3-4 わたくしの愛する家族のために~終~

 本格的な魔獣対策が始まり、数か月が経過した。


 魔獣の出現は、やはりペスの推測どおり、霊素だまりが原因だろうと結論付けられた。フェイシア王国、バイアー帝国、ヤゲル王国、他周辺小国も含め、中央大陸中央部一帯での大規模な霊素だまりの調査がなされ、特に霊素の濃いと思われるものについては、各国協力し合って霊素持ちを派遣するよう、国をまたいでの連携がなされるようになった。


 しかし、霊素だまりの数があまりにも多いため、なかなかすべてを潰しきるのは難しい。大規模精霊術を使えればもっと話は早いのだが、ラディムもクリスティーナも、その地位に縛られてなかなか自由に動けそうもない。アリツェも幼い子供を思えば、領をそれほど遠く離れて出張るわけにもいかない。必然、霊素の少ない者が、集団で小規模の精霊術を行使し続け、どうにか大規模精霊術並みの霊素消費を実現するほか手がなかった。


 だが、原因不明のまま、現れた魔獣に対する対症療法だけを無駄に繰り返すよりは、問題の解決に向かっていると思える分マシではあった。


 アリツェは一仕事を終え、数日ぶりにグリューンへと戻ってきた。遠目に活気あふれる中央通りの姿を見て、全身のこわばりが緩むのを感じる。道中は緊張のしっぱなしだった。ようやくその苦労からも、一時的にではあるが解放される。


 アリツェは頭上で両手を組むと、そのまま身体をぐっと伸ばした。十分にほぐしたところで腕を解き、傍らに寄り添うペスとルゥに笑顔を向ける。使い魔たちの返す嬉しげな鳴き声にうなずくと、元気よく「さあ、参りましょう!」と口にし、大股で街門へと進んだ。


 今回の任務は、王都のクリスティーナから連絡を受けた、ヴェチェレク公爵領と隣接のシュラパーク男爵領との境に発生していた霊素だまりを、大規模精霊術でもって綺麗に消し去るものだった。幸い周辺に魔獣の姿が見えず、特に戦闘をすることもなく仕事を終えられた。


 だが、人手不足からアリツェの単独行となったため、終始不安な気持ちはぬぐい去れなかった。魔獣相手に負けるつもりはさらさらないが、不運が重なりでもすれば、一人では対処が難しくなる事態に直面する恐れもある。頼れる仲間がいなければ、リカバリーも難しくなるのだから。


 怪我無く無事にグリューンへ帰れた喜びを、アリツェは『精霊王』に深く感謝した。







 アリツェは久しぶりの子供たちとの対面を心待ちにし、弾む足取りで中央通りを抜け、公爵邸へと入った。迎えに出たサーシャに湯の用意を頼み、まずは汚れた身を綺麗にしようと浴場へ向かう。子供たちを、泥だらけのまま抱き締めるわけにはいかない。


 湯浴みを終え、室内用のドレスに着替えなおしたアリツェは、相好を崩しつつ子供たちの待つ私室へと向かった。


 部屋に戻るや、エミルがにかっと笑いながら駆け寄り、アリツェに飛びついてきた。アリツェはエミルの軽い身体をひょいと抱きかかえると、優しく頬ずりをする。子供特有の高めの体温が、我が家へと戻ってきたのだと実感させた。


「エミル、母がいない間も、いい子にしておりましたか?」


 アリツェの問いに、エミルは得意げな顔を浮かべ、「はいっ、母上!」と声を張り上げた。アリツェは目を細めながら、「おりこうさんですね」とつぶやき、エミルの頭を優しく撫でる。


