2 帝国軍との初戦ですわ

 対バイアー帝国軍との最前線へ戻ってから、一週間が過ぎようとしていた。


 昼食を終え、アリツェはフェルディナントの指示の下、ドミニク、ルゥを伴い、主に風の精霊術で周囲の哨戒を行った。ザハリアーシュ率いる導師部隊の急襲があってはまずいので、定期的な巡回は欠かせない。


 明確に相手の霊素を感知できるのは、今の王国軍にはアリツェとラディムしかいない。ラディムは総指揮官になっているので身動きが取れない以上、アリツェ一人にかかる負担は大きい。そこで、少しでもかかる負担を軽減すべく、使い魔たちとある程度の分担をした。午後の時間はアリツェとドミニクにルゥ、夜はペスが見回り、深夜から午前中にかけては、ラディムの使い魔のミアとラースが交代で巡回した。


「ふぅ、今日の監視業務はこんなところかしら。特に異常はないですわね」


 巡回コースを回り終えて、アリツェは体をほぐそうとぐっと体を伸ばした。


 ずっと気を張り詰めていたためか、こうして一気に緊張感から解放されれば、自然と喉も渇いてくる。アリツェはドミニクとお茶にしようかと、自身の天幕へと歩を進めた。とその矢先、一人の兵士がアリツェの元へ駆け寄ってきた。伝令の下級兵だ。何事かと話を聞けば、とうとう帝国軍に動きが出たらしい。


「ついに来たか!」


 報告を聞くや、ドミニクは叫んだ。


「ドミニク! わたくしたちも急いでお兄様のお傍に!」


 事態は急速に動くはずだ。急いでラディムやフェルディナントと打ち合わせに入る必要があった。







「アリツェ、ドミニク! 来てくれたか」


 司令部の天幕に入るや、ラディムが両手を広げてアリツェたちを迎え入れた。興奮しているのか、ラディムはうっすらと顔を紅潮させている。


「お兄様、状況はどうなっておりますの?」


「今朝の報告で、帝国軍が国境の森の街道へ進軍を始めたとあった。行軍スピードからいくと、二日後くらいにはこちらの陣の近くまで来るぞ」


 二日――。


 戦に備えてアリツェ自身が準備をしなければならない装備品などは特にない。精霊使いなので、身一つに使い魔さえいれば十分だ。


 しかし、今、アリツェには心の準備が必要だった。戦争ともなれば、最悪、相手の命を奪う可能性がある。しっかりと意識付けをしておかなければ、いざというときに動けなくなる。


 二日もあれば、何とか最後の心の整理を付けられるだろうと、そうアリツェは自身に言い聞かせた。


「では、わたくしとドミニクは当初の予定どおり、お兄様の護衛に努めさせていただきますわ」


 ラディムの死は、王国側の敗北を意味する。帝国に攻め入る最大の大義名分を失ってしまうのだから。なので、アリツェとドミニクに求められている役割は、ラディムの絶対死守だった。


「ああ、頼んだ。……ただ、導師部隊が同行していて、前線をひっかき回されるようなら、応援に行ってもらうかもしれない。その点だけは気に留めておいてくれ」


 ラディムは申し訳なさげに顔を歪めた。


「わかりましたわ!」


 アリツェは大きくうなずいた。


 魔術に対抗できるのは精霊術のみだ。であるならば、導師部隊が出てきたらアリツェが出向くのが一番合理的なのも承知していた。理解はしている、あとはアリツェの気持ちを固めるだけ。殺し合いをやれるだけの覚悟を。


「ボクも了解だ、ラディム」


 ドミニクは腰に下げた剣の柄に手を当てながら、ラディムの目をじっと見つめた。







 打ち合わせ後、アリツェとドミニクは与えられている天幕に戻り、休憩に入った。


「アリツェ、辛くはないかい?」


 ドミニクが疲れた身体をほぐすように、全身の筋肉を伸ばしながら尋ねてきた。


「いいえ、大丈夫ですわ。わたくしも貴族の娘、覚悟くらいできていますわ」


 アリツェはゆっくりと頭を振った。


 貴族として生まれた以上は、その責務を果たさなければいけない。アリツェにはそれだけの能力も与えられている。ここで逃げるわけにはいかなかった。


 ドミニクは立ち上がると、アリツェの傍まで来て座り込んだ。


「ボクの前では、弱音を吐いたっていいんだよ?」


 ドミニクはアリツェの顔を覗き込み、やさしく声をかける。


「いけませんわ、ドミニク! あまりわたくしを甘やかさないでくださいませ!」


 アリツェは慌てて両手を振った。ドミニクの顔が間近に迫り、熱い吐息が顔にかかる。……身体が火照ってくる。


「そうは言うけれど、ボクは君の夫になるんだ。少しはカッコつけさせてほしいな」


 ドミニクはアリツェの頭をやさしく撫でた。


「ふふ、そんなことをしなくたって、わたくしの瞳には、あなただけしか見えていないですわ」


 不本意な悪役令嬢をこなしはした。だが、結果として、アリツェはドミニクに対する気持ちがさらに盛り上がったと自覚している。怪我の功名……なのだろうか。いまさら他の男性の元へなど、行けやしない。


