アベイ・ドゥ・クリュニーの鉢植え

 ネットで注文して三日後に花瓶は届いた。透明で細身、底から流星のような波が長短織り交ぜられたデザイン。国内メーカーの花瓶で一万円程度の物で、優里のアドヴァイスにも従った。化粧箱には入れて貰ったが、包装もリボンも自分でやるつもりだ。その辺は花屋が実家の長所を活かして、少しでも気持ちを込めたい。


 商品を店先で受け取って家の奥へ歩いていると、母さんが声をかけてきた。


「それ、梨奈ちゃんへの贈り物?」


 荷物が届いたとき客の相手をしていたから、その隙に受け取って……と思っていたのに逃げられなかった。

 口数の少ない父さんと違って、母さんは話好きだ。高木梨奈に仕事を教えているのも母さんだし、休憩時間には笑って雑談もしているようだ。

 近寄ってきて、俺の返答など聞かずに耳元で、


「花瓶贈るんだって?」


 その声は微妙にからかうような感じがあった。


 ……チッ、優里の奴、母さんに話したなぁ。ということは父さんにも伝わっていると見ていい。参ったなぁ。


 これは隠しても仕方がないと素直に答える。


「ああ、そうだよ」

「お父さんも私も梨奈ちゃん気に入っているから、逃がすんじゃないよ!」


 母さんは嬉しそうに言う。女っ気の無い俺を心配していたのか、それとも本当に高木梨奈を気に入っているからなのか、まぁきっと両方だろう。


 しかし、祭りで金魚捕まえるみたいに軽く言わないで欲しいものだ。俺だって、いや、俺こそ高木梨奈と付き合えたらと心底願っている。だけど、どうしたらいいのかなんか判らないまま、やっと自分の気持ちを告げられたばかりだ。


「俺なりに頑張ってはいるけど……」


 やっぱり母親に恋愛の話するなんて小っ恥ずかしい。

 他の家ではどうなんだろうか?

 少なくとも啓太は誰かに相談しているとは思えないし、まして親にはしないだろう。


「梨奈ちゃんは、仕事も熱心で丁寧。明るくて可愛らしいね」


 高木梨奈のことを褒められると凄く嬉しい。俺はつい照れてしまう。


「陽平。誠実にね? 私に対してお父さんはいつも誠実だったから一緒になったの。そりゃ、長く一緒に居れば喧嘩もするし、気に入らないところだっていくつもある。お父さんも私もね。でも、お父さんなりに誠実に接してくれようとしているのだけはずっと変わらない。だからそれに応えようと思うし、ここまで一緒に居られた。忘れないでね?」


 優里ほどではないけれど、ふざけて会話する母さんが真面目な顔で父さんと母さんのことを話した。こんなことは初めてで、母さんなりに俺を心配してくれているんだって判った。高校のときなら、こんなことでも反発していたかもしれない。でも今なら、だいぶ素直に受け入れられる。


 俺も少しは大人になったのかな?


「陽平、あなたには融通が効かないところがあるし、優里のように器用でもない。だから失敗もするだろうけれど、梨奈ちゃんに誠実に接しようとしてるのは私も父さんも判っている」


 アプリコットオレンジの薔薇……アベイ・ドゥ・クリュニーの鉢植えを指さし、


「そうね、陽平は赤や白の薔薇という感じじゃない。だからこのオレンジの薔薇を目指しなさいな」


 客との会話に使えるから花言葉はかなり知っていて、華やかな薔薇はきっちり押さえている。

 オレンジ色の薔薇の花言葉と言えば、信頼・絆・愛嬌。

 母さんは、信頼されて絆を作れるようになれと言いたいんだろう。


 俺がオレンジ色の薔薇なら、高木梨奈はピンク色の薔薇だな。

 ……恥ずかしいから口には出さないけれど。


 温和に微笑み、俺の胸をパンパンと叩いて、母さんはしょうひんのチェックに戻った。

 

 なんかさ、恋愛を家族に応援されるのってすごく照れくさい。努力を判ってくれる人が身近に居るって有り難い。しみじみと感じた。



 俺は届いた荷物を片手に、自室へ向かう。

 包装紙もリボンも用意してある。商売で使ってる奴じゃない。駅ビルの文具屋で選んできた。

 これから自室で、「メリークリスマス」と一言だけ書いたカードを入れてラッピングする。字はあまり綺麗じゃないけど、やっぱ手書きの方がいいんじゃないかと思って、大学入学時のお祝いに買って貰ったちょっとお高めの万年筆で何度もカードを書き直した。


 ……俺の字を見て笑われるかな……でも、ビビらないと決めた。


 机の上に置いたカードを思い出し、笑われてもいいやと開き直る。


 来月の成人式が済むまで忙しい。高木梨奈との時間などほとんど取れないだろう。

 だから、プレゼントだけでも渡して、俺なりの気持ちを伝えられたらいいな。


 母さんの言葉もあって、ちょっとセンチな気分で扉を開けた。


「花瓶届いたね? この優里さんがチェックしてさし上げよう!」


 俺の部屋には優里ニヨニヨが、ベッドに座って待ち構えていた。敵との予想外の接触に、センチな気分などどこかに飛んでしまった。


「おい、勝手に入るなよ」

「どうせノックしても気付かないでしょ? だったら最初から居た方が、お兄ちゃんも心構えができるじゃない?」

「心構えって……」

「どうせさ? 梨奈さんとはLINEでいろいろ話しているんだよ。もちろんお兄ちゃんのこともね?」


 イヒヒと笑いそうな顔で優里はベッドから立ち上がる。

 高木梨奈の携番は、長沢優衣の元カレがストーキングした際に電話貰ったあと登録している。高木梨奈にもちゃんと登録する許しは得ている。だけど、まだ使ったことはない。

 なのに、優里はいろんなことを話しているだと?

 ……納得いかねぇ。


「俺のことも?」

「そうだよ~。お兄ちゃんが好きな食べ物とか、嫌いな芸能人のこととか、いろいろだよ? もちろん……お兄ちゃんと梨奈さんの間であったことも少しはね」


 マジか!?

 よりによって、最大の敵ゆりに知られているとは……。

 それより、優里と高木梨奈はどこまで仲良くなっているんだ?

 バイトでうちに来る時間は多いから、優里と彼女が仲良くなっていてもおかしくはない。俺が配達などで出ている時間に女同士で楽しく会話しているのはいいこととも思う。

 でもだ、俺の話題でとなると、ちょっと困るなぁ。


 ……ということはだ。

 ここで隠しても、花瓶の情報はすぐに高木梨奈から優里へ伝わると考えた方が良い。


「……これだよ」


 机前の椅子に座り、荷物の包装を剥いで中から白い箱に入った花瓶を取り出す。

 俺の手から透明な花瓶を両手で取って窓から射す光にかざし、優里はフムフムなどと偉そうに頷きながら見ている。 


「お兄ちゃんにしてはセンスの良いモノを選んだね。いいと思うよぉ」


 満足げに微笑み、陽を通してキラと光る花瓶を手渡してきた。

 小憎らしい妹だが、何だかんだ言っても、優里から合格を貰えたことにホッとしていた。


「そうか、良かった。じゃあ、これからラッピングするから出て行ってくれよ」


 「はぁい」と明るく返事して、優里は部屋を出て行った。珍しく捨て台詞みたいなことは何も言わずに。

 さてと……と、俺は高木梨奈が喜んでくれることを願って、ラッピングに取りかかった。

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