第141話 常識のお勉強会

 サボテンもどきから素材を剥ぎ取り、適度な水分補給をした後、私たちはまた街道を歩き始めた。


 しばらくは暇を持て余していたが、シンとデリットさんによる常識講座が始まったため、その余裕も消え失せた。覚えておかないといけないこと、多すぎない?


 デリットさんが、人差し指を立てて、私に質問する。


「では、確認問題です。人通りの多い町の大通りで男性が倒れていました。シロさんは、どうしますか?」

「馬車が通っているような大通りだったら、とりあえず道端に移動してから大丈夫そうかどうかを確認します!」

「放置一択。大通りで人通りも多いのに、倒れたまま放置されているような奴だ。ろくでもないやつの可能性が高い。」


 当然、前半の回答が私、後半がシンだ。

 私たちの回答を聞いたデリットさんは頭を抱えて言う。


「シンさんは血も涙もなさすぎです。流石に助けてあげてください。シロさんは逆に不用心すぎです。倒れている人が犯罪者だったらどうするのですか。」

「どうしようもなくない?」

「俺は比較的一般的だ。助けるお人よしのほうがどうかしている」


 いや、私もシンの回答は情け容赦ないと思ったけれどもさ。

 なお、模範解答はシンは同じく男性であるため、衛兵たちの詰め所に担ぎ込む、私は女性であるため詰め所に向かい、倒れている人がいたと報告することであるらしい。男女で答えが変わるタイプの問題でしたか。


 次に、シンが私に対して質問する。


「野郎ばかりの冒険者ども4人と臨時パーティを組むことになったとする。望まれる能力は、シロなら薬による支援と素材の知識、デリットなら回復による支援と魔法による攻撃支援。この場合、気を付けるべきことは?」

「えっ? できる支援をケチらずきちんとすること? あと、受ける依頼の難易度の確認かな。」

「冒険者4人の編成によっては、魔法支援が必要なくなる可能性もあるので、役職の確認でしょうか?」


 今回も、前半の回答が私、後半がデリットさんだ。

 私たちの回答を聞いたシンは、眉間に深くしわを刻み込み、頭を抱えた。


「そもそもの話だが、ギルドに指示でもされない限り、野郎との臨時パーティを組もうとするな。低ランクの冒険者を仲間にする根底には大抵下心がある。次点で気にすべきは、そいつら4人の評判と評価だ。パーティの入れ替えが頻繁であったり、女性の死亡率や離脱率が妙に高いなら絶対に組もうとするな。ヤバそうなら、ギルドからの命令でも拒否してかまわない。」

「そっち⁈ こっわ⁈」

「……? ギルドとの宣誓書では、ギルドからの指示には基本的に逆らってはいけないというものがありましたが……?」


 少しだけ言葉を濁すシンの意図に気が付いた私に、気が付かなかったらしいデリットさん。あんまりな反応に、シンは眉間を抑え、つぶやくように言った。


「袖の下って言葉をご存じなさそうだな。大銀貨一枚くらいそっと渡せば、よほどの案件でない限りギルドからの依頼を拒否できる。お貴族様からの依頼も、基本拒否しろ。ろくなことがないどころか、場合によっては打ち首にされる。」


 賄賂で何とかなるものなのか。というか、貴族こわいな。

 だが、不正を推奨するシンに、デリットさんはあまりいい顔をしない。私は……まあ、袖の下の金額的に懐が少々痛そうではあるけど、命と比べたらマシかなとは思う。死ぬのやだし。そう思った瞬間、脳裏に、あの命の溶ける痛みを思い出し、私は両腕をさすった。あれは思い出すべきじゃあないな。


 急に腕をさすりだした私に、シンは不思議そうな顔でこちらをのぞき込むが、私は右手を振って特に何もないことを表現する。流石に他人に言いふらせるような話じゃあないからね。触った両腕には、薄く鳥肌が立っていた。


「……冒険者とは、そこまで危険な職業なのでしょうか? 先ほどの村で見た依頼の中には、子供でも達成できそうなものがいくつかありましたが。」


 そう聞くデリットさんに、シンは冷たく言い捨てる。


「危険じゃなかったら、冒険者何て職業に需要はない。薬草採取には魔物からの襲撃という危険が付きまとうし、魔物討伐は狙った魔物が出るかわからない。掃除は疫病に感染するリスクが高まるからいつだって不人気だし、下働きは下を見られて給料が安い。金銭的な意味でも、信頼的な面でも、何かあった時のリスクが付きまとうことになる。それが冒険者だ。」

「えっ、掃除の報酬が高かったのって、そういう理由だったの⁈」

「……まあ、お前は自分で薬が作れるから、ほぼノーリスクで清掃依頼を受けることができたのかもしれないが、基本街中の依頼は受けないに越したことがない。ローリスクであるが、リターンが少なすぎる。」


 口を挟んだ私に、シンは苦笑いをして言う。

 シンのいう言葉は、的を射ていた。著名でない冒険者に社会的信用はほぼない。そりゃあそうだ。定職に就かず物騒な武器を持ち歩いて、気まぐれに依頼を受けたりする荒くれ者がほとんどなのだから。


 だが、需要が無いわけでもない。

 騎士団を動かせない弱い魔物を狩る冒険者は農村では限りなく役立つし、依頼さえ出せば必要な薬草をリスクなく手に入れることもできる。また、『勇者の国』では、ダンジョンに関することも網羅していた。

