5 なかなか手ごわいですわね

 アレシュに嫌がらせ現場を見られた翌日、アリツェはドミニクの訪問を受けていた。


「ねぇ、アリツェ。最近ボクに構ってくれないけれど、もしかしてクリスティーナの件で何かあったのかい?」


 ドミニクは不安げな表情でアリツェの顔を覗き込む。


「え? いえ、おほほ……」


 何と答えたものか迷い、アリツェは笑ってごまかした。


「むぅ、なんだか怪しいな。……実はね、アレシュの奴が、アリツェのことを悪く言うんで困っているんだ」


 ため息をつきながら、「まったく、あいつはまだ子供なんだから」とこぼす。


 どうやら昨日のクリスティーナの部屋の前での一件を受けて、アレシュはさっそくドミニクに告げ口に行ったらしい。なんとも行動が早い。


「君がクリスティーナをいじめているだなんてありえない妄想を語って、正直、辟易としている」


 ドミニクは両手を広げて、頭を振った。


「もし本当にわたくしがクリスティーナ様をいじめているとしたら、ドミニクはどういたしますか?」


 ドミニクの反応を確かめたくて、アリツェは鎌をかけた。ドミニクはどんな答えを返すだろうか。


「ははっ、そんな話、真に受けるわけないじゃないか。アリツェの性格はよく知っている。君に、そんな大それた真似はできないよ」


 ドミニクは一笑に付した。


「あら、わたくし、ドミニクが思っているほど良い子ではないですわ。裏の顔も、持っているんですのよ」


 アリツェはもう一歩踏み込んでみた。


「はっは、面白い冗談だね、アリツェ。アレシュの奴、どうやらあの性悪聖女を気に入ってしまったみたいなんだ。それで、君のことを悪く言っているんだろうな」


 それでもドミニクは笑い飛ばし、アリツェの言葉を本気にしなかった。


「はぁ……」


 今のドミニクの様子を見て、アリツェは何を言っても無駄だと悟った。


 ここまで信用してくれるのは、婚約者として嬉しい気持ちはもちろんある。だが、今この状況では、ちょっと好ましくはない。ドミニクの言動から、クリスティーナへの嫌がらせがまったく功を奏していないとわかる。


「まぁ、アレシュに何と言われようと、ボクはアリツェ一筋なのに変わりはないからね」


 ドミニクはニコリとアリツェに微笑みかけ、腕を伸ばしてアリツェの体を抱きしめた。


「あぅぅ、ドミニク、いけません」


 ドミニクの突然の行動に、アリツェはなすがままとなる。


「ふふ、今は二人っきりなんだ。いいじゃないか」


 アリツェの耳元に、ドミニクは優しく言葉をかけた。アリツェはもう、抵抗する気力を完全に失った。


(あぁ……、ドミニクに悪い印象を与えるはずが、まったく効果が出ていませんわ……)







 ドミニクはアリツェを解放すると、そのまま自室へと帰っていった。アリツェはその様子を部屋の入口で見送る。すると、すぐさまどこからかクリスティーナが現れて、ドミニクの腕にまとわりつき始めた。


「またクリスティーナ様がドミニクに付きまとっていらっしゃいますわね」


 神出鬼没のクリスティーナに、アリツェは苦笑した。


(積極的なのはいいけれど、まったく歯牙にもかけられていないよな、あれ)


「なんだか哀れに思えてきますわね」


 悠太の厳しい一言に、アリツェも同感だった。はたから見ている分には、クリスティーナの態度は痛々しかった。


(このままじゃ何も変わらないぞ、アリツェ。ドミニクの気持ちはアリツェから離れる気配はないな)


 クリスティーナが腕を絡めようが、しな垂れかかろうが、ドミニクはまったく動じる様子がない。


 ドミニクの態度にアリツェは嬉しさから胸が熱くなるが、どうにか気持ちを押しとどめた。自分を殺さなければいけないと、アリツェは頭を振る。


「うーん、どういたしましょうか。先に外堀を埋めてしまいますか?」


 これまでのやり取りで、今までの生ぬるい嫌がらせではクリスティーナはまったく動じないとわかった。また、ドミニクもドミニクで、アリツェへの愛が深く、生半可な作戦では気持ちを動かせそうにない。


 であるならば、別の手段を用いなければいけないとアリツェは思い始めた。


(というと、王国の有力貴族たちの心変わりを促して、そいつらからドミニクを説得させるって感じか?)