 とその時、アリツェは左腕に付けた腕輪が、熱を持ち振動を始めたのに気付いた。


「お兄様からの通信要請?」


 アリツェは抱いていたエミルを下ろし、ソファーへと移動した。そのまま座り込み、腕輪に霊素を注入して通信を開く。エミルも傍に寄ってきて、アリツェの膝の上に座った。


 少しの間を置き、腕輪からラディムの声が漏れてきた。エミルはアリツェの顔を見上げ、「伯父上の声だー」とはしゃいでいる。


「どうされました、お兄様」


 アリツェはエミルのぷにっとした柔らかい頬を突きながら、ラディムに声をかけた。


『すまないな、突然』


「とんでもないですわ! お兄様からの通信要請、大変うれしく思います」


 謝るラディムに、アリツェは頭を振りながら否定する。


『ありがとう。……時間があまりないので、さっそく本題に入らせてもらう』


 少し間を置き、ラディムの咳払いが聞こえた。


『大司教一派の潜伏先が、見つかった』


「えっ!?」


 アリツェは頓狂な声を上げた。


 エミルが不思議そうにアリツェの顔を覗き込み、首をかしげている。アリツェは「なんでもないですわ」と口にし、エミルの身体をぎゅっと抱きしめた。


『ヴェチェレク公爵領のさらに北方。リトア族の勢力圏内にある大きな湖のほとりに、奴らのアジトがあるのを発見したよ』


「とうとう……、とうとう、あの者たちを追い詰める時が来たのですね! 長かったですわ……」


 具体的な情報が、ついに手に入った。対帝国戦争終結から五年、ようやくこの日がやって来た。


 アリツェはエミルを抱き締めながら、「ようやく、ようやくですわ」とつぶやいた。エミルもアリツェの様子を敏感に感じ取ったのか、今は黙ってされるがままになっている。


「それで、お兄様はどうされるおつもりですか? 大討伐隊を編成ですの?」


 アリツェはエミルを抱く手を緩めると、顔を上げ、ラディムの意見を問うた。


『いや、今は領内の魔獣対策で、兵に余裕がないんだ。現状、帝国臣民への影響の大きさを考えれば、魔獣への対処を最優先にせざるを得なくてね』


 ラディムのため息が漏れ聞こえてきた。


「我が領も同じですわ。おそらくは、フェイシア王国内どこも同じでしょう」


 アリツェもうなだれながら、現状の厳しさを嘆いた。


『せっかく居所を掴んだのだ。再び行方をくらませられる前に、どうにか捕縛をしたいのだが……』


「ここはやはり、以前同様に少数精鋭でしょうか」


 アリツェもラディムと同じ気持ちだった。この機会を逃したくはない。


 そうなれば、取りうる手段としては、かつてのエウロペ山での追討作戦同様、手練れの精霊使いによる少数精鋭が望ましいと思えた。人材面で余力がない現状、他に妙案もないだろう。


『あぁ、それが一番かと思い、アリツェに連絡をしたんだ』


「わたくしからクリスティーナには話をつけます。ただ、現状の魔獣対策を考えますと、精霊使いの第一人者であるわたくしたちが、はたして一時的とはいえ、それぞれの立場を離れられるのかという問題もありますわね」


 アリツェは口元に手を添え、考え込んだ。


 今、フェイシア王国内、とくに公爵領内の霊素だまりの解消の主戦力を担っているのは、アリツェだ。大司教討伐のために領を離れれば、霊素だまりへの対処が遅れるのは間違いない。……どちらを優先すべきなのか。悩ましかった。


 今すぐにでも北へ向かわねば、大司教は再び行方をくらますかもしれない。かといって、霊素だまりへの対処が遅れれば遅れるだけ、領内の人的被害が増える恐れもある。


 はっきりとした正解の見えない問いに、アリツェは胸が締め付けられた。頭がずしりと重く感じられる。


「その点は、残る精霊使いに、どうにか頑張ってもらうしかないだろうね」


 ラディムはため息交じりにつぶやいた。


 すべてを一人でこなすことは不可能だ。ある程度は、人に任せなければならない。だが、頭ではわかっていても、不安の種は尽きなかった。まだまだ実力的には未熟な精霊使いが多いのだから……。


「大司教一派の問題も、決して捨て置けるものではない。放置しては、また戦争の火種をばら撒かれる恐れもある。今が千載一遇のチャンスなのだ。私はたとえムシュカ侯爵に反対されようとも、必ず向かうぞ」


