デスコレ!―運命は、変えられる―

七海 まち

opening――その名は、ビジョン

「ユキちゃん! 危ない!」


 目の前のおかっぱ頭が、バランスをくずして大きく傾いた。

 ここは、ジャングルジムのてっぺん。

 わたしは弟の柊羽しゅうをしっかりと抱きかかえたまま、地面に向かって落ちていくユキちゃんの名前を呼んだ。呼ぶことしかできなかった。手を離せば、柊羽が落ちてしまう。


「ユキちゃん!」


 ほとんど悲鳴のような声は、ユキちゃんが地面に落ちた音をかき消すほどだった。


「おねえちゃん……?」


 腕の中で、柊羽がわたしを見上げた。

 この子はまだ、何が起きたのか知らないのだ。

 そしてこれからも、決して知ることはない。

 ユキちゃんを身代わりにして、自分が助かったということを――




美羽みう、朝よ! 起きなさい!」


 お母さんの声に、ゆっくりと目を開ける。

 いつもの朝。いつもの部屋。


(またあの夢か……)


 もう何度目だろう。わたしはベッドの上で体を起こす。汗をかいたのか、下着のシャツがうっすらとぬれて肌にはりついている。


「美羽! 何度言わせるの!」


 ノックもなしにドアが開けられる。スーツ姿で化粧ばっちりのお母さんが、般若のような顔で立っていた。


「あー、またいきなり入ってきて。とっくに起きてるってば」

「起きてるならなんで来ないの! 柊羽はもうとっくに家出てるっていうのに!」

「え、もう?」

ミニバス(ミニバスケットボール)の朝練ですって。わたしももう出るから、ちゃんと鍵閉めてくのよ!」


 お母さんはあわただしげにドアのむこうへと消えていった。わたしはひとつ伸びをしてからベッドを出る。

 窓から入る四月の日差しがさわやかだ。ここは、十階建てのマンションの五階。わたし――如月きさらぎ美羽みう――が中学に入るのを機に、先月引っ越してきたばかりの新居だ。

 わたしはトーストを食べ、ぱりっとした制服に着替えた。玄関の姿見で全身をなんとなく確認してから、家を出る。

 マンションの前は、だらだら坂。わたしはその坂を、ゆっくりと上っていく。

 通っている中学校までは、歩いて十分ほどだ。いつもと同じ風景、いつもと同じ朝。通勤するサラリーマン、自転車に乗る高校生、犬の散歩をする女の人に、集団で歩く小学生……たくさんの人たちが行き交う、いつも通りの通学路。

 わたしは、道行く人たちと顔を合わせないように、うつむきながら歩いた。

 顔を見てしまうと、見たくもないものが見えてしまうことがあるからだ。


 わたしには、未来が見える。


 未来といっても、見えるのは「よくないこと」だけだ。

 人の顔を見ると、その人にこれから起きる「よくないこと」が、映像となって見えてしまうのだ。

 わたしはそれを、「ビジョン」と呼んでいる。ビジョンは、未来像とか、まぼろしっていう意味だ。


 ビジョンには、いくつかの特徴がある。

 まず一つめ。ビジョンは、必ず見られるわけじゃない。悪いことが起こる前にその人の顔を見ているのに、結局最後まで見なかったことも何度もある。

 二つめ。ビジョンで見たことは、いつ、どこで起こるのかわからない。場所や時間は、見えた情報から推測するしかない。

 そして、三つ目。ビジョンを見るタイミング。これは実際にその出来事が起こる何日も前のこともあれば、直前のこともある。ビジョンによって、ばらばらなのだ。


 初めてビジョンを見たのは、いつのことだっただろう。物心ついたときには、見えるのが当たり前になっていた。

 そうしてすぐに、他の人には見えないものなんだ、と気がついた。だからビジョンのことは、誰にも……両親にさえも、話したことはない。

 それに……小さい頃に起こった「ある事件」以来、わたしは、ビジョンを見ることが怖くなり、人の顔が見られなくなってしまった。

 ビジョンを見てしまったとしても、何も感じないようにした。そして、すぐに忘れるようにした。わたしは何も知らない、見ていない、と。

 わたしがビジョンで見ているのは、きっと神様が決めた運命だ。たまたまそれを見る力があったところで、わたしが助けなければいけないわけじゃない。

 そう、わたしは、見られるだけ。知れるだけ。それだけなんだ。

 誰かの運命をねじまげるなんて、きっとそのほうが、間違ってるんだ……。


 キキッ!


 前の方で、自転車のブレーキ音が鳴った。わたしはその音につられ、思わず顔を上げてしまう。

 自転車は、十メートルほど先の角から、こっちに向かって曲がってきたものだった。乗っている男子高校生は、スマホを片手に持って何やらいじりつつ、画面に見入っている。

 その顔を見た瞬間。

 目の前に、じじじ、とノイズが生じた。


(……まずい!)


 このノイズが、ビジョンが始まる合図なのだ。

 でも、もう遅い。ノイズが見えたら、もうビジョンを見ることは避けられない。

 ノイズが消えると、一瞬で映像が頭の中に流れ込んでくるのだ。




――ここから坂を下った、曲がり角。

「きゃっ……!」

「うわ!」

 ドーン!

 角を曲がってくる女性、それにぶつかる男子高校生の自転車。女性は突き飛ばされ、高校生は自転車ごと道に倒れる。横倒しになった自転車は、からからと音を立てて車輪を回している。二人とも血は出ていないけれど、女性は腕を押さえながら苦しそうに顔をゆがめている。――




 その映像を振り払うように、わたしは目をつぶって首を振った。


(何もしない。何も知らない。わたしは……関係ない)


 人の顔を見ないよう、うつむいて走り出す。

 しばらくして、後ろで大きな衝突音と悲鳴、自転車が倒れる音が聞こえた。


(知らない。わたしは、関係ない!)


 音に驚いて振り返る人たちの中をすり抜けて、わたしは学校へと急いだ。

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デスコレ!―運命は、変えられる― 七海 まち @nanami_machi

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