4 看板に偽りありですわ!

 晩餐ののち、悠太はドミニクを伴い、クリスティーナの滞在する部屋に赴いた。


「まぁっ、まぁっ! あなたがドミニク様ですか! 王都プラガで聞いた噂どおり、素敵な殿方でいらっしゃいます。どこぞのちんちくりんな娘にはもったいないくらい!」


 ドミニクの姿を確認するや、クリスティーナは満面の笑顔を浮かべてドミニクの手を握った。


 傍に侍っている三匹の子猫が、クリスティーナの動きに合わせて、ドミニクの足元にまとわりついた。どうやら、クリスティーナの使い魔のようだった。わずかに霊素を感じられる。


「クリスティーナ様、おほめいただきありがとうございます。……ただ、その『ちんちくりんな娘』とは、いったい誰を指していらっしゃるので?」


 ドミニクはピクリとも表情を変えず、握りしめられたクリスティーナの手を振りほどいた。


 ドミニクの迫力に使い魔の猫たちは怯え、慌てて逃げ去りクリスティーナのベッドの下に潜り込んでいった。


「あらいやだ、私ったら。つい思っていたことを口走ってしまいました。お気になさらないでくださいな」


 クリスティーナは口に手を当てて、「おほほ」と笑う。


(ちんちくりんで悪かったな!)


 絶対にわざとだろうクリスティーナの態度に、悠太は内心で毒づいた。


「私、あなたが気に入りました! 今後ともぜひ、仲良くしてください」


 クリスティーナはしつこくドミニクの腕を取った。


「は、はぁ……。わかりました。アリツェと一緒でよければ」


 ドミニクは困り果てた表情で、ため息をついた。


「まぁ、私の美貌を飾るのに、そこそこな容姿の添え物を一つくらい、傍に置いておくのも悪くはありませんね」


(オレはクリスティーナを彩るための付属品扱いかいっ!?)


 クリスティーナのあまりな扱いぶりに、悠太は愕然とする。言い返してやりたい気持ちもあったが、今はドミニクとクリスティーナの会話中なので、グッとこらえた。


「また明日にでも、色々とお話をいたしましょう。ご一緒に街を散策などもいいですね」


 クリスティーナは一方的に明日の予定を立て始める。


「はぁ……、ただ、私はアリツェと婚約の準備がございますので、おそらく時間はとれませんよ?」


 ドミニクはくたびれた様子で頭を振った。


「まぁっ、まぁっ! わたくしの願いであれば、時間などどうとでもなります。明日、楽しみにしていますね」


 クリスティーナは最後までマイペースだった。







 クリスティーナの部屋を出て、悠太とドミニクは応接間へと向かった。ぐったりとしながら廊下を歩く。


「自分の世界に入り込んでいるというか、人の話を聞かないというか……」


 ドミニクは「ふぅー」とため息をつく。


「いろいろと問題がお有りな方ですわね。なんだか、先が思いやられるようですわ」


 性格に難がありすぎた。クリスティーナは自分の言いたいことだけをべらべらとしゃべり、結局、精霊術の披露はしなかった。悠太も気疲れで、クリスティーナに突っ込みを入れる余裕がなかった。


(あー、しまったな。念のため、転生者かどうかも確かめるべきだった。……次に会った時に、さりげなく鎌をかけてみるか)


 グリューンの街で初めて聖女の大規模精霊術のうわさを聞いたときに、悠太は聖女がテストプレイヤーの転生者ではないかと疑った。だが、すでにラディムが優里菜の転生体だと判明しているため、もはやありえない話ではある。


 しかし、聖女の行使したと言われる精霊術は、今のこの世界の精霊術の水準では不可能だと思えた。であれば、何らかの原因があるはずだと、悠太は睨んでいた。


(聖女が何者なのか、探る必要があるな……)







