第60話 落ち続ける水滴の記憶(1)

 覆い被さるような黒々とした波に、ルリアージェは目を逸らさない。


「ジル、後ろの街も守れるか?」


「当然だろ。リアが希望するなら守ってみせるさ。だから命じろ」


 ジルを心配しているのか、ルリアージェはいつも「できるか」と尋ねる。命じることになれない主人に肩をすくめ、ジルは背に翼を出した。久しぶりに広げた黒い翼が風を巻き起こす。


 ジルが父親から継いだ膨大な魔力と、母親の種族特性である霊力が交じり合い、互いを打ち消しあいながら渦をまいた。ぶわっと黒髪が舞い上がり逆立つ。同時にルリアージェの銀髪やスカートが巻き込まれる。スカートを手で押さえながら、ルリアージェは前方の魔性を睨みつけた。


「波を起こした魔性を排除しろ」


「「「我が主のために」」」


「「承知」」


 命じた声に、5人がそれぞれ答える。


 大地の魔女ライラが津波の余波を防ぐ防波堤を作り出した。その手前に青白い炎が分厚い壁を描く。街全体を覆う大きさの魔法を、手元の魔法陣で簡単そうに操る彼と彼女はまだ余裕があった。


 パウリーネが水虎を呼び出して炎の壁の前に置く。数匹をばらばらに配置すると、虎を軸に三角の結界を張った。その中央に緑の魔法陣が浮かび上がった。巨大な魔法陣が生み出す風は街への被害を防ぎ、ルリアージェの願いを叶えるための手段だ。


 瞬きほどの時間で整えられた準備に、ジルは満足そうに頷いた。直後にルリアージェを連れたまま、一瞬で最前線に転移した。安全だからと配下の結界に置いてくるような真似はしない。相手が上級魔性程度なら気にしないが、仮にも魔王として名を馳せた相手だ。


 仕掛けられたときに対処できる場所にいて欲しい。そして戦いのたびに蚊帳の外へ置かれる彼女が、いろいろ気にしていることも知っていた。だから一緒に転移したのだ。


「リア、オレを守って」


 強固な結界を展開した中で、空中に浮かんだジルがウィンクしながら提案する。虚を突かれた顔をしたが、すぐにルリアージェの頬が緩んだ。魔法や魔法陣による魔術ならば、明らかにルリアージェが一番劣る。そんな彼女に頼るなら、ジルの精神面を支えて欲しいという要請だろう。


「わかった」


≪我が左手に、死神の鎌アズライル


 呼ばれたアズライルが顕現する。別空間から一瞬で現れた銀の刃は、背丈を越える大きさで美しい曲線をみせた。


『ほう、水の魔王か。まだ代替わりせぬとは頑張るものよ』


 感心しているのか、馬鹿にしたのか判断に困るような発言をするアズライルに、ジルが苦笑いした。


「あの津波を斬ると同時に鎮めるぞ」


『簡単なことだ、我が主』


 街は巨大すぎる波に夜の暗さを味わっていた。絶望感が街中に広がっていく。恐怖に震える人々を背に、ジルがアズライルを一気に振り下ろした。

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