9話ー⑤『野生動物』
放課後の大雨の中、あたしと影縫さん、それから蜜柑はとあるカフェに入った。決して広いとは言い難い店にはお客さんはいなく、内装と合った落ち着いた雰囲気の音楽が流れていた。席に着くなり注文をし、影縫さんは暗い紫の視線を向けてきた。
「動物か人間かって言われたら、アンタはどっちを選ぶ?」
突然のわけの分からない質問に、言葉を詰まらせる。
動物か人間か……? 選ぶってどういうこと……?
「本能で動く動物か、理性で動く人間かってことだ」
何その質問。心理テスト? 急にそんなこと言われても………。
「……もちろん人間ですけど」
「そうか」
むしろ動物を選ぶ人などいるのだろうか。いるとしたら相当な奇人だ。あ……朱兎は選びそう。かわいいからとか言い出しそうだし。
「なら、もし大勢の敵に囲まれた時、全員殺して生き残るか、言いくるめて生き残るか。どっちを選ぶ?」
思わず影縫さんを睨み付けた。ちょうどその時、注文したものが運ばれる。影縫さんはカップの取っ手に指を絡め、口に近付けた。あたしも紅茶を飲む。店内を探索していた蜜柑が、ふよふよと戻ってきた。
「そう睨むなよ。ただ訊いているだけだ」
「………なんでですか?」
「いいから」
「蘭李………気を付けろ」
蜜柑が耳打ちをした。いつになく真剣だ。もしかしたら、今って結構危うい状況なのかもしれない―――あたしは緊張しつつ、バッグに少しだけ手を伸ばし、小さく口を開いた。
「言いくるめます。なるべくなら殺したくないんで」
「ヘェ」
カフェオレの入ったカップをテーブルに置く影縫さん。直後、影縫さんの背後から一人の男が現れた。そいつはあたしに銃口を向けていた。反射的に身を屈め、バッグの中からコノハを取り出す。コノハを男に振ろうとしたが、後頭部に当てられた感触に、体が一気に硬直した。
「残念ながらアンタは動物だ。それも、逃げるよりも先に殺すことを選択する、凶暴な動物だ」
カチャリと、トリガーに指を当てる音が背後で聞こえた。コノハがぶるぶると震えている。それを押さえつけるように右手をぎゅっと握り、影縫さんを睨み付けた。影縫さんは不敵に笑っている。
「別に悪いことじゃないと思うぜ? 迷いなく殺せるなんて、魔力者にとってはかなりの有利だ」
「………これが目的だったの?」
「そんなわけないだろ。ちょっと確認しただけだ。それにしても便利だな。そこの守護霊もどきは」
後頭部から銃口が離れる感覚がし、あたしも右腕を下ろした。影縫さんの背後にいた男は、あたし達の横を通りすぎる。振り向いてみると、もう一人いた別の女と一緒に店の奥へと消えていった。
「今闇軍に必要な戦力は、理性的に戦う人間じゃない。本能的に殺せる動物だ」
何事もなかったかのように、カフェオレを飲み始める影縫さん。あたしはとてもリラックス出来なかった。まだコノハから手は離さず、少しだけ通路の方へ体を移動させる。
「あたしは動物じゃないです」
「動物だ。それも、野放しにされてる野生動物だ」
「違う!」
――――――――――――バンッ
あたしは片手でテーブルを思いっきり叩いた。カップが一瞬浮く。少しだけ目を大きくした影縫さんを、鋭く睨み付け口を開いた。
「野生動物でもないし、闇軍に入るつもりもない!」
「何故そこまで否定する? 別に良いじゃないか。野生動物。強いことに代わりはない」
「あたしはもうッ――――――」
「人を殺したくない………か?」
影縫さんが不敵に笑い、あたしはたじろぐ。沈黙し、店の音楽が聞こえてきた。
今の言葉は当てずっぽう? それとも、分かってて言ったのか?
こいつは一体、何を知っている……?
「――――――魔法学校として有名になりつつあった『シルマ学園』は、突如として終わりを告げた。生徒や教師の謎の死によって」
突然の話に、あたしの体がピタリと静止した。影縫さんは喋りながら、自身のバッグのチャックを開ける。
「当時何が起きたのか、どうしてそうなったのか………知っている者は誰もいないとされていた。何故なら、シルマ学園には誰一人として残っていなかったからだ」
流石に魔警察も、不自然過ぎるこの事件を調査することにした。だが、その努力は無駄に終わった。有力な手掛かりを見つけられず、正確な死亡人数も分からなかった。残っていた遺体の内、個人を特定出来るものもあったが、ほとんどは焼死体で、おまけに人の形を留めていなかった。
最終的に魔警察は、全員死亡として処理を行った。
「それなのに、
影縫さんはバッグから一冊の本を取り出した。本と言ってもB5サイズくらいのもので、表紙の所々に赤っぽいシミがついている。影縫さんはその本を開き、パラパラとめくった。
「この間、学園跡地に行ったんだ。その時に見付けてな。どうやらこれは生徒の名簿らしく、成績等も記載されている」
「……………」
「で、もう分かったと思うが、この中にアンタの名前があった」
テーブル上に本を広げて置き、ある一点を指差した影縫さん。蜜柑と一緒に目をやると、たしかにあたしの名前が載っていた。さらに他の欄には、「懐かしい名前」がたくさん載っていた。ドクンドクンと、心臓が高鳴る。
「そこで、オレはふと思った」
暗い紫の瞳は、鋭くあたしを捉えた。
「もしかして………アンタが「事件」を起こしたんじゃないのか?」
「違う」
即反論した。再び沈黙。影縫さんは探るようにあたしを見据えていた。あたしも、探られないように心を閉ざした。
しばらくして、ふう、とため息を一つ吐く。
「………この話はいずれまたしよう。勧誘の返事はまた今度でいい。だが………」
――――――野生動物のままでいれば、いずれ大切な仲間も殺すことになるだろう。
影縫さんはカフェオレを一気に飲み干した。そしてバッグを持ち、席を立つ。目を細め、あたしの耳元で囁いた。
「じゃ、いい返事期待してるよ」
カランと音が鳴り、足音が遠ざかっていった。店に取り残されたあたしは、しばらく動くことが出来なかった。さっきまで影縫さんが座っていた椅子を眺めながら、ぼんやりと思う。
――――――大切な仲間も殺す?
――――――そんなこと分かってる。だから今、殺さないように特訓してるんじゃん。
「それだけじゃ………ダメなの……?」
自然に溢れた言葉は、静かな曲と混ざり合って消えた。
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