 言うなれば、冒険者とは傭兵に近い便利屋という扱いなのだろう。


 シンの言葉を聞いたデリットさんは、神妙な顔をして頷く。


「ありがとうございます、勉強になりました。」

「……いや、気にしなくていい。俺の常識も、冒険者としての常識でしかない。むしろ、勉強すべきなのはシロの方だ。」

「げ。」


 私は思わず、小さくうなってしまった。


 始まったシンの小言を聞き流しながら、私は考える。

 同じ世界で生まれ育ったシンとデリットさんとの間に、ここまで価値観の差異があることに驚く。道徳観は比較的同じようなものだと思っていたのだが、どうやらだいぶ異なるらしい。


 考えてみれば、それもそうだ。身分による差の大きいこの世界で、共通な道徳観があるとは思えない。元居た世界でも宗教戦争やら民族紛争が起きていたのだ。誰もが誰も、同じ気持ちになるとは思わないほうがいいし、私の感性はこの世界では限りなくずれたものだと認識したほうがいいだろう。


「__お前の過去は知らないし、知りたいとも思わないが、常識くらいは……って、聞いているのか?」

「聞いてる聞いてる。生まれた環境って、大切だよね。」


 生返事をしてから私がそう呟くと、シンはぴくっと体を震わせて、口を閉じた。

 その反応に、私は慌てて謝る。


「ごめん、何でもない。」

「……いや、俺も何でもない。」


 シンはそう言って言葉を濁すと、口を閉ざす。


 私たちには、それぞれの常識があるように、それぞれの過去がある。誰もそれを聞かないという暗黙の了解があり、どちらも事情を話したくないという願望がある。


 冒険者として仲間になるとは言ったものの、私たちのつながりの根底には、つまるところ下心……独力で活動するのとが厳しいが、弱みのない人とつながるには危うすぎるという制限からくる弱みがある。


 私は、異世界から来たということがバレたくない。『エリクサー』の作製に成功したことがバレたくないし、何よりも、その過程で一人の人間を殺してしまっている。それを、親友に知られたくない。教えたくない。

 シンは、魔族交じり……オーガとのハーフであるということがバレたくない。

 デリットさんはアリステラ教会から破門されている。


 それに気が付いた瞬間、私の胸の奥に、せつないといえばいいのか、悲しいといえばいいのか、よくわからない感情が広がった。

  結局、私たちは自分たちの都合でつながりを持っているのだ。互いに信頼がないわけではない。


 でも。

 でも、所詮その程度のつながりでしかないのだ。


 私は、小さく体を震わせた。

 寒いわけではない。むしろ、太陽は体を焦がすほど強く輝いているし、乾いた空気は肺を焼かんばかりに熱せられている。


 さみしかったのだ。

 過去を言えないのが、悲しい。

 友達との思い出を共有できないのが、さみしい。

 そんな気持ちを、言い出せない私が不甲斐ない。


 城から逃げ出したとき、私はとにかく生活基盤を必要としていた。だから、『仲間』を、『友だち』を必要としている暇はなかった。

 生活にある程度の余裕ができ、目標に向かって歩みだせた今、ようやく『さみしい』と思えるようになったのだ。


__いつか、二人に私の真実を言わなくてはいけない日が、来るのかな……?




 そのあとはしばらくデリットさんによる常識講座をしているうちに、次の街、『エチレ』にたどり着く。

 ぎらぎらと砂漠の砂を熱していた太陽は、地平線の向こうへと沈もうとしていた。







__生まれた環境、か。


 砂漠の街道を歩きながら、シンは己の額に手を当て、考える。

 そこにあるのは、中途半端な大きさの角。まっとうなオーガならもっと大きく、人間ならばそもそも角は存在しない。小鬼ゴブリンの角とでも言うべきか。


 生まれたのが、ろくでもない環境だったかと聞けば、彼はそれを否定しただろう。彼の記憶の奥底には、両親に愛されていた記憶があった。


 だが、育った環境が良かったかと聞かれれば……


 そこまで考えたところで、シンは慌てて思考をやめた。

 過去など、思い出すだけ不毛なことだ。思い出すだけ、気分が悪くなるだけなのだ。自然と力のこもっていた奥歯を開放し、シンは周囲を警戒する。


 シンとデリットの二人は、常識講座を再開した。今ならよほどの敵が現れない限り危険なことはない……と、言い切れないのが一抹の不安であった。


 思い出されるのは、つい昨夜の盗賊襲撃。

 さすがに余裕がないと判断して使った【バーサク】。自身の感性を高ぶらせ、判断能力を鈍らせるものの、強大な力を一時的に扱うことのできる、だ。


 確かに、アレを使えば判断能力が鈍る。だが、使ため、味方が誰だかわからなくなることなど、なかった。


 しかし、昨日は、気が付けばシロを殺しかけていた。

 何が原因なのかは今一つわからない。だがしかし。【バーサク】を使って、本能が高ぶっていた状態のさなか、俺は、戦闘能力の大してないシロを、。そして、と、心のどこかで思った。


 デリットを守らなければならないと本能が判断したのは、彼女に回復の魔法が使えるからだろうと予想できた(まあ、疑問を挟む余地がないかと問われれば、否と答えるだろうが)。だが、のか、それだけが分からなかった。


__俺は、本当に二人の過去を知りたくないのか……?


 砂漠の乾いた風が、シンの褐色の肌を撫でる。

 周囲に魔物の気配はない。盗賊の隠れられそうな場所もない。


 シンは、自問自答する。


__興味本位ではあるが、知りたくないというわけではない。だが、そのために俺の過去を晒せるかと聞かれれば、『無理』だ。


 答えが出た瞬間、胸の奥に何かしこりのようなものができる。

 知りたいのは、なのか。

 模範解答は、出てこなかった。

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