは一人になりたいと感じていた場合、一度距離を取ったと認識させ、警護を行う事。距離が有る際は二人一組で行う。具体的な方法として……』”」
マムの話を聞いていて思い出した。
俺が孤児院で、”情報”を探しに出た際に、ハムと話をした。
そして、ハムに見送られる形で、
この時の、ハムとの会話が『距離を取ったと認識させ』られた。と云う事なのだろう。とすれば、その後も俺の事を何処かで警護していたと云う事になる。
……もしかすると、この時に何かあったのかも知れない。
「……正巳君?」
今井さんが、心配そうにしている。
「いえ、亡くなった中に、一緒に出て行った仲間がいたので……」
結果的に俺が14名を殺したようなものだと考えると、居ても立てもいられなくなって来る。
だが、ここで俺がその事を口にすれば、今井さんが『護衛の依頼を出した自分が悪い』と言い出すだろう。
それは断じて違う。
この場合、そもそも子供達を”売買”していた者達が”悪”なのだ。
無事や安全を思った過去の自分の行動を、”後悔”するような事が有ってはいけない。
だから、知らなくて良い。
『あまり思い詰めてはいけないよ』と言ってくる今井さんに、『はい、大丈夫です』と答える。
……実際、俺が悲しんで心を病む、と云う事は無いだろうが……心の深い所に”衝動”が生まれて来るのを感じる。
……『殺せ、殺せ、排除せよ』そう言ってくる。
「スーハー……」
大きく二度、呼吸をして、落ち着かせる。
……心臓の鼓動が聞こえる。
『”ドクン、ドクン”』と、静かにリズムを刻んでいる。
大丈夫、俺は落ち着いている。
「マム、孤児院の
そう言うと、マムが『はい、パパ!』と返事した。
それを確認してから、今井さんの方を向いた。
「今井さん。マムから、岡本部長に襲われたと聞いています」
ピクリと反応したが、構わず続ける。
「……俺は、守られている気は有りませんし、大切な人を守りたいんです」
一呼吸する。
「俺には、まだ力が足りません」
事実、今の俺には何かを守る力はない。
……有るのは、怪力と金銭だけ。
こんなものでは、大切な者を守る事など出来ない。
危険が迫った時、何かを捨てなくてはいけない状況になり得るのだ。
だから――
「俺には”力”が必要です――知恵も」
力とは、知恵が伴ってこそ、十分に生かされる。
「それを得るには、訓練が必要なんです……だから――」
皆迄言い終わる前に、今井さんが答えた。
「僕だって、守られているだけは章に会わないさ……出来る事が有るからね。それに、
そう言いながら、今井さんが手を差し出して来る。
「……そうですね」
「そういう事!」
「それじゃあ……共に!」
「ああ、共に!」
そう言って交わした小さな手は、実際よりも随分と大きく感じた。
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