【見えないからこそ、強きチカラ】 第二二部
ユメの手を握りながら、俺は自分の歩幅で家へと向かう。
でも、今日はなんだか歩きにくい。ふと後ろを見るとユメはあの謝罪からずっと俯いたまま顔を上げようとしない。そして、いつもよりも歩き方が心もとなく、幾分かその歩みが遅い。
それは、元気をなくしているからそうなっているのか。それとも、本当のユメの歩幅ってこんなにも小さなものだったのか。二十年近く一緒にいるのにそんなことさえわからない。当たり前だと思っていることが当たり前じゃない。こういうことがない限りそんなことさえ気づかない。
俺はそっと歩く速度を落とし、ユメの隣になるようにする。
ユメが下を向いているから、俺は上を見上げた。すると、そこには本当に丸い満月があった。雲は少しあったけど、それでもその満月ははっきりと見えた。
少し顔を上げるだけで、この満月が見えると言うのに、ユメは依然として下を向くばかり。
俺が今だにユメに話しかけられないのは話すことがないからではない。ましてや、話すことなんて屋もほどある。ただ話しにくいからだ。なんてことはない。もう、これだけの付き合いなのだ。空気を読むような会話はお互いにしない。思ったことを思った時に言う。それが自然体で、それが俺たちにとって一番いい会話なんだ。
ただ、ユメがなんでここまで落ち込んでいるのか分からない。
いや、そもそも落ち込んでいるというのかさえ分からない。俺があの場に来たことを自分のせいだと悔いているのか。それとも、あの男の言葉に何か思うところがあったのか。いずれにしろ、ユメに聞いてみないと分からないことばかり。
でも、それって聞いて答えてくれるものなのだろうか? 俺が「どうしたの?」って聞いて、ユメは素直に自分のことを話してくれるだろうか?
そんなの言うわけがない。だって、言うのなら最初から言っている。
もしも、落ち込んでいるのなら「すみません」って言葉から始まって、「少し、気分がすぐれないので黙りますが、気にしないでください」と。
もしも、悔いているのなら「ごめんなさい」って言葉から始まって、「私のせいで叶汰に迷惑をかけてしまいした」と。
ユメがどう喋って、どう俺のことを想っているか。それはなんとなく分かるのに、ユメが今何で悩んでいるかが分からない。
「なぁ、ユメ」
自分でもなんで話しかけたのか分からなかった。でも、気づくと俺はユメに話しかけていた。
話しかけておいて黙るのもおかしいから、俺は想っていることというか、思い付いたような言葉を語りかけた。
「俺は、ユメのことが好き」
世界でこんなにも突然で、不躾な告白があるだろうか。
でも、上を見ればまん丸な月の輝きが、こんなにも暗い夜を照らす街の灯りが、ゆっくりと、この止まることのない時を歩む俺たちを照らしているのだ。シチエーションとしては百点満点だ。
「ユメが初めて俺に出会った時のことを俺は覚えていない。母さんからユメと初めて逢ったのは、俺が生まれてから十日後のことだと前に教えてもらったけど、覚えてるはずないよね。だって、生まれてまだ十日しか経ってない赤ちゃんがどうやってそんなことを覚えるかって話だよね。産んでくれた時のお母さんの顔さえ覚えていないのに。ましてや、目だって見えてたの? って話だよね」
俺たちの歩く道は幾度として二人で歩いて来た道。それは、晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、雪の日も。楽しい時も、嬉しい時も、悲しい時も、怒っていた時も。
ただのアスファルトの道路。歩道があって、道路に対して薄汚れた白色のガードレールがある。そんでもって、道路のあちこちに雑草がこれでもかと生えている。
どこにでもある。でも、ここにしか存在しないそんな道路。
そんな道路を。今マニで何度二人で歩いたかも分からないそんな道路を俺たちは歩く。
一人は語り、一人はそれを静かに聞いてくれる。それ以外は何もいらない。
