第134話 side茜 だがそれは叶わぬことだった

「『亡霊』……!」


 茜は刃を向け、緊張からおかしくなりそうな拍動を深呼吸で押さえつける。


 確かな、恐怖。

 だが、そこにはあの時のドレイク……魔王の配下のルシファーのような威圧は感じられない。

 たたずまいから、ゆらりと動くその行動から、ただひたすら、奴が格上であるという事実が、恐怖の対象であるという事実が、茜に重くのしかかり、そして心臓を、脳を、体を、おかしくしようとしていた。


 弱気になりそうになった茜は、奥歯を噛みしめて刀を強く握る。

 勝つ必要はない。負けなければいい。逃げればいい。


 心を落ち着かせ、冷静な判断を要求する。今にも切りかかりそうな本能を理性で押さえつけ、恐怖感を飲み込む。吐き出しそうな咆哮を噛み殺し、深く長く息を吐きだす。


「……何の、用事かしら?」


 衝動をこらえ、茜は不気味な男に聞く。冷や汗が一筋、頬を伝った。


 男は、何も答えない。

 だが、回答をしなかったわけではなかった。


 地面に引きずるように運んでいたその鎌を、持ち上げる。

 瞬間、月明かりに照らされて、その鎌の全貌が見えた。


 黒い刃。夜闇を固めたようなツヤのない黒。だが、奇妙にも、刃だけは月明かりを浴びてギラリと輝く。

 鎌の先には、複雑な薔薇の装飾。柄の部分は薔薇の蔦が絡まる衣装が施されていた。石突の個所は鋭く尖り、使用方法が容易に考えられた。


 そして、何よりも異様なのは、その雰囲気だろう。見てくれだけ言えば、黒く染色された、美しい美術品の大鎌と言えるそれは、まるで人の命を吸ってその色を黒くしたかのように、あまりにも禍々しい雰囲気であった。


「……やる気かしら? 私、もう宿に戻りたいのだけれども?」


 茜の言葉に、男は悲しげに首を振る。そして、口を開く。


「……ころして、くれ。」


 『双頭の竜』が聞いたという、そのセリフ。

 茜は警戒を解かずに言葉を吐く。


「素直に騎士団に捕まれば、そのまま殺してもらえたと思うけれども?」

「むりだ。かれらでは、おれを殺せない。」


 擦れた声で、悲しげにそう言う男。茜には、反論できなかった。

 その代わりに、名乗りを上げる。


「私は、冒険者の嶋崎茜。私の平穏を奪うつもりなら、容赦はしない。」

「おれは、ツクヨミ。家名は、失われた。」


 あまりにも短い名乗り。

 そして、双方、言葉を必要としなくなる。



 息を鋭く吐きながら、油断なく赤い刀を構える茜。

 鎌を持ち上げ、自然体でこちらを悲しげに見つめるツクヨミ。


 二人は、月明かりが一層輝いたその瞬間、動き出した。

 赤い刃と漆黒の鎌が交差し、二つの影が一つに重なる。


 ぎぃぃん!!