 ラディムは決意の言葉を述べるものの、漏れ聞こえる声はどこか苦し気だった。


 ラディムの心の内でも、本当にこの決断が正しいのかどうかの葛藤が、きっと渦巻いているのだろうとアリツェは思った。


「わたくしも、もちろん同行させていただきますわ」


 悩みは尽きない。だが、ここはラディムの言うとおり、後顧の憂いは残る者たちに断ってもらう他ないだろう。せっかくの大司教捕縛の機会を、逃すわけにはいかない。


「では、悪いがクリスティーナ様へ連絡を頼む。吉報を待っているよ」


「えぇ、お任せください」


 アリツェは首肯した。







 ラディムとの通信後、執務を終えて公爵邸へと戻ったドミニクに、アリツェは大司教の一件について報告した。


 ドミニクは目を大きく見開き、絶句した。魔獣対策に本腰を入れているさなかの、さらなる追加の問題発生だ。しかも、対魔獣の主力のアリツェの離脱を伴う。ドミニクの驚きも当然だとアリツェは思った。


 アリツェは開いていた窓を閉め、ソファーに座りなおした。ドミニクもアリツェの正面に腰を下ろす。


「ちょうど今、クリスティーナに伝書鳩を送りました。あとは返事を待つのみですわ」


 アリツェは大きく息をつき、目の前のドミニクの表情を窺った。


 どうやら、アリツェの話で受けた衝撃も収まったようだ。今はにこやかに微笑んでいる。……少し口元が引きつっているように見えるが、致し方ないだろう。


「世継ぎの王子も生まれたし、クリスティーナ様なら、きっと強引に許可を取り付けそうな気がするよ」


 ドミニクはクックッと忍び笑いを漏らした。


「確かに!」


 アリツェも手を叩き、ドミニクと一緒に笑い合う。


 クリスティーナは一年前、アレシュとの間に男児を産んでいた。将来アレシュが王位を継いだ後は、王太子になる王子だ。国を挙げての祝賀が執り行われ、グリューンでも領政府から住民に料理を振舞ったりと大いににぎわった。当時の楽し気な雰囲気を、アリツェは脳裏に思い浮かべる。明るい記憶が、アリツェの心をますます軽くした。


 暗く沈んだ雰囲気にならないようにとの、ドミニクの意図を感じる。アリツェも、できるだけ明るく振舞おうとした。


 悩んでばかりいてもダメだと思う。特に、家庭にいるときくらいは、笑顔を絶やすべきではない。エミルもフランティシュカも、アリツェたちが沈んだ顔をしていたら、きっと悲しむだろうから。


「今回は残念ながら、ボクは同行できない。シモンとともに、魔獣対策の矢面に立たなければいけないからね」


 ドミニクは頭を垂れ、アリツェに謝る。


「もちろんわかっておりますわ。大司教の捕縛に関しては、わたくしにおまかせくださいませ」


 アリツェはにっと笑い、身体をそらして胸を叩いた。


 アリツェが抜ける以上、対魔獣でのドミニクの果たす役割は、より大きくなる。『時間停止』の技能才能は、特に使い勝手がいい。シモンが魔獣と対峙する際の援護は、ドミニクが果たすべき役割だと、アリツェも理解をしている。


 一緒に行動できないのは寂しいが、今は世界の一大事。わがままを言っている場合ではなかった。


「しばらく離れ離れになる。なんとか時間を作るから、エミルとフランティシュカも交えて、家族水入らずの時間を過ごそう」


 ドミニクは立ち上がり、アリツェの隣に座りなおした。


「えぇ、えぇ。しかと、絆を深め合いましょう。……お互い、何があるかがわかりませんもの」


 アリツェはドミニクにしな垂れかかり、ゆっくりと目を閉じた。


「そうだね……」


 ドミニクはアリツェの耳元でささやいた。そのままアリツェの肩に腕を回し、身体を密着させる。


 アリツェはドミニクの温もりを感じつつ、しばしのふれあいを堪能した――。

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