第90話 泡沫の休息(2)

「見えなければいいだろ。サークレラの公爵夫人だから、無闇に背中を触れられることもないし」


 もらった肩書きが役に立つといわれ、それもそうかと頷いた。サークレラは、リュジアンに続きツガシエも自治領として受け入れたため、大陸一の大国になっている。そんな大国の王族につながる公爵夫人の身に、許可なく触れる無礼者はいないだろう。


「ならば、一緒に海に行けるな。約束を守れそうでよかった」


 安心しきった笑顔のルリアージェが告げた言葉に、魔性達は顔を見合わせた。エンラ国の海辺で休暇を過ごす。今回の誘拐騒動で吹き飛んだ計画を、約束だからと守ろうとする。彼女の生真面目な性格を彼らは好ましく感じた。


「そうね、約束だもの。一緒に海辺でゆっくりしましょう」


「リアは魚料理が好きだったな。腕を奮うから楽しみにしてろ」


 ライラとジルの声に、ルリアージェは嬉しそうに笑う。平和な会話が擽ったく、どこか誇らしく感じた。


「さて、あたくしは戻るわね」


 編み終えた三つ編みを背に放ったライラが、指先で氷の棺を叩いた。透明度の高い氷は、眠る少女の髪や表情まで伺える。玻璃の中で眠っているようだ。


「……凄いな、この氷は溶けないのだろう?」


「ええ、自然に溶けることはありませんわ」


  氷の棺を作成したパウリーネが得意そうに肯定する。表面に刻んだ魔法陣を覗き込んだルリアージェが、記号の一つを指差した。


「これは何を示しているんだ?」


「こちらは私を示し、隣のこの記号が大地の魔女を示すものですわ」


 他者の魔力を受け付けないよう刻んだのだと説明され、ルリアージェは目を輝かせて魔法陣を指でなぞっている。


「試していいか?」


「問題ありませんわ。リア様の魔力は指定していないので、溶ける要素にはなりませんもの」


 パウリーネは指摘しなかったが、攻撃を反射する記載がない魔法陣なので、危険もない。興味深そうに、炎の魔法陣を描いたルリアージェの手が乗せられた。表面を炎で炙っているのに、まったく状態が変わらない。溶けるどころか、炎に照らされた氷は美しく光を透過して輝いた。


「ライラは今の姿と、この少女の姿のどちらが本物だ?」


 一通り興味が落ち着いたルリアージェの疑問に、ライラは少し考えた。片方が本物で偽物ではなく、どちらも本物なのだ。肉体年齢が少女で止まったのは、精霊王である父親が眠った影響だった。代替わりで急激な霊力が流れ込み、受け止める器が霊力ごと時間を封印した。

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