4 お兄様、助けに参りましたわ!
悠太たちはザハリアーシュの部屋の前から離れて、気配を消しながら奥のラディムの私室を目指した。
ラディムの部屋の扉が見える距離に差し掛かったところで、いったん立ち止まり周囲を警戒する。
「さすがに見張りがいるか。アリツェ、どうする?」
ドミニクが小声で悠太にささやいた。
「一人だけみたいですわね。……ドミニク様、こっそり近づいて、気絶させたりはできませんかしら?」
「うーん、今は嗅覚と聴覚をごまかしているだけで、姿は丸見えだからねぇ。接近すればさすがにバレそうだよ?」
悠太の提案に、ドミニクは渋い顔をする。
「幸いあの見張り、大分緊張感がなさそうに見受けられますわ。ここで一回、風から光の精霊術に変更いたしますので、ドミニク様の姿を周囲に溶け込ませます。抜き足差し足で近づいて、ひと思いに気絶させてもらえませんかしら」
「今の気付かれていない状態からなら、慎重に進めば音と臭いは大丈夫そうだね。よし、じゃあその手でいこう」
人間相手であれば、臭いの問題はないだろう。音も、この距離からなら足音をうまく忍ばせれば、相当直近までは気づかれないはずだ。まさかここが襲われるとはつゆほども思っていないのか、警備の見張りは油断しきっている。
視覚を保護色でごまかせば、ドミニクの姿は薄暗さも相まって、周囲に完全に溶け込める。奇襲には十分なはずだった。ドミニクの剣の腕なら、剣スキルの『峰打ち』で、すぐに気絶させられるはずだ。
悠太は素早く属性を切り替え、ドミニクの姿を消した。準備ができたと悠太がうなずくと、ドミニクはこっそりと見張りに近づき、一息に剣の鞘で後頭部を叩き、気絶させた。
……ふと、現実世界でこんなことをやったら、脳震盪程度では済まないだろうなと悠太は思った。この辺りは、さすがスキル制のゲームシステムを使っているだけのことはあるなと痛感する。
「うまくいきましたわね」
成果は上々、ドミニクの腕前はさすがの一言だった。
「よし、さっさと中に入ろう」
ドミニクは素早く扉に手をかけ、ゆっくりと押し開いた。
「……なんだ、もう食事の時間か?」
扉が開くや、弱々しい男の声が漏れてきた。
「お兄様っ!」
声を聞くや悠太は叫び、縄で椅子に縛り付けられているラディムの傍に駆け寄った。
「なっ――。アリツェ、なぜここにいる!」
ラディムは驚愕に目を見開いた。
「当然、お兄様の救出ですわ!」
悠太は「何を当たり前の話を」と付け加えながら、背負った槍を下ろし、刃先をラディムを拘束している縄に当て、一気に切断した。
「馬鹿な真似を……。捕まったら殺されるぞ。それに、あんな別れ方をしたのに、わざわざ来る奴があるか」
ラディムは怒りと嬉しさとをまぜこぜにした、複雑な表情を浮かべながら、縛られてうっ血気味だった両手首をぐりぐりと回している。
「双子の兄を見捨てるほど、わたくしは薄情ではありませんわ! それに、お兄様の中の優里菜様は、わたくしの母でもあるんですのよ?」
悠太は少しの不満を込めて、口を尖らせた。
「御託は抜きだ、ラディム。時間がない。表でムシュカ伯爵が時間を稼いでくれている」
戸惑うラディムに、ドミニクは鋭く叱責をし、立ち上がらせた。
「ムシュカ伯爵……、エリシュカの父上か!」
意外な人物の名が上がり、ラディムの声は上ずった。
ドミニクに腕を引かれて立ち上がる瞬間、ラディムは身体をふらつかせ、倒れこみそうになる。ドミニクは慌ててラディムの肩を支えた。
「お兄様、大分弱っていらっしゃるわね。……食事は、どうやらきちんとお取りになられているようですね。長期間ろくに体を動かせなかったせいで筋力が落ちている、といったところかしら」
部屋に乗り込んだ際に、ラディムは食事の時間かと口にしていたので、絶食による衰弱ではなさそうだ。椅子に座りっぱなしによる筋力低下で、うまく体を支えられないのだろう。
「私の処刑までは、生かしておかなければならないからな。無理やりにでも食わされていたさ」
ラディムは自嘲するような薄笑いを浮かべた。
「優里菜様の人格は無事ですの?」
悠太の最大の懸念事項だった。正直なところを言えば、悠太にとってはラディムよりも優里菜の方が重要だ。
「ああ、大丈夫なはずだ。今は体の衰弱が激しくて、人格をコロコロ入れ替えるのは体に負担がかかりそうだったから、私が主に動いているがな」