「初めて俺に逢った時ユメはどう想ったのかな? 自分の対象者は男の子かって感じた? それとも、大変そうな子供だったら嫌だなって感じた?」
俺は自分で言いながら、自分をそんな風に卑下することしかできないことに悔しさのようなものを感じた。でも、あんなことがあった後に、カッコつけるなんて、男としてできることではなかった。
「俺が初めてユメに出逢った時。初めて、俺がユメをユメと認識した時。俺はユメのことをお姉ちゃんだと勘違いしたよ。全然似てないのにね。でも、そん時の俺はアンドロイドのことなんて知らなくて、もう少し後になってからユメのことをはっきりと理解することができたよ。でも、どんなに知識を得ても。人間は生きるために水分を取らないと生きられない。そんなふうな当たり前的なことをどれだけ教えられてもさ。ユメがアンドロイドだってことが信じられなかったよ」
母さんと父さんに初めて、ユメがアンドロイドで、俺たちとは違うのだと言われた時。学校の先生が初めてこの世界にはアンドロイドというものが存在すると説明した時。図書館でアンドロイドと、辞書を引いた時。
誰が、どんなものが、何度言われても、俺はユメがアンドロイドだと信じられなかった。
「この歳になっても今だに信じられていない自分がいるよ。もしかしたら、ユメはアンドロイドじゃないのかなって……。でも、アンドロイドなんだ。いつまでも俺は子供ではいられなかったよ。時間が経つごとに、今まで否定してきた知識が、当たり前が自分の中で肯定していったんだ」
人間は水分を取らないと生きられない。それは違うと争い続けても、それは是非を言わせない事実。すなわち時が経てばおのずとその正当性を打ち付けられる。それは、幼き頃の俺もそうであった。
「ある時はそんな自分を嫌になった。変に大人になって、物事をはいそうですかと解釈しているみたいで。それでも、俺は違うと想えている自分をかっこいい。なんてことさえ想ってたさ」
でも、どれも一瞬だけ。残るのはいつも現実と事実のみ。
「でも、最後に残るのはユメがアンドロイドという事実だった……。それでも、それでも俺は何かを得たかった。だから、あの日俺は行動した」
それは、いつの間にか。ユメが笑った時、俺に対して怒った時、髪を撫でてくれた時、俺をそっと抱きしめてくれた時、どの瞬間だって覚えているのに、その瞬間だけは分からなかった。でも、たしかにそうだったんだなって感じた時。俺はユメに想いを告げた。
何かが変わることを信じて。
「ユメのことが好きだ」
そう呟いた。あの日は「彼女になってくれ!」なんて言っていたと思うけど、さすがに恥ずかしくて言えなかった。でも、俺の伝えたいことはわかるはず。それさえ伝われば、言葉なんてなんでもいい。
「あの時は、今の状況が変わればいいと思った。ユメが俺の彼女になってくれれば嬉しいと思った。そして、ユメの返事を聞いて、俺はショックを受けた。でも、今は違う」
“思い続ける先に奇跡は起こる”
何かの奇跡にかけている訳ではない。いや、少しは奇跡だって起きてほしいと思っている。でも、本当に考えていることは、想い続けることが大切なんだということ。それによる結果、経過、その原因。そんなことさえ考える必要はない。
そこにある事実だけを知ってることが大切だと、俺は道端先生の言葉から学んだ気がする。だから、俺はユメに告げる。
「俺はずっとユメのことが好きだ」
そう言って、俺はもう話すことをやめた。俺の言いたいこと。伝えたいことはすべて話した。それ以上話す必要はない。
それに、もうすぐ家に着く。時刻はもう日付も変わっている時間で、今日、俺は受験をするために、受験校へと向かう。
色々あったけど、本当に色々あったけど、それでも俺の人生は歩むことを止まってはくれない。その歩みに違いはあるけど、止まることだけはない。
家の扉を開ける時、扉の音が静かな夜の静寂を少しだけ阻害する時、後ろで「ありがとう」という声が聞こえた気がした。
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