【人生とは常に波乱の中にいる】 第十一部
「今日は楽しかったね、叶汰」
「そうだな。いい気晴らしができたよ」
「ほんとに、子供みたいに遊んでたね」
「子供だから当たり前だろ」
「もう一八歳にもなる高校生の言葉とは思えないなぁ」
「十八はまだ未成年だからな」
「そうだね」
俺達は駅に着くとそのままホームについたばかりの電車に乗った。
そして、電車に乗る前に俺に話があると奈々実が言っていたのを晴人とユメは聞いていたので、電車に乗るタイミングで他の車両へと乗り込んでいった。だから、俺のいる車両には、少しばかりの乗客と俺と奈々実の二人のみ。そして、窓沿いに設置されている長椅子の中でも、俺と奈々実の座っているところには俺達以外誰も座っていない。
電車に乗ってからもうどのくらいの時間が経ったか分からないが、さっきから奈々実はいつも通りに俺に話しかけてくる。当初、すぐにでもユメのことを聞いてくるかと思っていたが、そんなことはなかった。むしろ、ユメとの話題を避けるように話を進めてくる。
俺もなんとかなんともないように振舞ってはいるが、奈々実の口からユメの言葉が出てくるのを今か今かと待っていて、心臓は電車に乗ってからうるさくてしょうがない。
「ねぇ、叶汰聞いてる?」
「えっ? なに?」
「だから、夏休みが終わったらどうするのって聞いてるの」
「あぁ、夏休みが終わったらなぁ」
俺は少し先の未来のことについて考えてみる。でも、答えは一つしかない。
「勉強だよ」
「まぁ、そうだよねぇ〜」
俺の横でうなだれる奈々実を見ながら、俺も言っておきながら正直乗り気ではない。むしろ、受験勉強が好きな人とかいるのだろうか……
あの、独特の緊張感からは早く解き放たれたいものだ。
「とはいっても、奈々実も勉強だろ?」
「そうだけどさ〜」
足をバタバタ動かしながら、返事を返してくる奈々実。
「お母さんに、家庭教師つけるかって言われたんだよ」
「いいんじゃないか?」
「なんで?」
「なんでって、家庭教師ってことは自分が一番落ち着いた場所で勉強できるだろ?」
「まぁ、たしかに」
「しかも、年が近いから親しみやすいし」
「そうとも限らないけど……」
「そんでもって、進学した大学で出会えるかもしれない」
「叶汰。どんな家庭教師を想像してるの……」
「え、家庭教師ってこんな感じだろ?」
うなだれていた奈々実が今度は大きなため息をついてさらにうなだれ始めた。
「あのね。叶汰のいうような家庭教師なんていないから」
「そうか……」
「そうよ。それに普通に考えて、自分の知らない人が自分の部屋に入り込むのよ。身内にだって恥ずかしいのに、赤の他人の誰かに何時間も一緒に自分の部屋に一緒にいられるなんて普通嫌でしょ」
「まぁ、奈々実の言うこともわかるな」
「でしょ」
俺の部屋にも入ってくるのは家族ぐらいだ。そこへ会ったことも、見たこともない人が入ってくるというのは、考えただけで嫌だ。もちろん、相手にもよるが、少なからず抵抗はある。
「ねぇ、叶汰勉強教えてよ」
「はい?」
「だから、勉強教えてよ」
「ちょっと待て、俺も受験生だぞ?」
「ほら、勉強を教える側もそれによって勉強になるって言うじゃない」
「たしかに、そうは言うけど……」
奈々実の言う通り、あながちその言い分は間違っていなかった。
以前に自分がやっていたこと。理解できたことを別の誰かに教えることで相手にも自分にもその知識が刷り込まれていく。そうやって確かな知識にしていく。受験生である俺たちに必要なのは多くの知識でもあるが、確かな知識。やったことのある英単語ではなく、意味をしっかりと知っている英単語とでは本番の試験の時の理解度には雲泥の差が生まれる。
そう言う意味では奈々実の提示する勉強法は非常にいい。でも……
「嫌だ?」
「いや、そうじゃなくて」
「私に勉強教えるのめんどくさい?」
「違うよ」
「ユメちゃんとの時間が減るから?」
「…………」
そうだった。奈々実の言う通り俺は、教えることでも、勉強方法が変わることなんかでも、他の何よりもそれが堪え難かった。
「好きなんだね。ユメちゃんのこと」
「あぁ……」
「それは、異性として……だよね……?」
俺は返事をする代わりに、コクリと頭を下げた。
「そっか……」
電車の揺れる音を聞きながら俺たちはお互いに相手の気を伺う。
次に何を話せばいいのか、なんと声をかければ正解なのか。
でも、出てくる言葉は結局率直で、混じりっけのない思いだった。
「叶汰。分かってると思うけど、ユメちゃんはアンドロイドだよ?」
「あぁ……」
「それって自分の飼ってるペットに恋するようなものだよ?」
「ユメはペットなんかじゃない」
「でも、アンドロイドだよ」
“ユメはアンドロイド”
「叶汰は人間で、ユメちゃんはアンドロイド。もうこれだけで何が言いたいか分かるよね……」