「そういわれると、参ったなぁ……」


「ふふふ」


 赤面しながら頭を掻くドミニクを見て、アリツェは微笑した。


「でも、これから本格的に危険な状況に入る。お互いに何があるかわからない。今だけでも、ボクに甘えてはくれないか?」


 ドミニクは改めてアリツェを見つめると、そのままゆっくりと顔を近づけてきた。


「ドミニク……」


「アリツェ……」


 アリツェは唇に感じたドミニクの熱で、抱いていた不安が消えていくのを感じた。大丈夫、戦えると、アリツェは想いを新たにした。







 伝令の報告から二日後、予想どおりに帝国軍が現れた。大軍ではあったが、フェルディナントたち司令部の想定内だったらしく、王国軍側に取り乱した様子はなかった。司令部の参謀から次々と指示が飛び、伝令があちこちを走り回る。陣地内は大分活気づいていた。


「陣を張ってから随分と経ったからね。兵たちもやっと出番がきたと張り切っているのさ」


 隣でフェルディナントが笑っている。


「でも皆様、死の危険があるはずですわ。平気なのでしょうか」


「平気なもんか。そりゃ皆、怖いさ」


 フェルディナントは頭を振った。


「では、どうして?」


 アリツェはよくわからず首をかしげる。


「彼らには護るべきものがあるからね。愛する妻や子供、大切な家族たち。このまま帝国の手に落ちたら、どうなるか分かったものじゃないし、そりゃ怖いだなんて言ってられないよ」


 フェルディナントはぐるりと伝令に走る兵士たちを見遣り、「その気持ちは、私も同じさ」と口にした。


「ラディムが話していた、帝国内の精霊教徒の末路は聞いているよね。それを思えば、今ここで踏ん張らないといけない」


 精霊教徒狩りともいえる皇帝の対精霊教の取り締まりは徹底しており、一部の信者を除きすべてフェイシア王国側へ追放された。残った一部の信者は、取り締まりに抵抗をしたとして処刑されている。


 帝国に負けるということは、すなわち、王国の民も帝国の精霊教徒と同じ末路をたどりかねないということだ。なので、絶対に敗北は許されなかった。







 帝国軍が現れた当日はすぐに日暮れとなったので、衝突はなかった。いったん帝国軍側は森の中へ下がり、簡易の野営を行っている。現状で、ザハリアーシュ率いる導師部隊が同行しているかどうかが判明していないため、王国軍側からの夜襲は避けた。下手に突いて、魔術で反攻されれば被害ばかりがかさむためだ。逆に、帝国側からの夜襲もなく、どうやら翌日、正々堂々正面からの会戦を挑むつもりのようだった。


 フェルディナントたちの考えでは、皇帝ベルナルドは兵の士気を高めるためにも、搦手を用いるのではなく、最初は基本に忠実に攻めてくるだろうとのことだった。前回の皇帝親征では、会戦が一度も行われなかった。明日の戦いが、王国軍と帝国軍との初の本格的な会戦となる。その初戦で明確な勝利を収め、軍全体の士気を盛り上げようとベルナルドは意図しているのではないかと、フェルディナントは言った。


 アリツェは一人、天幕に備え付けられた簡易ベッドの上で横になっていた。この時間は悠太の時間だったが、相変わらず表には出てこない。最近はアリツェから呼びかけても反応がない場合が多く、アリツェは気がかりだった。やはり、クリスティーナとミリアのように、人格の統合が始まっているのだろうか。


 悠太自身が消えてしまうのではなく、融合のような形になるとはミリアの弁だが、しかし、独立した一個の人格があることで、今まで様々な相談を悠太としてきた。この相談ができなくなるのは、少々心細いところもあった。


(悠太様の人格と融合すると、わたくしはいったいどうなってしまうのでしょうか。ミリアは表面上変わった様子は見られませんでした。性悪のクリスティーナの面影は、見て取れませんもの)


 一人悶々と考えるが、結論が出る気配はない。堂々巡りの思考の中、ふと、ゴソゴソと外で物音がしているのに気が付いた。アリツェが天幕の入口を覗くと、ペスの姿があった。どうやら深夜になり、巡回をラディムの使い魔たちに引き継いで戻ってきたようだ。


『おかえりなさいませ、ペス。お疲れさまですわ。さ、いらっしゃい』


 アリツェは被っていた布団を少し持ち上げ、ペスが入れるスペースを確保した。ペスは素早く纏っている霊素を用いて身体を洗浄し、アリツェのベッドにもぐりこむ。


『ご主人、今夜も特に異常はなかったワン。開戦直前とはいっても、相手も夜襲をするそぶりは見せていなかったワンッ』


『そうですの……。叔父様たちの予想どおりですわね。とりあえず、明日の大一番を前に、しっかりと休めるのはありがたいですわ』


 ペスの念話に、アリツェはホッと胸をなでおろした。ショートスリーパーとはいえ、緊張する初陣を前に、万が一にも寝不足で臨みたくはない。少し早いが、今日はもう寝ることにした。







