17話―⑧『敵』
それは、もうすぐ日付が変わろうとしていた頃だった。突然、建物のとある場所から爆発音が響き渡った。睡魔に襲われていた蘭李は、肩を跳ね上げて覚醒した。
「てっ、敵⁈」
「始まったみたいだな」
悪魔が立ち上がると、ちょうど秋桜が帰ってきたところだった。
「影縫達、襲撃し始めたぞ」
「よし。行くぞ、蘭李くん」
「ところでさ、六支柱はいいとして、どうやって幻術使いを見分けるの?」
悪魔についていきながら、蘭李は首を傾げる。見た目はもちろん、魔法を使ってくれないと―――彼女がそう言いかけた時、悪魔はケラケラと笑った。
「そりゃ、一人ずつ確認するんだよ」
「……………は?」
「見付けた奴から片っ端に確認する。分かりきったことを訊くなよ」
ガシッと蘭李の手首を掴んだ悪魔は、天神家を囲む塀を見上げた。嫌な予感がする―――蘭李がそう思うのも遅く、悪魔は彼女を勢いよく投げ飛ばした。
「うわああああ⁈」
秋桜を突き抜け、蘭李は塀の内側―――天神家の敷地に侵入した。頭から着地すると、ふごっと奇妙な鳴き声を上げる。その隣に悪魔も着地した。
「馬鹿かよお前。そんな声出してたら気付かれるだろ」
「いきなり投げる奴がいるかあああ!」
土まみれの顔を上げ、悪魔の所業を責める蘭李。
「うわ、きったね」
「誰のせいだよ! ホント許さないからな!」
「早くここから逃げるぞ。お前のせいで警備が来ちまう」
「何しに来た」
土を払った蘭李は、二人の少年に目がいった。無表情の少年は拳銃を携え、気まずそうな表情の少年は斧を構えていた。目の前に立ち塞がる二人に、蘭李は驚いて何度も目を瞬かせる。
「海斗に紫苑⁈ なんでここに⁈」
「雷を守るためだ」
「雷を……?」
蘭李はハッと気付いた。二人は光軍に強制されているのだと。
でも、紫苑は闇軍じゃなかったっけ―――疑問を抱きながらも、蘭李は拳銃を手に持つ。隣の悪魔をちらりと見ながら、小さく呟いた。
「絶対殺さないでね」
「わーかってるよ。半殺しにすりゃいいんだろ」
「ダメだけど」
「おい……そいつって……!」
紫苑が驚くのも無理ない。敵だったはずの人物が友人と並んで立っているのだ。雷といい、先程から彼には信じがたい光景ばかりが映っている。
「うん、悪魔……なんか知らないけど協力してくれるって」
気まずそうに答えた蘭李に、紫苑はさらに驚く。
「信じたのか⁈ お前正気かよ⁈」
「半信半疑だけど……」
「尚更入れられないな」
海斗が銃弾を放った。蘭李と悪魔は左右に避ける。海斗は悪魔目掛けて駆け出す。その左手にはナイフが握られていた。振り下ろされたナイフを難なくかわす悪魔。ピョンピョンとステップを踏むように、軽やかに刃から逃げていた。
蘭李は紫苑と対峙する。彼は背中に盾を背負っていた。その盾を下ろし、片手には斧を握りしめる。
「蘭李、帰ってくれないか?」
「断る」
「やっぱりそうだよな……」
大きく深呼吸をする蘭李。ゆっくりとまぶたが開かれると、淡い黄色の光がそこから漏れた。
「悪いけど………手加減しないから」
冷たく静かな声に、紫苑は身震いした。次の瞬間、蘭李の姿を見失った。彼が急いで振り向いたと同時に、目の前に蘭李が迫ってきていた。
「ッ……!」
蘭李の振るわれた拳は、盾によって防がれた。再び跳躍し紫苑の視界から外れる蘭李。辺りを見回して警戒する紫苑の隙を突き、蘭李は背後から彼のももを撃った。命中し、体がぐらつく紫苑に、蘭李は盾を奪い取ろうと手を伸ばした。しかし盾は大きくなり、彼女の盗みを失敗に終わらせた。蘭李は後退する。
「ひより! あたしは紫苑を殺すつもりじゃない! ここを通してもらうだけなんだよ!」
盾は沈黙を貫いた。代わりに紫苑が彼女に反論を叫んだ。
「お前を通すと、俺が殺されるんだよ!」
「雷のお父さんを止めれば、その心配はなくなるはずだよ!」
「お前が止められるのか?」
「絶対止める! だから通してよ!」
はあ、と紫苑はため息を吐いた。盾も斧も下げたのを見て、蘭李は分かってくれたのかと安堵した。しかし、それは勘違いだったとすぐに気付いた。
「馬鹿じゃねぇの?」
心底そう思っている―――誰もがそう聞こえるような言い方に、蘭李は困惑した。
「現実見ろよ、蘭李。お前一人でどうにかなるわけないだろ」
「あたし一人じゃないよ! 影縫さん達闇軍も戦ってるの!」
「それでも光軍が負けるとは思えないね」
「なんでよ!」
「規模がまるで違うだろ。光軍と闇軍の人数差、蘭李だって知ってるだろ」
たしかにそうだ。光軍に所属する魔力者は、魔力者の総人口の約半数にも及ぶ。一方闇軍は二割、もしくはそれ以下である。その差は圧倒的だった。蘭李もそのくらいの知識はあった。
「数的不利な側が勝てるとしたら、それは圧倒的な頭脳か力量差がある時だけ。頭脳はおろか、影縫さんの……獣化だっけ? それを使ったとしても、六支柱を制圧出来るとは思えないな」
「………紫苑、本気で言ってるの?」
「ああ」
