6-2 大雨と渦の端


「この間のリッピー、カノウナチって人だった!」


 掃除機を掛け、売り上げとタグを付き合わせ、売上報告のファックスを本社に送り、明日の準備をして、と閉店作業でスタッフが動き回っている最中。

 加持が蕗生を掴まえ、観に行った舞台のパンフレットを何冊も見せてくれた。

 実際行ったのはこの間言っていたひとつだけだが、『クマちゃん』から借りているのだという。

 そこには衣装の白いカッターシャツを萌え袖で着ている那智が写っている。

 可愛い。

 他には、月夜の幻想的なダンスシーンや、酔っ払ったメイクで猫耳を着けていたり。猫耳はちょっと、似合ってない。

 髪型も、分け方をしょっちゅう変えて、長かったり短かったり前髪を上げたり、髪の色はずっと黒なのに、それだけで印象が随分変わってる。

 奥二重の瞼の効果か、ミステリアスにも可愛くもカッコ良くも自在に見えて、睨むような表情だと一重に見えて途端にクールになる。


「見て見て、この伏し目とかもう、うちらを殺す気かってくらいエロくない?」


 いつもと違う『役者・叶能那智』を改めて見ると、不思議な存在に思えた。

 カッコイイのは間違いないけど、知らない人のようでもあって。

 あと、普段の那智に色気はないが、役者の那智にはある謎。


 ふと目に入った短いインタビューで、那智は舞台の、一発勝負なところが好きなのだと書いてあった。

 お客さんの素直な反応が嬉しくて、観客との駆け引きが楽しい、と文章は続いている。


 ハプニングへの対応力も鍛えられ、どこまでがセリフでどこからが素かわからないように魅せるのに苦心する、と以前、那智が何でもないことのように言っていたのを思い出した。

 映像仕事より更に、培ってきた技術を全力で出す場所が舞台だと。

 それで、部屋にいても息をするみたいに何気にストレッチしてるのも、入念に喉の調子を整えるのも、全ては舞台で演じるためなんだなあと蕗生は改めて感心したもので。

 そういう裏側を知ってパンフレットを見ると、那智の情熱も輝いて見えるようで頬が緩む。


「リッピーまた観たいから仕事して稼ぐわ」

「このあいだ本人が来た時は冷静だったのに……凄い熱量だね」

「むしろアレでちゃんと調べる気になったっていうか。冷静なのはこっちもブランド背負ってる接客のプロのプライドがあるからだよ。蕗生ちゃんもでしょ」

「心を殺すのは得意になるよね」

「確かに。表現をコントロールできる俳優さんってある意味羨ましいなって思うトコもある」

「うん」

「演者自身の高揚感はパワーになるけど、それをコントロールしながら演じて表現するって頭の回転の速さと冷静さがないと難しいことよね。そこが役者さんって凄いって思う所なのよ。話の理解、役の解釈、その上で自己表現。劇場には独特の何かがあるし何か居るっていうじゃない。ああいうのって、いろんな役者さんの緊張感が劇場に住んでるせいかな、なんて」


 でさ、と加持がニンマリ笑う。


「一緒に観に行こうよリッピーの出てる舞台」


 そう誘われた。

 何かに夢中になっている人って心底楽しそうなのが丸分かりで見ていて微笑ましい。


「んー、考えとく」


 那智の舞台を生で、なんて――勿論観てみたいが、最近の距離感のせいもあって、DVDやパンフレットで知る那智でさえ知らない人のようで不思議に映るのに、直接観たら自分の心臓が爆発するんじゃないかな、とか。