 翌朝、目を覚ましたアリツェは着替えを済ませると、すぐさま司令部の天幕へ向かった。


 天幕の中では首脳陣とラディム、ドミニク、エリシュカが顔をそろえていた。まもなく始まる初戦に、皆一様に緊張した面持ちだった。


「では、今のところ、ザハリアーシュらしき姿は見つけられないのだな?」


 フェルディナントが偵察の兵に確認をする。


「はいっ。同様に、子供で構成されている部隊らしきものも、現状では見つかりません」


 偵察兵は導師部隊も見つかっていないと付け加えた。


「そいつは僥倖……ともいえないか。斥候の調査可能な範囲外に潜伏している可能性もあるし、もしかしたらすでに魔術で身を隠して、側面や背後に回られている可能性もある。そして、最悪なのが、こちら側ではなく対伯爵軍側に同行しているパターンだね」


 フェルディナントは渋い顔をした。


「あら、なぜ伯爵様の軍の方にザハリアーシュたちが向かっていると、最悪なのでしょうか?」


 こちらにいないのであれば、戦局を有利に進められてさっさと帝国軍を叩けるし、伯爵軍の援軍にも向かえる。ありがたいのではとアリツェは疑問に思った。


「アリツェ、考えてごらんよ。伯爵側には君もラディムも聖女様もいないんだよ。誰が魔術に対抗をする?」


「あ……」


 自身が霊素を持っているのですっかり失念していたが、伯爵軍側に今、精霊術の使い手はいないはずだ。そんな伯爵軍側に、例の導師部隊が向かっているとすれば、確かに危険だった。まともに戦う前に魔術で戦線を乱され、致命的な被害を受ける可能性すらある。


 アリツェは壊滅する伯爵軍を脳裏に浮かべ、ぶるっと震えた。


「できればザハリアーシュたちにはこっちに同行をしていてもらいたい。ただ、隠密行動をとられるのは困るな……」


 フェルディナントは不安げにつぶやいた。


「昨晩は周囲に霊素を感じませんでしたわ。すぐに攻撃が可能な範囲に潜んでいる可能性は、限りなく低いと思いますの」


 アリツェは今のところ霊素の反応を感じていなかった。上空から広範囲を探らせているルゥからの報告も同様なので、潜伏の恐れはまずないと断言できる。むやみに恐れて作戦に支障が出るとまずいと思い、アリツェは自身の考えを述べた。


「フム……」


 フェルディナントは口元に手を当て少し考えこみ、隣の副官といくつか言葉を交わしている。


「とりあえずアリツェとドミニクは、しばらくラディムの護衛を頼む。もしザハリアーシュたちが見つかったら、対処のために急行してもらうから、そのつもりで」


 考えがまとまったのか、フェルディナントはアリツェに向き直り、指示を送った。


「ええ、もちろんですわ!」


 元々ラディムの護衛任務が第一の従軍理由でもある。言われるまでもなかった。それに、対魔術であれば、今はアリツェ以上の適任者がいないので、必要な時に前線に出張るのも覚悟はしている。恐ろしさはあるが、貴族として、民を守る責務があった。


「それと、ザハリアーシュたちがいないと確定した時も、一度前線に出て大規模精霊術を放ってもらえないか? 聖女様がいらっしゃれば頼みたかったのだが、あいにくと、まだ到着されていない」


 フェイシア王国と違い、ヤゲル王国内は頻繁に雪が降る。このため、クリスティーナたちの進軍速度はかなり悪いらしい。今はどうにかヤゲル王国を抜け、グリューンにさしかかるくらいだという話なので、あとひと月もしないうちに到着するはずではあったが。


「そちらも、お任せあれですわ!」


 大規模精霊術の行使による地核エネルギーの大量消費は、この世界の崩壊を防ぐためにも必要だ。実施できる機会があるのであれば、積極的に活用したい。問題は、敵兵に対して放つので、アリツェの心が耐えられるかどうかだった。


 ただこの点についても、フェルディナントはアリツェに大分配慮をしているようだった。精霊術の行使は、殺傷ではなく足止め目的で使ってくれれば十分だという。地の利もあるため、相手の突撃を防ぐだけで、相当に王国側が有利に立てるとフェルディナントは言った。


 であれば、アリツェとしては風の精霊術で突風を巻き起こし吹き飛ばすか、光の精霊術で強烈な光による目くらましを食らわせるか、地の精霊術で見えない落とし穴をあちこちに展開するのがいいかもしれない。


「では、そのように」


 フェルディナントの締めの言葉に一同うなずき、行動にはいった。







 中央大陸歴八一四年一月――。


 いよいよ今までの先遣部隊同士での小競り合いではなく、本格的に王国対帝国の戦端が開かれようとしていた。

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