2 悠太様と優里菜様……

 初経を迎えた翌日、意外な客人がグリューンにやってきた。


「お嬢様、ラディム様がいらっしゃっておりますが」


「まぁ、お兄様が! 応接室にお通しして」


 侍女からの報告を受け、アリツェは驚いて声を上げた。何の先触れも寄こさずに訪れるとは、何かあったのだろうか。


 アリツェは急ぎ支度をし、応接室に向かった。







「今、辺境伯軍を離れて大丈夫なんですの? お兄様が旗印になっているのですから、支障があるのでは?」


 アリツェは応接室に入るや、開口一番、ラディムの状況を憂うた。


 対帝国の大義名分となるのが、ラディムの存在だ。そのラディムが単独で軍を離れて、前線とは真逆のグリューンに足を運ぶのは、正直、あまり好ましくはないと思う。つまりは、そうせざるを得ないほど、何か重大な問題が発生したのではないかと、アリツェは疑った。


「ああ、まぁな……。ただ、叔父上に無理を言って、後を託してきた。実は、アリツェに相談したい件があってな」


「わたくしに相談ですの?」


 やはり、何か問題が発生したようだ。だが、わざわざアリツェに相談とは、いったい何だろうか。


「……何というか、ちょっとデリケートな話題というか……。同じ転生者で、片割れでもあるお前にしか相談ができない」


 ラディムは少しバツが悪そうに言葉を濁した。


「わかりました、伺いますわ」


 転生者であり双子の妹であるアリツェにしか相談できない悩み。はたして、何だろうか。


「いや、実はな。相談したいのは私ではなくて、優里菜なんだ。それも、悠太と話がしたいと」


 ラディムの言葉にアリツェは首をかしげた。ラディム本人ではなく、優里菜が、しかも、アリツェではなく悠太と話したいとは。ということは、転生者の現実世界の話か、VRMMO『精霊たちの憂鬱』がらみの話か……。


「はぁ……。では、ここではちょっと場所が悪いですわね。二人が表に出て会話をしている場面を、家の者に見られるとまずいですわ。わたくしの部屋に移動しましょう」


 フェルディナントから送り込まれた信頼のできる者しか、今は傍においていない。だが、転生がらみの話はまさにトップシークレットともいえる。むやみやたらに知られるわけにもいかなかった。







 ラディムを伴い自室に戻ると、アリツェはベッドサイドに腰を下ろした。ラディムもアリツェの勧めた椅子に座り込む。


「では、わたくしは眠りにつき、あとは悠太様にお任せしますわ」


 アリツェはゆっくりと目を閉じた。


「こちらも優里菜に代わる。優里菜、あとは任せたぞ」


 ラディムの声が聞こえたところで、アリツェの意識は落ちていった……。







 やがて、悠太は意識を浮上させ、目を開いた。同じく目を開いた優里菜をそっと見つめる。


「……久しぶりだね、悠太君」


「ああ、久しぶりだ、優里菜」


 悠太は優里菜と挨拶を交わしあい、押し黙った。しばしの沈黙が流れる。


「実はね、相談があるんだ。……その、私の身体のこと、そして、私の考え方の変化のこと……」


 やがて、意を決したかのように、優里菜はぽつりぽつりと語りだした。


「もしかして……、優里菜もなのか?」


 悠太は優里菜の言葉を聞き、ハッと目をむいた。まさに、今悠太が悩んでいる内容と同じではないかと。


「え? もしかして、悠太君も……?」


 優里菜は戸惑ったようにぽかんとしている。


「身体の性別に、人格の思考が引きずられているって話だろ? オレも最近、アリツェっぽい考え方になってきて、悩んでいるんだ。……あまつさえ、君ではなくて、ドミニクに心惹かれる始末だ。参ったよ」


 悠太は顔をしかめながら、頭を振った。


「そうなんだ……。私も、思考がラディム君っぽくなってきて、しかも、悠太君へのこだわりもだいぶ薄くなってきたの」


 優里菜は力なさげに肩を落とす。


「自分の転生素体の父に、悠太君――カレルを選ぶくらいに、好きだったはずなのに」


 優里菜は「なんでかなぁ……」とため息をついた。


「それで、あの……。これも、ちょっと言いにくいんだけれど、ラディム君の身体も何というか、大人になったというか……」


 一転、優里菜は頬を染めて、言葉を濁した。


「皆まで言わないでくれ、優里菜。アリツェの体も同じなんだ、つい先日、月の物がはじまった」


 察した悠太は優里菜を止めた。それ以上言うなと。だんだん、こっぱずかしい暴露大会になりつつあった。


「そう……。このまま私たち、素体側の人格に吸収されちゃうのかな? 本来は私たちのための転生素体だったはずなのにね」


「ヴァーツラフのやつ、いったい何を考えていやがるんだろう」


 優里菜もやはり、悠太と同様の懸念を感じているようだ。転生素体側の人格へ同化させられるのではないかと。


「思うんだけれど、やっぱり私と悠太君、入り込むべき身体が逆だったのかもしれないね。どう考えても、人格と身体の性別のギャップのせいで、今の問題が生じているとしか思えないもん」


「そうだよなぁ……」


 優里菜の推論が、一番納得のできる現状の説明だと悠太も思った。以前、アリツェとラディムが双子だと判明した際に、悠太と優里菜の人格が入り込むべき素体が逆だったのではないかと考えたことがあった。今のこの状況を鑑みれば、その時の考えは間違ってはいなかったのだと悠太は思う。


