数日が過ぎた

 数日が過ぎた。

 その間、人は死なず、けが人も出なかった。結果的に言えば俺たちは平穏無事に数日間を謳歌できたようである。あったことといえば、緊急の全校集会ぐらいだ。その内容は、園田桜子という生徒の死に関することと、黙祷だった。

 そんな常識的な日々の最先端──今日という日を、俺と陽香はごくごく普通に登校できていた。どこの学校も保護者による送迎を推奨しているらしく、道中、送迎の車や親らしき大人と共に歩いて行く小学生や中学生を見かける。自転車でかっ飛ばしていく学生たちもいた。あれだけ速ければ、確かに通り魔を振り切ることも可能だろうな、とそんなことを思った。


「この街は今、強く、死を意識しているのね。そして忌避している」


 遠くで和服姿の女性に手を連れられて行く金髪の少女を眺め見つつ言った陽香のそんな言葉が、未だ眠気の中にいる俺の頭に浸透していく。


「あはっ。今私かっこいーこと言わなかったオーリ? 今の私の言葉かっこよくなかった?」

「忌避なんて言葉使えたんだな」

「うわひど。ひどすぎ。オーリは私の頭脳を侮りすぎじゃないのっ」

「はははっ、ごめんごめん」


 笑い、数秒の後、自分がたった今見た光景をよくよく理解し鳥肌が一斉に立った。


                           「えひひっ」

 

    ◇


「桜利くん、桜利くん」


 休み時間、真横の夕陽に声を掛けられる。俺たちの一年C組は、まだ多目的ホール内で授業を受けていた。席は自由となり、なぜか俺の真横に夕陽が、その反対側にレモンが座った。


「なに?」


 澄み切った瞳で俺の顔を数秒見つめてきたかと思うと、フフと微笑まれた。


「特になにを話すか決めずに呼んじゃった」

「そっか」

「なにか良いお話ないの?」

「また、和服の女性と金髪の少女の二人連れを見たよ」

「えぇ……それを良い話だと思える桜利くんの感性を疑うわ」


 うげぇ、という表情で、苦々しげに夕陽は俺の感性を疑いにかかった。良い話であるとは俺も思っていない。今朝に見た恐怖をそのまま夕陽に伝えただけだ、なんとなく。


「でもさ、見た印象だけなら、とても仲が良さそうなんだよなぁ。あの幽霊たち」

「そっとしておきましょう。首を突っ込んで祟られでもしたら事だし」

「まあな」


 幽霊を見るのは怖い。夕陽も同様、あの二人連れの幽霊に恐怖を抱いている。真っ当に、怖がっているのである。そういうものか、と思う。なにより夕陽自身が姿かたちを黒い影に変じさせるのに、それでも彼女は幽霊を怖がる。人間のように怖がる。


「幽霊なんてものがいることは認めがたいわ。でも見てしまったものはどうしようもないものよね。私の頭が創り出した幻想と言い切ろうにも、桜利くんも見てしまっている」

「二人そろって気が狂ってしまったんじゃないか」

「まさか。わたヂは正常よ。少なくとも私は」

「俺だってまともだよ」


 すると夕陽は、まるでなにかおかしなジョークを聞きでもしたかのように口の両端を吊り上げ、目尻を下げ、三日月のような──笑み? を浮かべて、


「本当にぃ?」


 そのような問いを、口にした。

 もちろん、今の彼女は黒い影。けれども塗りつぶしたかのような真っ黒ではなく、三日月を三つ、顔に当たる部分に浮かべている。無機質な、ヂヂ  笑顔の仮面。ニンゲン姿の彼女が再び目の前に映し出される。

 

「そう思わない、桜利くん……桜利くん?」

 

 彼女はやはり、死であるのか。

 俺が小さな頃に死に損なったから、あのとき死んでおかなかったから。

 だからここまで、

 待つことに倦んで、

 痺れを切らして、

 やってきたのか。


「お、う、り、くんっ」


 両頬に圧が加わる。さながら両手の平で頬をサンドイッチしたかのような。へぶっ、となった。


「……なんだ?」

「ボーっとしすぎ。私と話しているんだから、きちんと私を見てよ」

「ボーっとしてたのか、俺」 

「していた。とても」


 怒っています、とばかりに夕陽は目を細めていたが、やがて笑った。吹き出したようだ。両頬の感触はまだ取れない。まだ俺の頬は夕陽の手のひらにサンドされている。


「桜利くん、そんなね、へぶっとなっている顔で真剣な表情になられてもね、なんだかとても面白いだけだから」

「俺は真剣だよ。真剣に話を聞いている」

「やめてよ。ワザとでしょ、もう」


 くすくすと、彼女は楽しそうに笑っている。微笑ましいな、と思った。彼女が死でさえなければ、きっと俺たちは良い友人のままでいられるのだろう、という考えがふと思考の表面に浮かび上がる。死であるからには、やがて彼女は俺に人生の幕切れを宣告する。正直なところ、俺はまだ死にたくはない。俺は死ぬにはまだ早すぎる。


 だからいつか、俺が彼女を拒む瞬間が訪れる。

 死を拒むとは即ち、彼女に対する明確な拒絶に違いないのだ。

 

 その後も友人であり続けるのは無理だろうな。願わくは彼女と友人でい続けたいが、まだ、どうなるか分からない。友人でい続けたいという願いは確かに俺の思考に佇んでいる。少し黒くなったりもするちょっぴり怖い友人として、彼女にいてほしい気持ちがある。

 それはそれとしてそろそろ頬を解放してほしい。


「あ、三択くん。見て、オーリくんの今の顔っ。へぶっとしていると思わない?」

「んあ? オーちゃんの顔がどうしたって、っ、ほほっほ……! オーちゃんなにその顔。なのになんでそんなクールぶってんのよっほほっひ……!」


 トイレから戻ってきたらしいモヒカンがぷるぷると震えながら俺を指さす。この野郎と思った。


「なんかツボった、ツボっちまったんだわっほひひ……!」


 このモヒカン野郎め。


「離してくれないんだ。仕方ないだろ」


 その後、数分はそのままで、夕陽は楽しそうに笑い、レモンはぷるぷるし、俺たちの会話は続いた。その間、俺の頭には一つとして悩みが浮かんでこなかった。つまりは心の底から俺はこの時間を楽しんでいたということだ。この楽しい時間が続いてくれればいい。続いてくれ。

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