3 わたくし悪役令嬢になりますわ!

 翌日、辺境伯邸にフェルディナントが血相を変えながら帰ってきた。


「大変だ、アリツェ、ラディム!」


「叔父様、どうなさいましたの?」


 驚いたアリツェとラディムは屋敷のエントランスまで駆け付けると、興奮しているフェルディナントを落ち着かせようとした。


「ついに帝国が動き出す気配を見せた。戦争の準備が本格化するぞ!」


 だが、フェルディナントは口角泡を飛ばしながら声を張り上げる。


 今までまったく動きのなかった帝国が、ついに行動準備に入ったと密偵からの報告があったらしい。フェルディナントが感情を高ぶらせているのも、無理もない話だった。


「ムシュカ伯爵側の準備はどうなっている?」


 ラディムは不安げにフェルディナントに尋ねた。


 ムシュカ伯爵家単独では、帝国軍本隊にはとてもかなわない。隣国バルデル公国からの派兵待ちだと以前伯爵は話していたが、その援軍は冬ごろに到着する予定だった。今はまだ晩秋、公国側の派遣準備が間に合っていない可能性が高かった。それに、伯爵家はラディムの恋人エリシュカの実家だ。特に心配なのだろう。


「どうやらバルデル公国からの援軍が早めに到着したようで、帝国軍に攻められたとしても、迎撃できるだけの態勢は整ったようだ。攻勢に出る場合も、特に問題はないと回答を得ている」


 フェルディナントの答えに、ラディムはホッと安堵の吐息を漏らした。


「我々もこうして、王国軍本隊と合流ができた。帝国と本格的に事を構えられるだけの陣容は整ったと言えるね」


 婚約の儀に備えてフェイシア国王とともにやってきた王国軍の本隊は、すでに国境に陣を張る辺境伯軍と合流し、指揮系統の再編まで済ませていた。


「帝国は二方面作戦で行くつもりなんですの?」


 一方の戦線に主力を張り付け電撃戦で一気にケリをつけたのち、もう一方の戦線へと全軍を投入する。もしくは、最初から二方面に均等に戦力を割り振り、状況に応じながらそれぞれの戦線間のバランスをとる。


 先に帝国側が動き出したという事実から、帝都ミュニホフでの籠城戦は、今は考える必要はないだろう。


 帝国がどちらの策を取るのか、アリツェは気がかりだった。アリツェの持つ精霊術は、ザハリアーシュ率いる導師部隊に対抗する有効な手札になるのは間違いがない。アリツェには、かの部隊の出張る戦線に自らが参戦する方が、味方の損害を抑えられて効果的だろうとの考えがあった。よって、帝国軍の動向は大いに気になる要素だった。


「いや、どうやら我らの側に主力を傾けているようだぞ。『逆賊ラディムを討つ』が、ベルナルドによって掲げられた旗印になっている」


「はぁ……、陛下にも困ったものだ」


 ラディムは大きくため息をついた。


 だが、アリツェは好都合だと思った。今アリツェのいる辺境伯領方面に主力が来るというのであれば、十中八九導師部隊も一緒のはずだ。何かあったらすぐにアリツェやラディムの精霊術で対処ができる。


「ヤゲル王国からの応援部隊もじきにくるだろうし、そうなればヤゲルの誇る弓兵隊による広範囲の面制圧力で、戦況を有利に進められるはずだ」


(叔父様のお話を伺う限りですと、王国側はヤゲルの戦力を当てにしている部分がありますわね……)


 フェルディナントの言葉で、これまで悠太と激論を交わしてきた婚約破棄の件が脳裏によみがえり、アリツェは顔をしかめた。


「アリツェとドミニク王子との婚約成立で、国王側近たちも最前線たる我々と強固なつながりが持てたと大分喜んでいるようだ。兄が亡くなって以来、一度王都側とは関係が希薄になったから、余計にな」


(わたくしとドミニクとの婚約を推し進めたのも、王都の貴族たちが辺境伯家とのつながりを強化したかったという側面があったのですわね)


 元々は、カレル前辺境伯の死で疎遠になった王家と辺境伯家との関係の強化が、アリツェとドミニクの婚約成立の陰にあったようだ。王家側の思惑が辺境伯家との関係強化で、精霊教会側の思惑が王国内での精霊教の勢力拡大。この二つの思惑が絡み合い、アリツェとドミニクとの婚約話につながった。だが――。


(今は辺境伯家との関係性以上に、ヤゲル王国との関係を重視すべき時ですわ。直接帝国の脅威にさらされている辺境伯家に、王国との関係悪化を望む者がいるはずはないですし)


 対帝国の最前線になっている辺境伯家が、王家に逆らうはずもなかった。であるならば、現状で王家側に辺境伯家と婚姻を結ぶ動機は薄まる。婚姻などなくとも、辺境伯家は王家に助勢を求めなければならない状況に陥っているからだ。宗教的な問題で辺境伯家が帝国に寝返るという選択肢もあり得ないので、今の辺境伯家は王家にとっては御しやすいはずだった。


(それよりも、聖女の機嫌を損ねてヤゲル王国の援軍が無くなる方が、フェイシア王国全体としてはダメージが大きいですわね)


