第5話 近付く距離①
雫が読んでいた占い本は重力に従うように床に落ち……その最中、互いの視線が絡み合っていた。
陸の視界に映っているのは、頰を朱に染めた雫の顔。こんな表情をみるのは久しぶりだった。
「お、俺の名前を読んでどうかしました……? し、しかもかなり変な声を出していた気がしましたが……」
そんな言葉を発す陸の右手には、新しく借りようとしている歴史本があった。
明日、明後日は学園が休み。陸は休日分の書籍を借りるため、そしてじっくりと書籍を選ぶために、人がいない放課後を利用してこの図書室に足を運んでいたのだ。
「わ、私が変な声を出すはずないでしょう。そ、それは
「その呼び名、今も使ってたんですね……」
「……っあ!?」
どうにか冷静を装う雫だが、装えたのは表面だけ。動揺から呼び方を間違えてしまう。
「顔、赤くないですか? 九条先輩」
「そ、それは……最近のストレスで自律神経が乱れてるだけ。決して照れてるわけではありません」
「大丈夫なんですかそれ……。もし良ければ保健室まで付き添いますよ?」
「あ、ありがとう。お気遣いは嬉しいのだけれど、気にしないでちょうだい」
雫が顔を赤くする理由はただ一つ。あの呼び方が陸にバレたからである。
それ以前に、雫が顔を赤くするのは熱があるか、陸の件か、その二つしかなかった。
「あの、呼び名の事なんですが、俺のことはソレで呼んで頂いて構いませんよ? その呼び名が嫌なわけじゃないですし、九条先輩もそっちの方が呼びやすいと思いますし」
「ひ、卑怯よね……貴方って。そんな言葉を聞いたら断れるはずがないじゃない……」
「こう言わないと、九条先輩が遠慮するのは知ってますから。……まさか俺のことを昔のように呼んでいたとは思わなかったですけど」
小学生の頃から『りく君』と呼んでいた雫だが、それは昔のこと。高校に入ってからの呼び名は『貴方』に変わっていた。
二年間という長い時間があり、距離が開いてもなお、雫がその呼び名を使っていたのだから陸が驚くのも無理はない。
「ひ、一つだけ言うけれど……この場合、私だけ呼び名を戻すのは公平ではないわ」
「どう言う意味です?」
「り、りく君も
「いやいや、それは無理ですって!」
片手を振りながら必死に否定を示す陸。これは決して、昔の呼び名に戻すことが嫌なわけではない。『後輩』という立場上、昔の呼び名に戻すのは
「中学ならまだしも、今は高校なんですよ? 俺が九条先輩のことを
「歳が離れていても、仲の良い者同士は言葉を崩したりしてるでしょう? 結局はその人からの許しが出ればなんの問題もないのよ。言葉通り、私に敬語は不要」
「そ、そうは言っても……」
「こほん……。私は許可を出しています」
口元に手を当てて、小さく咳払いする雫。その身長差から上目遣いで陸を見つめるような形になる雫は、追い討ちをかけるように言葉を続ける。
「私達は昔からそう呼び合い、声を掛け合っていた仲。何も問題はありません。……それとも、貴方は本当にイジワルさんになってしまったのでしょうか。今噂されている不良さんのように」
陸は知らないだろう。雫が
「それはないですけど……」
「それなら言えるはずです。言えないはずがありません」
「…………はぁ。降参ですよ」
その圧に陸は負け、両手を上げて降参のポーズを取った。
「ようやく言ってくれる気になったのね」
「もう折れましたよ……」
わざとらしく肩を
「それじゃあ、あの時のように……
「……」
「え、えっと……雫って呼ばせて頂きますよ?」
「……ぽぁ」
その惚けた声を耳に入れたのは、声を発した自分自身のみ。陸に聞こえることはなかった。
……ただ、陸の視界には何の反応も見せずに、全身を硬直させた雫が映っていることには違いない。
「あ、あの……。何の反応もしてくれないのは流石にやめて欲しいんですけど……。も、もしかして気に障りました?」
「ご、ごごごめんなさい。少し考え事をしていて……。す、少し失礼……」
動揺を露わにする雫は、これ以上の不自然さを与えないように髪を揺らして陸に背後を向ける。
そこで……雫は小さな顔を両手で覆い、悶えに悶えていた。
(うぅ……。は、破壊力がやばいわよ、もう……っ。こ、こんなことなら言わなければ……)
今の雫を見て、『クール』だなんて言葉をかける者はいないだろう。
自ら言ったことにも関わらず、乙女な反応をしてしまってるのだから……。
結局は呼び捨てにされただけでこの反応。……このウブさは誰も知らない事実である。
「それなら良いですけど……『雫』って呼ぶのは二人っきりの時だけですからね。そこだけは呑んでくれないと困ります」
「そ、それは……呼び捨てだけじゃなく、敬語をやめて頂ければ」
波打つ心臓をどうにか抑え、表面だけ取り繕った雫は再び陸に向かい合う。
「敬語をやめる!?」
「その通りです。呼び名だけでなく昔のような口調を使って頂ければ、その条件を呑みます。りく君も言っていたでしょう、『敬語もやめなければおかしな言葉遣いになる』と」
雫は
照れてしまうことが分かっていても、今以上のものを求めてしまう。
それだけではない。これは今以上に想い人と距離を縮めるチャンスなのだ。
「も、もしかして強引に押すつもりですか……?」
「返事は『はい』か、『Yes』しかないの。観念なさい」
「……」
しかし、ここからはそう上手くいかない。相手が良いと言っても、雫を呼び捨てに……はたまた崩した言葉を使うのは、なかなかの勇気がいること。
そんな迷いを見せている陸に、雫は視線を下に向けながら
「も、もう……。私の気持ち、汲み取れないの? こんなに必死になっているのよ……」
「く、汲み取る……?」
「わ、私は……あの時の口調で話してほしい。あの時と同じような関係に戻りたい。そのくらい分かりなさいよ……」
顔を逸らして、どうにか照れを隠す雫だが……雪のように白い頰は赤く染まっている。
「へ、返事がYesなら……砕けた言葉を使うこと」
「えっと……」
「む……」
迷いの表情を浮かべる陸を見て、瞬間的に睨みを働かせる雫。……この行動が陸を観念させた。
「……わ、分かったよ雫。これで良いんだろ?」
「……はい」
雫は感じていた。本当の自分を出すことによって得られたものを。
『あの人との距離を縮める近道にもなり、その人を捕まえるキッカケにもなるでしょう』
その恋占い通りの結果を……。
「何度も言うけど、この口調とかは雫と二人っきりの時だけだからな?」
「大丈夫、分かっているから」
「それならいいけど……」
「ねぇ、この感じ……懐かしいと思わないかしら」
「懐かしいより、恥ずかしさが勝ってる」
「もう、なに言ってるのよ。ふふふっ」
嬉しさから、抑えきれない笑みが溢れる。
しかし……こんなにも良い雰囲気は一瞬にして終わりを迎える。
「……んと、はいこれ。雫がさっき落としたやつ」
話も一区切り付き、雫の手から床に落ちた雑誌を拾い上げた陸は、埃を払って返す。
ーーその行動によって雑誌の表紙は露わになったのだ。
「これは当たる。生年月日恋占い……?」
「……あっ!?」
言い逃れなど出来るはずもない。そんな見出しの雑誌が……。
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