“俺は人間で、ユメはアンドロイド”
なんども自分の中で自問自答した言葉。それは、最近ではなくなっていたが、ユメに想いを伝える前にはそれこそ毎日のように自分に問いかけた言葉。
実るはずのない恋。誰も祝福はしてくれない恋。そして、ユメにとって果たして嬉しい恋なのだろうか……
その言葉から、様々な想いを巡らせた。
だから、奈々実の言いたいことなんて嫌ほどわかる。
「俺は間違ってるってことだろ?」
「いや、そうじゃなくて……」
「じゃあ、なんだよ。はっきり言えばいいだろ」
「だから……」
自分でも奈々実に対し口調が荒いのは分かっている。
でも、でも、そうでもしないと奈々実の言葉を飲んでしまいそうになる弱い自分がいる。
“やったって無駄”
“意味のない努力”
“実るはずのない恋”
何かを犠牲にしてでも抗わないと俺は自分の気持ちに負けてしまいそうになる。
「ユメちゃんとは恋なんてできないよ」
「別に恋したいってわけじゃない」
「じゃあ、なんなの? なんでユメちゃんに告白なんかしたの?」
「ただ伝えただけだよ。俺がユメのことを好きだってことを」
「じゃあ、それはただの信頼関係を確かめたってことだよね?」
「違う」
「じゃあ、なんなのさっ!」
車両の中に奈々実の声が響き渡る。もちろん、俺たち以外の少しばかりのお客さんはこちらを見ている。でも、今はそんなことはどうでもいい。
奈々実は俺を睨みつける勢いで視線を送ってくる。
「恋でもないし、信頼関係の確認でもない。それでいて異性としてユメちゃんのこと好きってそれってじゃあ、一体なんなのっ! 私には叶汰の言いたいことがわっかんないよ!」
「俺にだってわかんねぇんだよ……」
「なにそれ。自分の気持ちでしょ?」
「お前に俺の何が分かるんだよ」
「えっ?」
「自分の気持ちだからとか、恋とか信頼関係がどうとかって言葉で表現できるほど簡単な問題じゃないんだよ!」
奈々実の俺を見つめる視線は弱くなり、逆に俺は奈々実を強い眼差しで睨みつける。
「毎日、毎日そばにいるユメを見ては、心がときめいて、それでずっとそんな毎日が続けばいいなって思いながら、あと数ヶ月、あと何日、あと何時間でその毎日がなくなるってことを考えながら生きてるんだよ! 何十年も隣にいた大切な存在がいなくなることが怖くて、嫌で、悲しくて何が悪いんだよ!」
「私そんなこと言って……」
「あの姿が、あの笑顔が、あの声が消えた生活を考えたことあるのかよ……。この世のどこを探しても、二度とその光景を見ることができないなんてことをお前は考えたことあるのかよ…………」
俺の問いかけに奈々実は何も答えない。そして、俺自身このあと何を言えばいいのか分からない。
何も出てこない口の代わりに、瞳からは雫がこぼれ落ちてくる。
「ユメを失ったことを考えると俺はダメなんだよ……。それで、馬鹿みたいに足掻いてる結果が今なんだよ」
目の前がにじんで、奈々実がどんな表情、どこを見ているのかさえ分からない。
「奈々実に何を言われても、俺はもうこの想いを曲げることはしない」
一度は曲げてしまいそうになった想い。そしてそれは、曲がりすぎてついには折れてしまいそうだった想い。
“ユメのことが好き”
もうこの想いに嘘はつかないと決めた。あの日、先生の一言で……
「ごめん」
「ななっ……」
謝罪の言葉を一つだけ残して、奈々実は俺のいる車両から隣の車両へと行ってしまった。俺はその後ろ姿だけを見て、深く座り込む。
奈々実のことを追いかけようとは思わなかった。いや、俺には奈々実を追いかける資格なんてなかった。
自分の考えをぶつけて、相手の想いなんて考えずにただ自分の想いをぶつけた。そんな俺に奈々実を追いかけて、どうこうしようなんて資格はなかったのだ。
「結局聞けずじまいだったな……」
浜辺での奈々実のあの表情の真意。話の流れ的に俺は聞けなかった。こうなってしまった以上、もしかしたら二度と聞く機会はこないかもしれない。それどころか、二度と奈々実と今までのように話をすることさえ難しいのではないかと思ってしまう。それくらいに俺は奈々実にひどいことをしたと今になって深く思う。
でも、どうしたらいいのかわからない。どう考えても考えを押し付けた俺が悪い。だから、俺が謝るべきだが、言った内容については間違っていないと思う。それさえ、自分勝手かもしれないが、これは曲げられない。だからこそに、難しい。
「本当にどうしたらいいんだろうなぁ…………」
見慣れた街並みを見ながら、まもなく俺たちの住んでいる街の駅に着くという電車のアナウンスを聞き流しながら、俺は外の景色に考えを投げかけた。
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