 ここまでを頭に入れて考えれば、フェイシア王家が今最も関係を強化すべきなのは、おのずとヤゲル王国という結論に達する。フェルディナントが言うように、ヤゲル正規軍の弓兵隊による広範囲の面制圧力は魅力的だった。これが無くなるのは、味方の損害がかさむ危険性が圧倒的に増すため、避けたいはずだ。


(やはり、わたくしが悪役になり、ドミニクとクリスティーナとの婚姻を推し進めるべきなのでしょうね。悲しいですが……)


 悠太の言うとおり、アリツェが悪役令嬢を演じ、ドミニクとクリスティーナの婚約へと話が流れていくように誘導をする必要がありそうだと、改めてアリツェは痛感した。


「でも今はわたくしたちよりも、ヤゲル王国との関係を強化した方がよいのではないでしょうか?」


 フェルディナント自身も王家との関係が強まり喜んでいる様子だったので、アリツェは再考を促す意味で提案した。


「クリスティーナ様の件かい? いやぁ、確かにヤゲル王国との関係を強化したいと思っている貴族も多いけれど、それ以上に、王国の盾となるわがプリンツ辺境伯家との関係を密にしたいと思っている貴族が多い。アリツェが心配することじゃないさ」


 フェルディナントは笑い飛ばし、アリツェの意見に聞く耳を持とうとはしなかった。


(叔父様は聖女様の精霊術の特殊性をよくご理解成されていないのでしょう。クリスティーナ様にヤゲル王国を大きく動かせるだけの影響力があると気づいている方が、今のフェイシア王国内でどれくらいいらっしゃるのでしょうか)


 精霊術がいかに大きな影響を周囲に及ぼせるかを、正確に知るものはまだまだ少ない。おそらくはフェルディナントも大規模な精霊術はまだ見たことがないのだろう。聖女の力を低く見積もったとしても責められなかった。


(精霊術を行使できるのは、わたくしたち子どもだけ。しかも、わたくしや聖女様並みの強力な術が使える者はまずいない。なので、普通は精霊術が及ぼす影響など、なかなか想像がつかないのでしょうね)


 であるならば、ここはやはりアリツェ自身が能動的に動き、望んだ形に世界を誘導していかざるを得ない。


 フェルディナントはアリツェが不安感を抱いているのだと勘違いをしたのか、「安心しなさい」と言って、アリツェの肩をポンっと叩くと、部屋を後にした。どうやらこの後、国王たちとの打ち合わせがあるようだ。


 フェルディナントを見送ったアリツェは、今後をどうするかを決めるために黙りこくり、思索の海に飛び込んだ。


(アリツェ、いっそのこと世界再生教に鞍替えしたと思わせて、魔術を使って悪役を演じるってのはどうだろう?)


 悠太の提案に、アリツェは一瞬ぎょっとした。


(……そこまでやれば、さすがにドミニクでも擁護はできなくなりそうですわね。わたくしが魔術を駆使して悪さをし魔術の悪評を王国中に広めれば、いまだ残る王国内の魔術寄りの貴族たちも精霊教に宗旨替えするでしょうし、王国全体が精霊教にまとまるいいきっかけになりそうですわね)


 よくよく考えると、悠太の案はなかなかに都合がよさそうだ。婚約破棄の問題で見れば、アリツェ、ドミニク、クリスティーナの当事者三人以外の外野に対して特に有効に働くだろう。いわゆる外堀を埋める作戦として使えそうだった。


(では、さっそくわたくし、悪役令嬢になりますわ。やると決めたからには、徹底的にやりますわよ! ドミニクの悲しがる顔を見るのは、心苦しいですが)


 アリツェの迷いも次第に消えてきた。悪役令嬢をこなす決心が、ようやくついた。


(ラディムには辺境伯家の一員として、また、皇位継承権を持つ帝国の皇子として、がんばってもらおう)


 これから悪役令嬢としてアリツェが落とす辺境伯家の評判を、ラディムが戦果でそそぐことで、うまくバランスを取ればいいと悠太は言う。ラディムが主となって皇帝ベルナルドを討てば、辺境伯家の評判も上がるし、アリツェが王国を万が一追われた際に、帝国内に安全に逃げ込める場所を作ってもらえる。


(そうですわね……。お兄様にも、一肌脱いでもらいましょう!)


「お兄様!」


 アリツェは隣に立つラディムへ向き直った。


「なんだ、アリツェ。さっきから黙りこくって、何やら考え込んでいたようだが」


 ラディムは首をかしげた。


「わたくし悪役令嬢になりますわ! ですので、お兄様は皇帝になってくださいませ!」


 アリツェの唐突な宣言に、ラディムはきょとんとした表情を浮かべた。


 その後、アリツェはラディムに事情を説明し、協力を求めた。この作戦はラディムの力もなければだめなので、何としても理解をしてもらう必要があった。


「アリツェ……、君は本当にそれでいいのか? 君一人だけが泥をかぶるように見えて、私は正直、賛同しきれないのだが」


 アリツェの提案にラディムは戸惑いの声を上げた。


「いいんです。これが貴族の娘として生まれたわたくしの使命だと思っております。お兄様、どうか皇帝を打ち破り、精霊教を国教とする新たな帝国を打ち立ててくださいませ」


 考え直すよう促すラディムにアリツェは頭を振り、ラディムの手をつかんでぎゅっと握りしめた。

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