 何となく照れにも似たものもあって、少し落ち着く時間が欲しかった。


「そういえば、仲村にさあ」


 と加持が唐突に話を変えたので蕗生が怪訝な顔をした。

 今日、仲村は休みだ。


「リッピーの話したら、知ってたんだよね」


 加持は誰にでも布教したいんだな、と思いながら、知ってた、というところに引っ掛かった。


「知ってた?」

「叶能那智って名前を憶えてたみたいで、でも顔とリンクしなかったみたい。弟が二人居て、下の弟が観てた特撮番組を毎週、映画まで観てたから名前は憶えてるって」

「そこまで観ててリンクしないの?」

「雰囲気違うし、ピンクの人ばっか観てたってさ」

「ああ」


 仲村ならそうかも、と納得したところへ、店長の閉店作業が終って帰宅許可が下りた。


「リッピーは特撮の人なんだね。そりゃ、舞台でもあんだけ動けるわ。さ、帰ろうか」


 加持は那智を特撮じゃないところで知ったのに、知ったら『特撮の人』と何でもないように言う。

 那智はこういうのも不満だったんだろうか。

 積り積もって重く考えるようになってしまっていたのだろうか。


「また別問題だと思うんだけど……」

「え? 何?」

「ううん、何でもない」


 多分、簡潔に伝えるのは難しい、と口を噤む。

 バックヤードで私物を取り、エレベーターに乗りながらスマートフォンをチェックすれば、那智からラインが入っていた。

 弁当を食べたけどみんながほぼ食べてしまって那智があまり食べられなかったこと。

 お詫びにとメンバーが感想を提出してくれたからとその感想を長々と書いていた。

 急いだのか、変換ミスが酷くてちょっと読み難いけれど。

 それと、大雨で稽古場に泊まるかもしれないこと、そして、蕗生さんは大丈夫ですか、と送られてきていた。

 心配してくれるのが嬉しくて口角が上がる。

 人の流れに逆らわずエレベーターを出て、タイムカードを押し。出入り口で人の流れにぶつかった。


「ああ、これは大変だわ」


 加持がバッグから折り畳みの傘を出したのに、蕗生も倣った。

 スマートフォンどころじゃない。

 店内に流れる音楽で雨なのは分かっていたが、想像以上の大雨に驚いて、加持と暫く動けずに。


 ジッとしてても仕方がない、と意を決して激しい雨の中に出たが、傘は何の役にも立たず、悲鳴に近い声で喋りながら二人は駅に向かう。

 駅は目の前なので直ぐに辿りつけたものの、しかし案の定電車は運行していない。

 バスも無理。

 タクシーも乗り場は行列していていつ乗れるか。

 乗ったところでどこまで行けるか分からない――と、二人は歩いて帰ることを選んだ。

 百貨店は閉まったし、通用門ももう直ぐ閉まる。

 どこかに泊まるのも無理だろう。きっと人で溢れてる。

 だったら歩こうじゃない、と変に発揮した体育会系テンションで大騒ぎしながらザブザブと歩き、途中で加持と別れて少し淋しくなりながら、普段よりかなり困難でかなり時間が掛かったがなんとか家に帰ることができた。

 その頃にはもう日付も変わっていたが、取り敢えずシャワーを浴びて短い時間だけでも寝れたのは幸いだった。




 ――疲れていたのもあって那智のラインに返信出来ないままだったが、朝、見ると泣き顔のスタンプが送られて来ていて、笑ってしまった。

 癒し系って、こういう人だ。


     + + + + +


 翌日。


「蕗生ちゃん今日時間ある?」


 開店前の準備中、昨日の今日で加持から、とりあえず劇場行ってみよう、と誘われた。


「疲れてないの、カモちゃん……」

「平気」


 加持も睡眠時間はそう取れていないはずなのに、元気だ。

 手には、仕事中は店に持ち込み禁止のスマートフォン。


「キャンセル待ちしてた舞台が取れたんでさあ、ここの劇団は敷居が高くないってクマちゃんも言っててね」


 加持のそのクマちゃんへの信頼のおかげで、クマちゃんを知らない蕗生も何故か、じゃあ大丈夫か、という気になってしまって。

 那智が出ていないなら冷静に観れるかも、と観に行くことにした。

 昨日の天気が嘘みたいに晴れていたから、今日は帰宅に悩まされることはないだろう。

 多分。


     + + + + +


 ――夜九時開演のその舞台は小さめの劇場とはいえ見事に若い女性客ばかりだった。

 演者側も平均年齢が若く、やたら顔面偏差値が高いため、空間が眩しくキラキラして見える。


 夜遅いのには訳があるのか、と思ったのは、少しセクシーな演出があって、蕗生たちと同じように仕事帰りの女性客を、癒し……になるかは人それぞれだが、喜ばせているからだ。

 漫画が原作だということで、原作のファンも多い様子だった。

 

 板の上の芝居独特の演技臭さが良くも悪くも無くて、映像の芝居を観ているようだ、とは加持の感想だ。

 確かにセリフの抑揚があまりなくて、耳だけで単語や重要なポイントを理解するのが少し蕗生には難しい。

 きっと、原作を知ってる人なら解るのだろう。


 華やかな見た目や雰囲気に見合ったスマートでカッコイイ舞台だな、というのが蕗生の中に最後に残った感覚だった。

 全力投球過ぎる気もするが、拙く、でも鮮やかな演技は、爽やかで観やすいのは確かだが、演劇を生で観ること自体初めてだった蕗生には、話の内容よりも、動き回る出演者たちが生む迫力への感動の方が大きい。

 舞台がこうも近いと、足音やら上がった呼吸の音や流れる汗まで分かって、役者の『生』が分かって面白い。




 舞台の後にはちょっとしたイベントもあった。

 衣装のままの役者とツーショット撮影ができる、というものだ。

 舞台上に豪奢なソファーが二つ用意された。

 日替わりで俳優は変わるとかで、チケットに振られた番号の末尾の偶数か奇数かで二人のうちどちらの俳優になるか決まる。

 好きな俳優の方に行けないのは難点だが、どちらかに偏るのも俳優的には悲しいか、と蕗生が納得している間に、慣れた様子の女性たちがスタッフの指示通り並び、今日担当だという俳優二人が登場した。

 蕗生的にはどちらも知らない俳優だし、参加しなくてもいいかな、と思ったのだが。

 加持は「演劇ファンになる切っ掛けかもよ」と蕗生の背中を押した。

 一人ひとり、丁寧に対応するのは偉いと思う。

 ファンサービスを見守る女性達も、実際サービスを受ける女性達も嬉しそうで眩い。

 そうか、那智と写真を撮るとなれば嬉しいかも、と考えているうちに、蕗生の番になった。


「こんばんは。今日はありがとうございました。どんなポーズで撮りましょうか?」

「ええと。すみません、初めてで」

「ああ、緊張しなくていいですよ。はい座って座って。じゃあ、普通に」


 そう言って彼は、笑顔で蕗生の肩を抱き寄せた。

 待っているファンの子たちから悲鳴が上がる。

 いや、彼女達はどんな時でも悲鳴を上げるのだが。

 インスタントカメラで撮られた写真にその場でサインを入れてくれて、握手をして蕗生の番が終った。

 スタッフに促され舞台を降りて先に終わっていた加持の元へ戻ると、


「どうだった?」


 と笑顔で訊かれ。


「よくわかんないあいだに終わった感じ。サービス業的で俳優も大変だなあ」

「蕗生ちゃんホント冷静だね……」


 那智も、こういうことをするのだろうか。

 どうせなら知ってる俳優さんの方が面白そうだ、と蕗生は思った。


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