 悠太がラディム、優里菜がアリツェに入り込んでいたならば、おそらくすんなり人格の統合がなされたはずだ。


「でもそうなると、もう根本的な解決は無理ってことだよね。いまさら身体と人格を交換だなんて、できないし」


 優里菜は顔をゆがめ、深いため息をついた。


「もう、それぞれの身体の性別を受け入れて、ラディムやアリツェの人格に素直に統合されるしか、ないのかもしれないな……」


 一度流れ始めたこの人格の変化は、いまさら止められないかもしれない。


「別に、記憶は引き継がれるようだし、私たちの人生ってことで変わりはないと言えば、変わりはないのかもしれないけれど……」


「あぁ……、できれば元の人格のままの人生を送りたかったな」


 人格の根本の部分が変わってしまっては、やはり第二の人生とは言えないのではないかとも思う。


「ごめんね、悠太君。もうあなたに、特別な感情をほとんど抱けない。ただの仲の良い異性の友人程度にしか……」


 優里菜が悲しそうに表情を曇らせる。


「オレも同じだ。優里菜をあれほど好きだったはずなのに、今ではそんな気持ちがどこかに行ってしまった……。すまない」


 悠太もユリナ同様だった。無くしてしまった感情を憂い、優里菜に謝罪した。


「身体の性別に合わせて脳の構造も作られているんじゃ、仕方がないよ。もう少し成り行きを見守りつつ、いざ、どうしようもなくなったら、素直に運命を受け入れて人格統合されましょう」


 優里菜は半ば、あきらめているようだ。


「そうだな……。こうして、オリジナルの人格で優里菜と話せるのも、これが最後の機会かもしれない。よかったよ、会えて」


 変えようがない運命にこれ以上抗う真似は無理だと、悠太も薄々感づいていた。そうであるならば、元の人格が残っているうちに、こうして優里菜とゆっくり話す機会を持てたのは、幸運だったのかもしれない。


「うん、私も……。それじゃあね、悠太君。次に会うときは、ムシュカ伯爵領かな?」


 優里菜はうっすらと目に涙を浮かべていた。


「そうだな……。ドミニクとは話がついた。近日中に開催される王都の宴で、婚約破棄が発表され、オレは王国を追放されるだろう。今のところ、予定どおり行先はムシュカ伯爵領になるはずだ」


 グリューンに留まれない以上は、ムシュカ伯爵領以外に行く当てがなかった。


「もしそうなったら、先にムシュカ伯爵領で待っていてね。対帝国戦に一息ついたら、私も辺境伯軍からムシュカ伯爵軍に転籍する予定だから」


「まぁ、他国の軍隊で戦うよりは、反乱軍とはいえ、自国の軍で戦ってベルナルドを討った方が、のちのラディムによる権力掌握を考えるといいだろうしな」


 今は王国側の参戦の大義名分づくりで辺境伯軍として行動をしているが、最終的には同じ帝国の人間であるムシュカ伯爵領軍に所属し、伯爵領軍が主体で皇帝を討った方が、勝利後、ラディムが皇帝について国を掌握する際、帝国臣民の理解も得られやすいだろう。フェイシア王国からの侵略というイメージは持たれないように、細心の注意を払って行動しなければならない。


「そういうこと。じゃ、また会える日を楽しみにしているよ。その時はもう、悠太君はいなくて、アリツェちゃんだけかもしれないけれどね」


 今の人格変化の速度を考えれば、優里菜の言うとおり、次に会うときはもう人格がそれぞれの転生素体に吸収されている可能性が高い。やはり、これが元人格として会える最後の機会だろう。


「テストプレイが終わったら、いつかリアルでも会ってみたいな。まぁ、ベッドから身動きの取れないオレには、適わない願いだけれどな」


 完全介護の寝たきり状態の悠太には、とても実現不可能な望みだった。


「うん、そうだね……」


 優里菜も悲しげな表情でつぶやいた。







 悠太と優里菜の会話が終わり、再びアリツェとラディムの人格が浮上した。


 アリツェはいい機会だと思い、立ち上がって部屋の隅に移動した。


「お兄様……」


 アリツェはそう口にしながら、棚に置かれた素焼きの壺を手に取った。


「どうした、アリツェ」


 突然のアリツェの行動に、ラディムは首をかしげた。


「こちらを……。どうか、お兄様のところで、眠らせてあげてくださいませ」


 アリツェはラディムの傍に移動すると、手に持つ壺を手渡した。


「これは、もしや……」


 ラディムは壺に掛けられた布を外し、中身を覗き込んで目を見開いた。


「ええ、マリエさんの遺骨ですわ」


 アリツェは渋面を浮かべつつ、うなずいた。


「……わかった」


 ラディムは壺を大事に胸に抱くと、ゆっくりと目を閉じ、マリエの名を呼んだ。


(これで、わたくしのお兄様とマリエ様に対する贖罪はすべてですわ。お二人が納得してくれるかどうかは別と致しまして、勤めは果たしましたわ)


 眼前で涙を流すラディムの姿を見遣りながら、アリツェは胸を突き上げる気持ちを必死で抑え、涙をこらえた。今泣くのは、ラディムのみであるべきだと思い……。

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