蘭李は辺りを見回した。もしかして誰かに見張られているのではないかと疑ったからだ。しかし、六支柱はおろか他の光軍の姿も確認出来なかった。
つまり、紫苑は本気で思ってるんだ―――。
彼の言い分もよく分かる。普通に考えればそう思うのも自然だろう。
しかし蘭李が許せないのは、彼の態度にあった。
「紫苑は、ハクを見捨てるの?」
雷に撃たれたかのように表情が歪む紫苑。持っている武器が小刻みに揺れ、あからさまに動揺していた。
「脅されていて戦っているのは分かった。それはしょうがないと思う。けど……わざわざあたしに、勝てるわけないなんて、なんで言うの?」
紫苑は言葉に詰まった。彼の背後では、悪魔と海斗が戦っている。悪魔は海斗の攻撃を避け続けているが、反撃をする素振りは一切なかった。それを一瞥し、蘭李は紫苑に視線を戻す。
「あたしを心配して言ってくれたのなら、ありがとう。でもあたしはやめないから。誰に何を言われても、絶対に光軍を止めるから」
紫苑の視界から蘭李が消えた。動揺していた彼がすぐに反応出来るわけもなく、紫苑は後頭部に当てられた感触に硬直した。硬い―――それは、銃口だった。
「紫苑。師走卯申がどこにいるか知ってる?」
「し、知らない……」
「そっか」
ドクン―――紫苑の全身に、魔力が奪われる感覚が広がった。次の瞬間、盾がボンと煙を上げた。紫苑だけでなく、蘭李の視線もそこへ移る。煙が晴れない内に飛び出してきたのは、白菫色の髪が特徴的な少女ひよりだった。ひよりは、拳銃を持つ蘭李の左腕に飛びついた。
「おねえちゃん! やめて! おにいちゃんをうたないで!」
「ちょ……! ひより! 撃たないよ!」
「うそつき!」
ひよりに気を取られた隙に、紫苑は蘭李を蹴り飛ばした。飛んでいった彼女を追いかける紫苑。蘭李は空中で体勢を整えて着地した。向かってくる紫苑を避ける為に魔法を使おうとするも、違和感を覚えた。
「魔法が出ない……⁈」
ガン―――紫苑の振るった斧の腹が、蘭李の頭に直撃した。その衝撃は彼女の思考を一時停止させた。硬直する蘭李の前で、紫苑は上がった息を整える。
「……ごめん。しばらく寝ててくれ」
紫苑が斧を振り下ろす。だがそれは、やわらかな肉に及ぶ前に静止した。
彼は目を丸くして驚いた。真っ黒だったはずの蘭李の髪は黄色く染まり、細い腕は精いっぱいの紫苑の力を斧の柄で止めている。そればかりか、鉄の柄に亀裂が走った。
「ごめん、紫苑」
顔を上げた蘭李の表情に、紫苑は恐怖した。
「しばらく寝てて」
殺してやる―――そう勘違いしてしまう程の怒りに塗りつぶされた彼女の顔は、紫苑の動きを完全に停止させた。そして蘭李は斧の柄を折り、それで紫苑の頭を殴った。紫苑は為す術なく、意識を手放した。
「お兄ちゃん!」
倒れる紫苑に駆け寄るひより。蘭李は斧を捨て、彼女を見下ろした。
「ひより。紫苑を連れて帰って。ここに居続けるのは危険だよ」
「お姉ちゃん! どうしてお兄ちゃんにひどいことするの⁈」
涙目でひよりは叫んだ。
「お兄ちゃんだってお姉ちゃんとおともだちでしょ⁈ どうしてお兄ちゃんはたすけてくれないの⁈」
「ハクも友達だからだよ。光軍ばっかり味方についたら、本当に闇軍は倒されちゃうから」
蘭李はひよりの前にしゃがんだ。辛そうに笑いながら、彼女の肩に手を乗せる。
「あたしだけじゃ光軍から紫苑は守れない。だから、ひよりが守ってあげてよ」
「でも……」
「紫苑のこと守れるの、ひよりしかいないんだ。絶対二人を軍から解放するって約束するから」
「ほんと……?」
「うん。約束する」
しばらく二人は見つめ合い、沈黙した。蘭李の思いが伝わったのか、ひよりはごしごしと涙を拭う。ぐっと拳を握り、力強い瞳で蘭李を見上げた。
「わかった。わたし、お兄ちゃんのこと、ぜったいまもるね」
「うん。頼んだよ」
「まかせて! お姉ちゃん、やくそくまもってね!」
「当然!」
蘭李は立ち上がり、振り向いた。海斗と悪魔は戦っている。その視界の端では、建物内から煙の昇っている場所があった。
「悪魔! 海斗のことよろしく!」
そう言い残し、蘭李は呪文を唱えて煙の方へと跳躍した。取り残された悪魔は、呆然とその背を眺める。
「おいおい……勝手なことばっか言いやがって」
海斗の放った銃弾を軽く避け、悪魔は影で自身と似た姿見の分身を作り出した。警戒する海斗に、悪魔はくすりと笑った。
「お前はこいつと戦ってろ」
「行かせるかよ」
数多の氷柱が悪魔へと飛んでいく。それらは全て分身が弾き、悪魔は蘭李の向かった方へ飛んで行ってしまった。海斗が目で追った時には既に姿は見えなくなっており、仕方なしに悪魔の分身と向き直る。分身の背後では、ひよりが紫苑を引きずって外へと向かっていた。
「……倒せなければ、全員死ぬぞ。蘭李」
彼の呟きは当然、向けた相手には届かなかった。
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