「参った、まさかこんな事態になるなんて……」


 ドミニクは頭を抱えて、ソファーの上で唸り声をあげた。


 聖女一行を迎えた晩餐会の翌日、ヤゲル王国側から一つの提案がなされ、アリツェとドミニクの心をかき乱していた。


「まさかここまで、周囲を無視して突っ走る方だとは、わたくしも思いませんでしたわ」


 アリツェはため息をつきながら、頭を振った。


「アリツェとの婚約を中止して、代わりにクリスティーナと婚約しろだなんて、そんな真似できるはずないではないか!」


 ドミニクはバッと顔を上げると、声を張り上げた。


「……ドミニク。わたくしとの婚約、中止になんてしませんわよね」


 アリツェは不安になり、ドミニクの顔を覗き込んだ。


「当り前だ! ボクを見くびらないでくれ。あんなぽっと出の女に惹かれるほど、クズじゃない」


 ドミニクは「あり得ないっ!」と口にし、アリツェの肩をつかんだ。


「……ドミニクのその一言を、待っていましたわ。信じて、よろしいのですわよね?」


 言葉を返す代わりに、ドミニクはそのままアリツェを強く抱きしめた。


 アリツェはされるがまま、目をつむってドミニクの熱を感じた。しばらく抱き合った後、アリツェとドミニクは名残惜しげに離れて、ソファーに座りなおす。


「ただ、一つ厄介な事実がわかってしまったね」


 ドミニクは渋面を浮かべた。


「ええ……。まさか、クリスティーナ様がヤゲル王国の王女だとは……」


 聖女クリスティーナとの婚約を結ぶようにと主張してきたヤゲル王国の使者は、もう一つの大きな爆弾を投げ込んできた。


 クリスティーナがヤゲル王国国王の娘であり、王位継承権を持つ王女であると。


「妾腹の王女だったので、今まで表に出ていなかったようだね。ただ、精霊術の才能を見せ始めたので、使いようがあるとして、今はこうして外交の場に出てきているようだ」


 クリスティーナの実態が今まであまり知られていなかったのは、妾だった母親の身分が高くなかったかららしい。本来ならば、政略結婚の道具の一つとして使い捨てられる程度の、取るに足らない末端王族として終わるはずだった。


 だが、偶然に持っていた精霊術の才能が、クリスティーナの人生を一変させた。


「あの性格と振る舞いでは、かえって外交関係をこじらせてしまうのではないかと、わたくし思いますわ」


 周囲の態度の急変に、クリスティーナはすっかり性格がねじ曲がってしまったようだ。聖女として見出される前のクリスティーナは、決して今のような高慢不遜な性格ではなかったらしい。……いずれも又聞きなので、どこまで正確なのかはわからないが。


 しかし、現状の性格のままでは、とても外交で成果を示せるとは思えなかった。ヤゲル王国はどのような意図をもって、クリスティーナを外交使節団にねじ込んできたのだろうか。


「はは、まったくだね」


 ドミニクもアリツェと同感らしく、うなずいた。


 ヤゲル王国側からの提案は、フェイシア王国の王子であるドミニクとヤゲル王国の王女であり聖女でもあるクリスティーナが婚姻を結び、将来的にその子供たちをそれぞれの国王に据えることで、精霊教を国教とする国同士の連合王国化を図り、最大の敵、バイアー帝国に対抗しようというものだった。


 ドミニクによると、どうやら使節団に同行しているヤゲル王国の重臣たちは、クリスティーナの言いなりになっているらしい。クリスティーナのドミニクとの婚約に関するわがままをどうにか実現できないかと考えた末に、無理やりひねり出した案というのが真実のようだ。


 それにしても、ずいぶんと長期的な計画だ。正直に言えば、それだけの期間が経てば、帝国との関係にも何らかの形で一つの決着がついているのではないかと、アリツェは思った。クリスティーナの突発的なわがままから一晩で強引に立てた案なのだから、穴があるのも当然と言えば当然なのだろう。アリツェはヤゲル王国の重臣たちに同情した。


 フェイシア国王や付き従っている側近たちは、プリンツ辺境伯の重要性を鑑み、ヤゲル王国の提案を飲まず、予定どおりアリツェとの婚約に臨むべきだとの態度を取った。ドミニクも当然、アリツェが好きだったので聖女の要請はきっぱりと断った。


 アリツェは多少やきもきする場面もあったが、最終的には予定どおりに婚約の儀へ望めるとわかり、安堵した。







「ドーミーニークーさーまっ!」


 屋敷の廊下をドミニクと連れ立って歩いていると、背後からクリスティーナの大声がこだました。


「クリスティーナ様、そんなにくっつかないでください」


 クリスティーナは傍のアリツェを跳ね飛ばすと、ドミニクの腕に自分の腕を絡めて密着した。


(ちょ、ちょっと! 何をなさるんですか!)


 アリツェは怒鳴りつけたくなる気持ちをどうにか押しとどめた。廊下で声を張り上げるなんて、はしたないと思ったからだ。


「うふふ、いいじゃないですか。私たち、すぐに婚約者になるんですから」


 ニコニコと微笑みながら、クリスティーナはドミニクにしな垂れかかった。


(誰が婚約者になるんですか! ドミニクの婚約者はあなたではありませんわ! このわたくしです!)


