かくして不気味は訪れた

 チャイムが鳴り、朝のホームルームの時間となった。

 時間ぴったりにガララと扉が開かれ、睦月先生がいつもの白衣姿で現われた。先生はくたびれたという言葉が服を着たような人だ。よれよれのシャツに、しわしわのズボン、そして白衣。一教員というよりも、山奥の怪しげな研究施設の地下室の最奥にひきこもっている研究者のような風貌である。


「おはよう、みんな」


 先生はいつもの淡々とした声で挨拶すると、にやりと笑った。


「知っている人もいるかもしれない、だが殆どの人間にとっては突然の話になるだろう────転入生だ。このクラスの、な。さ、入ってきて」


 廊下から、教室内へ。

 一人の女子生徒が入ってきた。

 知っている人である俺は、やはり彼女を知っている。

 目の前にいる、パンをくわえていない彼女を、俺は知っている。


「はじめまして、今日からのクラスメイトの皆さん────」


 ホームルームの始まりである。


「一乃下夕陽と言います。隣の月 ヂ  


シノシノシ 

      ヂヂ

から転校してきました」


 転校、してきた。どこからだった。隣のツキシノシノシ。ツキシノシノシ? そんな名前は聞いたことがない。どこだ? 聞き間違いか?


「これから、よろしくお願いします」


 一乃下夕陽は教壇の傍で、少しも物怖じすることなくクラス全体を見回していた。女王然としたその様子は、クラス全体に只者でないという印象を与えたことだろう。

 只者ではない。では、彼女は何者だろうか?

 そんなことを考えながら彼女を眺めていると、俺の視線を感じたか否か、一乃下夕陽はすらりと刃のような視線を俺に向けると、薄く笑い、その紅く血色の良い唇を微かに動かし、喉を震わせた。まるで、俺の疑問に答えるが  ヂ 如く。


「あなたのシよ」ヂヂ。


 アナタノシヨ?


「……!?」


 ヂ、ヂヂ、ヂ。黒、人、黒。

 彼女が、ブレて、ブレて、ブレた。認識がズレたかのようにその姿がどす黒く変容し、真っ黒な、人型をしているだけの二次元的な、xy平面でしかない影へと転じた。ヂヂ。

 しかし、それさえも一瞬のことだった。

 再び彼女の姿は鮮明になり、z軸と色彩が加えられて一乃下夕陽という人間へと戻る。戻る? 本当に? 転じただけではないのか。本当の彼女はあの真っ黒な影で、今の人のような彼女こそ、人の眼を、俺の眼を眩ますための幻想なのでは……。


「パねえ、美しい……パねつくしぃ……」


 隣のモヒカンの賛辞が聞こえる。さきほどの一乃下夕陽の発現も、一瞬の変貌も、どうやら誰も聞いておらず、見てもいないようだ。


「パねえくらいに美しいは。パナーじゃねえわ、パネストだわ、パネストベアウティフルだわ……」


 レモンの言う通り、一乃下夕陽は確かに美人だ。何も知らずに見ていたら、きっと見惚れていたほどには。


「なあ、オーちゃん。お前もそう思わねえ? 一乃下さん、パねつくしくねえ?」


 小声で、レモンが問いかけてくる。


「同感だ。綺麗だよな」


 彼女は美人だ。けどそれ以上に。


「まだこの学校については分からないことばかりですので、いろいろと教えていただけると、とても助かります」


 不気味だ。

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