どうやら優里菜の人格は、体力温存のためにあえて眠りについているようだ。二つの人格でああだこうだと口論したりすれば、余計に体力を食うだろうし、何より脳は消費するエネルギーが大きい。優里菜の人格領域だけでも休眠していれば、体力は相当に温存できるだろう。なかなかよく考えた行動だった。
「それと、お兄様にお伝えしなければならない話があります……」
弱っているラディムに伝えるのは、心苦しかった。だが、伝えなければいけない。先ほどのザハリアーシュの会話を。
「マリエの件か?」
ラディムはギュッと顔をこわばらせた。
「いえ、今はその話ではありません。……その、ザハリアーシュという名の男についてです」
頭を振ってラディムの問いを否定する。
悠太は内心で、しまったと思った。最初にはっきりとザハリアーシュの話と伝えておけば、むやみにマリエの件を思い出させなかっただろう。
「私の教育係だったザハリアーシュか? 拘束されてからは会っていないが、どうかしたのか?」
ここまでの話の流れとは無関係の人物の名が出てきたため、ラディムは首をかしげた。
「実は……」
悠太はザハリアーシュと世界再生教の大司教との会話の内容を、かいつまんで説明した。
ザハリアーシュが教師という立場を利用し、ベルナルドとラディムのプライベートに深くかかわり、世界再生教に有利な方向に洗脳工作をしたこと。
精霊が世界を救うという精霊教の教義が誤りではないと知りながら、精霊教を排除したいがために、皇帝一家に偽の情報を流したこと。
皇帝を通じて、誤った教義をでっちあげている世界再生教を、帝国全土に広めさせたこと。
「なん、だと……?」
ラディムは頭を抱えている。
「お兄様にとっては信じられないかもしれませんが、事実ですわ」
ザハリアーシュはラディムや帝国のためを思って行動していたわけではない。あくまで、世界再生教を利する目的で動いていたにすぎない。
「しかし、あのザハリアーシュが……。嘘だろ?」
ラディムはぽつぽつと、ザハリアーシュとの思い出を語りだした。
指導は厳しいながらも、きちんとこなせたときは頭を撫でて褒めるなど、やさしさも見せていたと。
街への巡回時も、必ず同行して周囲の警戒に努めていたと。
そして、気落ちしている時は必ず発破をかけてくれたと。
ラディムの語るザハリアーシュと、さきほど盗み聞いたザハリアーシュとでは、印象があまりにも違いすぎて、悠太はただただ驚いた。
「お兄様のお話しくださるザハリアーシュと、私たちの知るザハリアーシュは、まるで別人のようですわ」
これほどまで自分の行動を変えられるとなると、ザハリアーシュという男はなかなかの役者だった。皇帝まで騙しきるとは、恐れ入る。
「なるほどね、ラディムが信じきったのも仕方がないかな。相手の印象操作がうますぎる。特に、幼いころから一緒だったのであれば、刷り込み効果もあって余計だよ」
ドミニクの指摘に、ラディムはがくりとうなだれた。
「しかしそうなると、陛下も洗脳されていたってことになるな」
「ええ、ザハリアーシュ本人もそのように話しておりましたわ」
ラディムのつぶやきに、悠太は首肯した。
「では、やはり陛下を説得せねば。国民に対し、でたらめな情報を広め、信じさせてしまった我が皇家の責任を果たさねば……」
ラディムは憑りつかれたかのように、「皇家の責任、皇家の責任」と呟いている。
「しかし、皇帝は聞く耳を持つのか? 一度失敗しているのだろう?」
ラディムの様子を見て、ドミニクは不安そうに口にした。
失敗したからこその、今のラディムの状況でもある。悠太もドミニクと同じ懸念を持った。
「そもそも世界再生教会側が、我々をだますつもりで行動していたとなれば、話は別だ。陛下も耳を傾けてくれるはず」
ラディムは、「陛下は聡明だから、事情を知れば必ず叛意されるはずだ」と言った。
悠太もドミニクも、皇帝ベルナルド本人と相対したことはない。ここは、ラディムの言葉を信じるしかなかった。
「結局、お兄様が拘束された当時の状況は、どうなっていたのです?」
悠太は二度目の説得失敗を避けたいと思い、ラディムが帝国軍陣地で皇帝を説き伏せられなかった時の様子の確認をした。
「アリツェと別れて、その晩にすぐ、陣地に戻ったのだが――」
ラディムは拘束された状況を話しはじめた。
ラディムは陣地に戻り皇帝と面会し、フェルディナントからの書状とともに説得したが、ベルナルドは頑として聞き入れようとはせず、逆に、マリエが軍に預けていた拘束玉を使われ、身柄を拘束された。強引に捕らえにくるとは思っておらず、ラディムは魔術を使う間もなくがんじがらめに縛られた。