 アリツェの脳内では、怒りの声が鳴り響いている。アリツェは精いっぱいの怒気を込めて、クリスティーナをにらみつけた。


 だが、クリスティーナはドミニクしか視界に入れていないようで、アリツェの態度にはまったく気付いていなかった。


「ですから! 私はアリツェとの婚約を解消する気は、さらさらありません!」


 ドミニクはクリスティーナの腕を振りほどいて、離れようとした。


「またまた、恥ずかしがらなくてもいいんですよ、ドミニク様」


 逃がすまいと、クリスティーナは再びがっちりとドミニクの腕を抱え込む。


「はぁぁー……」


 ドミニクはあきらめたのか、深くため息をついてうなだれた。


 このようなやり取りが、婚約の儀の前日まで延々と繰り返された。クリスティーナのあまりのしつこさに、アリツェとドミニクの精神は大分疲弊した。これから婚約の儀に臨むというのに、すでにクタクタだった。







「いいなぁ、クリスティーナ様……」


 ぼそりと少年の声がアリツェの耳に入った。


 声のする方を振り返ると、ドミニクの弟、第三王子のアレシュが通路の陰からアリツェたちをうかがっていた。


 アリツェよりも一つ年下のアレシュは、まだ成長期を迎えておらず、身長はアリツェとそう変わらない程度だ。中性的な雰囲気を漂わせる、物静かな王子という印象だった。


「兄上などより、ボクの方がクリスティーナ様を大事にするのに……」


 あの奔放なクリスティーナが、なぜだかアレシュの琴線に触れたようだ。……一波乱起こらなければいいなと、アリツェは祈った。







 アリツェの不安は杞憂に終わり、婚約の儀は予定どおり盛大に催され、アリツェとドミニクは晴れて婚約者同士となった。


「アリツェ、改めて、これからもよろしく頼むよ」


 ドミニクは純白の手袋をはめているアリツェの手を取った。


「こちらこそ、不束者ではありますが、よろしくお願いいたしますわ、ドミニク」


 アリツェはドミニクの顔をジッと見つめ、ゆっくりと噛みしめながら誓いの言葉を述べた。


 しばらく見つめあった後、ドミニクは懐から金のブローチを取り出した。以前、十三歳の誕生日プレゼントにとアリツェに贈ったものだ。婚約の儀の誓いに使うため、ドミニクはいったんアリツェから預かっていた。


 ドミニクはブローチを手に取り、アリツェのドレスの胸元につけた。王家の正式な婚約のしるしである金のブローチを婚約者の胸に飾ることで、王国法に基づく王族の正式な婚約が成立する。


 アリツェは喜びで胸がいっぱいだった。まさに、足が地につかない状態だ。ふわふわと浮かぶアリツェの心は、今、ドミニクの温もりに優しく包まれていた。


 アリツェは恍惚としながら、胸元に輝く金のブローチを眺めた後、首にかけたペンダントを外した。


「ドミニク、少しかがんでいただけますか?」


 アリツェの言葉に、ドミニクはゆっくりと中腰になる。


 アリツェは微笑みながら、手に持つペンダントをドミニクの首元に掛けた。ドミニクからの婚約のしるしへの、アリツェの精いっぱいの返礼だった。父カレル・プリンツの形見で、精霊教のご神体である龍をかたどった金のメダルが使われているペンダント……。


「これで、ボクたちは晴れて正式な婚約者だ。この今日という喜ばしい日を、ボクは一生忘れないだろう」


「わたくしもですわ、ドミニク」


 アリツェとドミニクがしるしを交換し合ったところで、周囲から大きな歓声が上がった。ラディムやエリシュカ、フェルディナントをはじめとした辺境伯家の人間、フェイシア国王夫妻と、皆アリツェたちを祝福した。


 ただ、会場の隅では、クリスティーナが不満げな表情を浮かべてたたずんでいる。側近らしき人物と何やら言葉を交わしているようだが、アリツェのところまでは聞こえない。


 婚約の儀が終わろうかという頃合いには、クリスティーナ一行は会場を後にした。そのすぐ後を、アレシュが追っていく様子が目に入ったが、特に咎める者はいなかった。


(アレシュ様ったら、クリスティーナ様の件、本気なんですの?)


 アレシュは将来、アリツェの義弟になる。なので、アレシュの行動を、フェイシアの王族としてよろしくないと咎めてもよかった。だが、アリツェは今の幸せ絶頂の興奮の中で、無粋な真似をする気も起らなかった。

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