第111話 メーデー、メーデー!

 増援が来てから日暮れまで。とてつもない時間だった。

 中級万能薬の作り方を来た薬師に教えたが、結局最後まで私は薬をつくり続けた。それこそ、材料が切れかけるまで。


 私たち八人と合併症が発症してまだベッドで寝ている人以外いない別荘。魔石を燃料に使うランプが薄らぼんやりと照らすフロントの隅で、私は座り込んだ。ソファも中央の床も、もうすでに患者で埋まってしまっているのだ。


 深くかぶったフードの裾をそっとつかむ。

 疲れた。気持ち悪い。領主代理からもらったふわふわの白パンを口に押し込みながら、私はつかの間の休憩をする。この休憩が済んだら、私はまた薬をつくる。


「甘いもの食べたいな……」


 ぼそりとつぶやきながら、あまりおいしくないパンを噛んで飲む。口の中がMPポーションの味しかしない。サンドウィッチにしてもらえばよかった。

 二、三口とパンをかじっていると、扉が開いた。

 そして、「ごっ」という音も響く。


「いや、だから、何で内開きの扉なんだって……」


 後頭部を抑え、私は背もたれにしていた扉から体をどかす。

 玄関から入ってきたのは、かっちりとした燕尾服を着た紫色の髪の執事。私は、彼を知っている。領主代理の執事だ。


「シロ様……でございましょうか?」

「はい。そうですが?」


 フードをかぶったまま、私は頷く。何の用事だろう?


「此度の救援、誠にありがとうございました。私はアレドニア領が領主代理ルーカス様の執事、セバスチャンと申します。」

「あ、はい。私は冒険者のシロと申します。何の御用ですか?」


 私がそう質問すると、執事……セバスチャンは答えた。


「此度の御礼でございます。このままでしたら、アレドニア地方が全滅していた可能性もございました。」

「はあ、そうですか。強化した中級万能薬の作り方は薬師に伝えられたので、とりあえず明日まで薬を配って、この別荘で治療中の人がいなくなったら旅に戻ろうと思います。」

「そうなのですか?! あなたの能力でしたら、国に使えることも可能でしょうが……。」

「冒険者なので、遠慮させてもらいます。」


 私の返答に、セバスチャンは少しだけ残念そうな顔をした後、大きな箱を渡してくれた。中を確認してみてみれば、何やら赤いもの。一瞬顔が引きつりそうになったが、冷静になってから口を開いた。


「……えっと、これは、飛竜の心臓ですか?」

「ええ。そうです。ほかに何か必要なものは……?」

「できれば、MPポーションをお願いします。」

「かしこまりました。では、明日もよろしくお願いいたします。」


 丁寧な九十度の礼を見せるセバスチャンに、私も軽く礼をする。


 頑張らなければならない。そう心に決めて、私は箱を受け取った。





「ヘイヘイヘイヘイ! なんで今日、応援が来てくれないの?!」

「知るか! 疑問に思っている暇あったら手ェ動かせ!」


 私の悲鳴に、シンが叫び返す。

 中級万能薬を配り始めてから一時間。最初の方は来てくれていた領主代理の部下が、なぜか用事ができたと戻っていってしまった。いまは、それから二時間後だ。いっや、ほんとキッツいのだけれど!


「早くよこせよ! オレは昨日から並んでいるんだぞ!」

「割り込まないでよ!」

「やだ、押さないで!」


「あー、もう、また列が大変なことになった……!」


 私は深くため息をつく。ここに必要なのは、薬をつくれる人だけではない。むしろ、看護ができる人や列を整理する人、荷物を運んでくれる人などのほうが必要である。一人ではたくさんの人間を救うことができないのだ。


「レンダ! 水汲みが終わったら列整理の方へ向かってくれ!」

「あいよ!」


 シンがロゼの村から来てくれたおばさん……レンダに向かって声をかける。シン自身も押しかけて来た貴族たちの対応にかかりっきりだ。

 私も、薬品生成をしながら薬を手渡していく。頭痛で体がだるい。


 必死で薬を配り続け、作り続け、もう限界だと思い始めたその時。列をすっ飛ばして薬を配る手伝いをしていたシンに声をかける集団が現れた。


__忙しいっていうのに……!


 私が奥歯を噛みしめてそう思っていると、その集団は頭を下げだした。


「薬師様! 私に、何かできることはありますか!」

「昨日は本当にありがとうございました!」


「……え? マジ?」


 頭を下げた青年や少女たちに、私は思わずつぶやく。え?いいの?

 ポカンとした様子のシンは、しばらく考えた後に、私に大声で聞いた。


「どうする!」


 その質問に、私は大声で返した。


「飲み終わった後の瓶の回収と洗浄をお願い! 他に手が空くようだったら、列の整理を! 本当に、ありがとう!」


 私の口元には、笑顔が浮かんでいた。

 頭は痛い。材料は足りていても薬師が私以外にいないから負担がすごいことになっているけれども、でも、大丈夫だ。

 まだ、戦える。まだ、救える。



____________________________________


 旧別荘で再度薬を配り始めたその時。

 大天使は己が病を払った配下を引き連れ、アレドニアの街にたどり着いた。


 通った村々の人々を癒し、そして、彼女を派遣した神の教えを広める。それを繰り返し、二週間の旅を続けたのだ。


「ミハイ様。そろそろアレドニアの街でございます。」


 救われた村の住人が、恭しく馬車に乗った大天使に声をかける。大天使はそっと微笑んで頷いた。


「ええ。この街の住人達も救いましょう。我が神、アリステラ様のために。」


 甘い茶菓子をつまみながらあたたかい紅茶を一口飲み込み、開いたティーカップを隣に控えていた少女に手渡す。ティーカップを受け取った少女は、その中に新しい紅茶を淹れた。


 馬車は、旅をしているとは思えないほどに豪華絢爛であった。金の装飾は翼を描き、職人たちの執念すら感じられるほどの出来栄えだ。椅子も椅子の上にも赤い最高級ビロードの緩衝材が敷かれ、たとえ大きく揺れたとしても乗り込んだ彼女の体を痛めつけることはないだろう。

 これらは、彼女が旅した途中の街でお礼としてもらったものだ。


__人間の作ったものなど、天界に存在するものに何一つ及ばないわね。


 微笑んだ彼女はそう思いながら、布一枚で一般人が数年は暮らせそうな値段のドレスを撫でる。


__上司からの命令で来たはいいけれども、退屈極まりないわね。これだったら上司も私に忌々しい魔族どもの殲滅を命令すればいいのに……。


 表情を変えず、腹の中でどす黒い感情を広げる大天使。口元にたたえられたその笑みから彼女の思考を読み取ることなど不可能であろう。

 長いまつげを伏せ、大天使は整った唇を薄く開き、隣に控えていた金髪の美しい女神官に声をかける。


「行きましょうか、デリット。」

「かしこまりました、ミハイ様。」

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