13.***止雨***

 ブロンズ色に鈍く輝く髪を掻き上げ、青年は溜め息を吐いた。


 目の前に横たわる封印の石――そこに開封されたらしき様子はない。完全に封じられた石の下に、彼女は眠っていた。


『……真桜さま、あれらに好かれましたね』


 ここに眠る彼女が甦ったとして…はたして真桜を傷つけるだろうか。


 女であるが故に狂い、母親であるが為に己の狂気を疎む人なのだから。独占欲で縛ることを恐れ、自ら封印を願い出たほどの女性だ。


 そんな事態は考えられなかった。 


 いつだって真桜を傷つけるのは―――誰かに愛された記憶だけ。


『報告に戻りましょう……っ、これは?!』


 不自然な気の流れに眉を顰め、じっと目を凝らして流れを乱す源を探る。


 封印石の先に立つ桜の木―――そこから漂う邪気に手を伸ばし、触れてから溜め息を吐き出した。


『……正直、私では手が出せない領域ですね』


 邪気を祓うだけならシフェルにも可能だ。


 仮にも死神に属する以上、並みの陰陽師を越える実力は持っていた。だが……これは分野の違いだ。力の種類が違うなら、どれだけ力を揮っても効果は期待できない。




 嫌な汗が背筋を伝った。


 じっと見つめる先で竜体がうねり、稲妻が目を焼く。


 怒りと苦しみを知らしめるように荒れる空を見上げ、真桜は小さく神呪を唱えた。それは神々を称える類のものではない。


 低く高く音を紡ぐ唇から零れる神呪は、まるで音楽のように響いた。


「アイツのこの神呪は初めて聴く」


 耳ざとく聞きつけた男が目を細めて呟いた。陰陽寮の中でも真桜に近しいと認める者なのか、華守流も華炎も彼と真桜の間に入り込もうとはしない。


「……明里、だったか?」


 呼び捨てられたことに不快さを示しながら、アカリは黒髪の男を睨みつけた。発音を違えた名は、アカリの本質に触れない。


「北斗だ。よろしくな」


 にっこりと笑顔で手を差し出され、手を組んで握手を避ける。


 少し風変わりな男だがアカリの興味を誘う要因はない。あくまでも『つまらない人間風情』の枠を出なかった。


「嫌われたか……」


 苦笑して肩を竦めるが、それ以上は入り込んでこない。北斗と通り名を名乗った彼は、青龍刀片手の華守流へ声をかけた。


「アイツ、また無茶するんじゃねぇだろうな」


『大丈夫だ。我々がいる』


「そっか……頼むよ」


 その光景はひどく不思議だろう。


 下っ端の陰陽師に華守流と華炎は視えない。アカリは人間に視えるよう具現化しているが……彼ら2人は違った。平然と空間へ話しかけ、返答を得て満足げな北斗の姿は異端だ。


 もちろん、ここが陰陽寮という特殊な状況と場であっても、一握りの実力者以外に式神は視えない筈だった。


「お前……視えるのか?」


 思わず自分から声をかけたアカリが慌てて口を噤む。しかし人懐っこい笑顔を浮かべた北斗は、真桜を指で示してアカリへ近づいた。


「アイツの周辺は式神やら神様やら……本当にいろいろ集まるな。俺は幸い視えるタチなんだが、アンタも人じゃないんだろう?」


 強い言霊を宿さないよう、声色を僅かに変えて問いかけた北斗の用心深さを好ましく思ったアカリは、抑え込んでいた神力の一部を晒した。


 淀んだ黒い雨に穢れた地上に、ふわりと清浄な気が満ちる。


「……こりゃ驚いた! あまつ神の連なりか!」


 発音を違えて正体を言霊に乗せない北斗へ、アカリは意味深な笑みを向けた。


「真桜の周囲は本当に我を飽きさせない者ばかりよ……」


 顔を見合わせた華守流と華炎が、一斉に真桜へ視線を投げる。


 雅楽に似た不思議な高低を操る言霊が切れたのだ。ふわりと霊力で踊る髪を靡かせ、白い真桜の手が空へ伸ばされた。手のひらを上に、何かを請うように両手が掲げられる。


 降り続いていた雨が小降りになり……これから僅か一刻ほどでぴたりと止んだ。

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