 そして、月明かりのみが照らしていた路地裏に、鈍い金属音とともにまばゆい火花が散りばめられる。

 その瞬間、影はまた二つに分かれた。


 半ば吹っ飛ばされるような形で、茜はツクヨミと距離をとる。しかし、構えは崩さない。


__一撃が重い……!



 背筋がぞくりと凍えた。

 茜は、これまでに何度も己よりも力の強い魔物と戦ってきた。だからこそ、大鎌を持つこの男の一撃が重いのは覚悟していた。

 だが、想定以上だった。


 受け流す打ち合いを目的に、茜は再度刃をふるう。焦って力をこめれば、地に伏せることとなると理解して。


 鋭い金属音が、交差する。

 打ちかうたびに火花がパラパラと舞い上がり、赤と黒が躍る。

 致命を狙う茜と、赤を叩き潰そうと鎌を振るうツクヨミ。互いが互いを食らい合おうと、命を削る。

 一歩先に均衡を崩したのは、赤色であった。


「はぁぁああ!」

「……!」


 首を狙うフェイントにかかった黒の腕が、赤色によって薄く切り裂かれる。パッと鮮血が空に舞うが、腕を撥ね飛ばすという致命には至らなかった。

 驚くツクヨミ。だが、すぐにその口元に笑みが浮かんだ。


「あ、あ……!」


 壮絶な笑みを浮かべたツクヨミは、嬉しそうに声を上げる。

 そして、ツクヨミは手元の鎌を乱雑にふるう。


「ぐっ!」


 刃のない部分で茜を吹っ飛ばそうと振るわれた鎌は、反射的に赤の刀に遮られるが、あまりにも重い一撃に茜の手がしびれる。だが、ひるむ暇はない。連撃を必死に受け流し、いなし、回避する。


 ツクヨミが狙う場所は、致命を狙う茜とは正反対に、急所以外の場所だ。だとしても、ツクヨミの一撃はそれでも致命となりえた。

 外れた大鎌が、路地の壁を切り裂き、深く爪痕を残す。たとえ急所に当たらなかったとしても、大怪我を免れることはできない。


 息を吐き、吸い込み、油断をせずに攻防する。

 響く金属音が路地裏に充満し、緊張が互いを縛る。互いの息遣いが聞こえる距離での攻防は、互いの精神をキリキリと削る。


 大鎌くろの振り下ろしをあかが受け流し、首を狙うあか大鎌くろの柄に払いのけられる。不意打ちを狙う赤の足払いを黒は跳躍で回避し、隙を狙った黒に赤のカウンターが致命を誘う。


 月光の下の演武であった。命を削り合う、舞であった。



 だが、その舞は、永くは続かなかった。


「ああぁあああっ!」


 体力が限界に近づいた茜の渾身の一撃は、無情にも大きな鎌の刃によって阻まれる。瞬間、茜の体制が一気に崩れた。

 そこを、ツクヨミは見逃しはしなかった。


 容赦なく振るわれる鎌を、死に体で避け、受け止め、転がりよける。気が付いた瞬間には、撥ね飛ばされかけた腕を守る。そこに、技術はなかった。ただひたすら、本能のままの防御だった。

 だからこそ。だからこそ、茜は、ツクヨミの蹴りを見逃してしまった。


「あぐっ!」


 小さく悲鳴を上げ、茜は吹っ飛ぶ。平時であるなら、まず受けないであろう蹴り、さらに、受けたとしても体制を即座に建て直せたであろう無骨な一撃。だが、茜は限界であった。


 疲れ切った体でまともに受け身をとることすら叶わず、茜の体は無様にも家屋の壁に背中を打ち付ける。

 息が詰まり、筋肉が弛緩する。意識が白み、敗北という二文字が茜の脳裏をちらついた。


 だが、黒の勝利には至らなかった。

 茜は、意識が飛びきる直前に、刀を握る。そして、振り下ろした。



 鉄のにおいが、強烈にぶちまけられる。赤が、路地裏に飛び散る。



 ツクヨミは、構えた鎌を下ろし、茫然とそれを見つめていた。

 もはや、追撃のことなど、忘れていた。




 赤の刃が切ったのは、茜自身の右足だった。




 太ももに刀を突き立てた茜は、落ちかけた意識を痛みで無理やり覚醒させる。


「【ヒール】……!」


 飛びかけた意識を己の足に刀を突きさすことで保ち、魔法を唱えてその傷を無理やり癒す。

 無茶苦茶だった。滅茶苦茶だった。


 だが、同時に、覚悟となった。


 いくら魔法とはいえ、傷こそ治せど失った血は戻せない。

 つまり、次はない。


 物理的に血が抜けたことで、頭が冴えてきた茜は、己の血で赤く塗れた刃を振るう。血が弧を描いて地面を汚した。

 息を吐き、きつく閉じた瞼を、開ける。


 その瞳の奥から恐怖が消えうせ、そして、確かな決意が宿った。

 茜は、口を開く。


「……私の平穏を奪う者は、道をふさぐものは、容赦しない……!」


 ツクヨミは、初めて背筋がゾクゾクする緊張というものを味わった。

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