その際に、ラディムはとっさに念話でミアに逃げ出すよう指示をしたため、ミアはどうにか無事に逃げのびていると思われる。おそらくはラディムを探すために帝都に向かっているか、辺境伯家へ戻っているかのどちらかだと推測できる。
「――というわけだ」
ラディムは悔しげな表情を浮かべた。
「あのマリエさんの拘束玉は、確かに厄介ですわ。わたくしの精霊術でも解除ができませんでしたし」
うごめく透明の腕を思い出し、悠太は気持ち悪さにブルリと体を震わせた。
「私はとんでもない人物を、育ててしまったようだ……」
マリエに魔術を教えたのはラディムだ。ただ、魔術の細かな扱いに関しては、マリエは完全にラディムを追い抜いてしまったが。
「ミアがいないのは、ちょっと苦しいですわね。この人数で潜んで逃げるには、ペスだけでは厳しいですわ」
悠太とドミニク二人ならともかく、衰弱しているラディムも一緒となると、少し辛い。悠太はミアが近くにいることを期待していたのだが、どうやら当ては外れたようだ。であるならば、どうにか宮殿正面で控えているルゥを呼び戻さないといけない。
「いや、私が陛下を説得できれば済む話だ。行こう、陛下の下へ」
ラディムはあくまでベルナルドを説得するつもりのようだ。
悠太はドミニクと顔を合わせ、うなずきあった。ここはもう、ラディムの気の済むようにやらせるべきだと。
悠太はペスに纏わせている光の精霊術で、ラディムの体力を動ける程度にまで回復させた。何とか自力で立って歩けるようになったラディムは、先頭に立って部屋を出た。
ラディムのあとについて、悠太たちはラディムの部屋からさらに奥へと進み、ベルナルドの私室に向かう。
ラディムはベルナルドの私室の扉の前に立つと、ゆっくりとノックをした。中から「入れ」との声が聞こえ、ラディムは扉を押し開いた。
「ラディム! 貴様どうやって?」
目の前のラディムの姿に、ベルナルドは目を見開いた。
「陛下、お聞きください。我々は世界再生教に騙されております!」
ラディムは精いっぱい虚勢を張り、ベルナルドを鋭く見据えた。
最初にベルナルドにアリツェを紹介し、双子であることを明かしてから、ラディムは悠太から聞かされたザハリアーシュや世界再生教の真意を、こんこんと説いた。聞いているベルナルドの表情は、次第にこわばっていく。
「いまさらそのような話をされても、困るぞ……。帝国はもう動き出している。この期に及んで、我々は止まるわけにはいかないのだ」
ラディムの話が終わり、ベルナルドはしばらく考え込んだが、最終的にはラディムの説得を拒否した。
「陛下! このままでは、逆に世界を破滅に導きます! 私たちはザハリアーシュに騙されているのですよ!」
世界再生教側のたくらみを知ってなお、ベルナルドは頑なだった。
ラディムは声を張り上げた。
「……では聞くが、そこの小娘。アリツェといったか。その娘が嘘をついているのではないか?」
ベルナルドは視線を、ラディムの後ろに立つ悠太に向けてきた。
「わ、わたくしは嘘など付いておりませんわ!」
突然ベルナルドから話を振られて、悠太は動揺した。
「ふっ、どうだか。それに、私の姪だというのも怪しいものだな。そんな話、私は一切聞いたこともない」
ベルナルドは鼻で笑った。
「ですからそれは!」
悠太は抗議の声を上げ、弁明をしようとした。だが――。
「ふんっ、いくら取り繕ってみようが、私は騙されん」
悠太の言葉を遮ってベルナルドは立ち上がると、腰に下げた剣を抜いた。刀身が照明の火に照らされ、ギラリと鈍く光る。
「ラディム……。私は言ったはずだ。精霊教に寄与したら、たとえお前でも容赦しないと。おとなしく、処刑の日まで待つのだ」
ベルナルドは冷たく言い捨てると、ラディムの下に歩を進めた。
「お兄様! これ以上の説得は無理ですわ!」
危険を感じ、悠太は叫んだ。
「くっ、なんという……」
ラディムは説得をあきらめ、じりじりと後退した。
悠太は素早くペスに指示を送り、光の精霊術で強烈な光を前方に照射した。ベルナルドは突然の光に両眼を潰され、剣を取り落として、うめき声をあげた。
その隙を見て、悠太は「走りなさいっ!」と声を張り上げると、ベルナルドの部屋から逃げ出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。