「ええ、その方が早い気がしてきましたわ。それに、直接ドミニクにわたくしの醜態をさらさずに済みますから、わたくしとしても精神的に助かりますわ」


 悠太の言葉にアリツェはうなずいた。


 内からがダメなら外からだ。ドミニクに影響力を持つ国王や周辺の高位貴族の考えを変えて、彼らからドミニクにクリスティーナと婚約を結ぶよう働きかけさせればいい。


(まぁ、その手段も交えるのは賛成だ。けれども、クリスティーナへの嫌がらせはやめちゃいけない。やはり君自身が悪役だと、ドミニクに強く印象付ける必要はあるよ)


 悠太は両面作戦で行かなければだめだと言った。


「まぁ、そうなんでしょうが……」


 アリツェは不満げに口をとがらせた。


(ドミニクの性格を考えれば、アリツェに対する不信感を抱いていなければ、たとえ周囲から何を言われようともきっと突っぱねる。だから、アリツェは何としても、ドミニクの不興を買うように努めなくちゃいけないんだ)


「はぁ……、役目とはいえ、気が重いですわね」


 悠太の言葉はもっともだったので、アリツェは否定ができなかった。できれば早く、こんな役割は終わらせたい。


(これまでのような半端な手はやめよう。今後はドミニクにアリツェの悪事がしっかりと見えるように、意識した方がいいかもしれないな。より、立派な悪役を演じ切るんだ!)


「仕方がありませんわね……。それにしたって、立派な悪役って何ですの……」


 先が思いやられ、アリツェは大きくため息をついた。







 数日後、今度は屋敷の二階の階段の傍でアリツェは身を隠していた。


(クリスティーナがきたぞ。ちょうど使い魔を連れていない、チャンスだ)


 悠太の言葉で顔を上げると、クリスティーナが階段へ向かって歩いてくるのが見えた。


(本当にやらなければいけませんの? わたくし、ちょっと……)


 今回悠太に指示された手段は、少々手荒なものだった。今まで以上にアリツェの忌避感を呼び起こす。


(悪役令嬢といえばこれなんだよ! と言っても、実際は誤解か、自作自演、はたまた、周囲の取り巻きが勝手にやったっていうパターンが多いんだけどな)


 悠太が元の自分の世界で読みふけっていた物語に出てくる悪役令嬢には、たいていこの手の話が含まれているらしい。階段からの突き落としが……。


(はぁ、そうなんですの。……でも、仕方がありませんわ。悠太様を信じます)


 なんとも乱暴な手段だとアリツェは躊躇する。だが、今は悠太の言うとおりにやらなければいけない。悪役令嬢をまっとうするのが使命だ。


 クリスティーナが階段を降りようと一歩足を踏み出した瞬間、アリツェは背後に回り、ドンっと背を押した。


「え? きゃ!? いやあああっ」


 クリスティーナは悲鳴を上げ、階段を転げ落ちた。


(よしよし、うまくいったぞ)


(はぁ、なんでこんなことを……)


 悠太は声を弾ませるが、アリツェは気が重かった。むやみに人を傷つける行為をした自分に、嫌悪感がこみあげる。


「あっ!」


 転げ落ちるクリスティーナが階段の踊り場まで達しようかとした瞬間、クリスティーナは大きな声を上げ、不意に空中に浮きあがった。


(なんだ!?)


(あっ、あれは精霊術!? どうやら使い魔がどこかに潜んでいたようですわ!)


 クリスティーナの周囲にはぼんやりと白い空気の層が見えた。強い霊素を感じたので、どうやら風の精霊術で体を浮かせたようだとわかる。


(チッ! 運のいい奴だ)


 悠太は悔しそうに舌打ちをした。


(とにかくこの場を離れましょう! 悪事が発覚するのは構いませんが、精霊術で反撃されて大けがを負うだなんて、嫌ですわよ!)


 相手の傍には使い魔がいて、しかも霊素を纏った臨戦態勢だ。このままこちらに攻撃を仕掛けられては、分が悪かった。


(言えてるな。退散退散!)


 悠太の言葉にアリツェはうなずき、そのまま自室に逃げ帰った。


「この感触……、またあのちんちくりんね! しつこいなぁ! そんなに私に、婚約者を取られるのが嫌なのかしらね!」


 背後からクリスティーナの怒号が飛んできたが、アリツェは無視してひたすら走った。


(何とでもおっしゃってくださいな。これはわたくしの役目、わたくしの心とは関係がありませんわ!)


 あくまで悪役令嬢としての役割からやったこと。自身の意思とは関係がない。アリツェはそう自分に言い聞かせることで、精神のバランスを保とうとした。

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