3 あの司教の悪だくみは許せませんわ

 エリシュカの地図を頼りに、悠太たちは宮殿の二階へと移動した。


 二階は主に、皇族とその関係者の私室が配置されている。一番奥が皇帝ベルナルドの部屋で、ラディムの部屋はその一つ手前にある。だが、そこに至るまでには、危険人物のザハリアーシュの私室の傍を通らなければならなかった。


 導師部隊はおそらく宮殿正面の衛兵たちの下へ、加勢に行っているはずだ。ルゥの視覚からの情報でも、それらしき子供たちの姿があった。であれば、指揮官としてザハリアーシュも出払っているだろう。


 だが、用心に越したことはない。悠太たちは慎重に進んだ。


「あの扉が、ザハリアーシュの私室だね。まさか部屋の中にはいないだろうけれど、十分注意しよう」


 ドミニクの言葉に、悠太はうなずいた。念のため、ペスに霊素を追加注入し、途中で風の精霊術が切れないように気を配る。


 抜き足、差し足、忍び足……。


 精霊術で音は消えているはずだが、念には念を入れて、足音が出ないようにゆっくりと進んだ。


「――が、――で」


 悠太は扉の前で足を止めた。部屋の中から話し声が漏れてくる。


「ザハリアーシュがいるのか? しかしなぜ……。導師部隊は放置しているのか?」


 ドミニクは首をかしげている。


「ここにいてはまずいですわ。いつ何時、ザハリアーシュが部屋から出てくるかもわかりません。いったんあの通路の影へ、身を潜めましょう」


 ちょうど二人が身を寄せ合えば隠れられそうな空間を見つけ、悠太はドミニクを先導した。


「ちょ、ちょっとアリツェ。ここ狭くないかい?」


 ドミニクが少し顔を紅潮させながら抗議する。


「贅沢言わないでくださいませ。少しの間の辛抱ですわ。少し、彼らの話を盗み聞きいたしましょう」


 ドミニクの戸惑いなど知ったことではないと、悠太は強引に物陰へとドミニクを引きずり込んだ。


「しかし、時間がないのでは……」


 悠太はドミニクの口元に人差し指を当てた。これ以上の余計なおしゃべりは不要だ。


「子爵邸の時に痛感いたしましたの。もめ事が起こっている際に、こそこそと何やら話し合っている方々の会話は、重要な内容である場合が多いと」


 たいていは、ろくでもない企みをしているものだ。子爵邸での件もそうだが、悠太の現世の創作物でも、こういったシーンはよく見かけた。


「そうなのかい? まぁ、ボクも少し、気になると言えば気になるかな。わかった、アリツェに任せるよ」


 ドミニクは観念したのか、それ以上は押し黙った。


「うふふ、精霊術に掛かればちょちょいのちょいですわ! ペス、以前のようにお願いいたしますわ」


 ペスはうなずいて、そそくさとザハリアーシュの部屋の扉の前に移動し、中の会話に注意を傾けだした。


 ペスの聴覚を通じて、悠太の脳裏にも会話の内容が入り込んでくる。


「ドミニク様、内容については後ほどお伝えいたします。退屈かもしれませんが、少々お待ちくださいませ」


 ペスとの精神リンクがないドミニクには、残念ながら部屋の内部の会話を聞かせられない。しばらくはおとなしく待っていてもらうしかなかった。


 ドミニクは苦笑しながら、「うん、アリツェに任せるって言った以上は、このまま待たせてもらうよ」と言って、座り込んだ。







「まさか、ムシュカ伯爵が反乱を起こすとは……」


 ザハリアーシュの声が聞こえてきた。


「ザハリアーシュよ、兆候はなかったのか? ラディムの処刑に支障があると、今後の計画に問題が出てくるぞ」


 相手の声は、ザハリアーシュよりもさらに低く、威厳がこもっていた。


「私の方では掴んでおりませんでした、大司教様。ただ、ムシュカ伯爵の娘エリシュカはラディムの付きの侍女をしておりましたので、もしかしたらエリシュカ経由で、伯爵に働きかけがあったのやもしれませんな」


 ザハリアーシュの会話の相手は、世界再生教の大司教のようだ。


 どうやらザハリアーシュたちはまだ、ムシュカ伯爵の反乱の意図をつかみきれていないようだ。


「あのやり手の伯爵が、単なる娘の願いだけで勝てもしない戦いを起こすか?」


 大司教が訝しげな声を上げた。


「何かほかに裏があると? うーむ、私もエリシュカとはそれなりに親しくしておりましたが、ラディムが親征軍に加わって以後は、あまり話す機会を持てませんで……。その間に、何かあったのでしょうか」


 戸惑った声をザハリアーシュはあげた。


「まぁ、もう起きてしまった事実は変えられまい。今後のことを話し合うか」


「大司教様の指示どおり、帝国内の精霊教はほぼ一掃されております。長い時間をかけて、皇帝ベルナルドと第一皇子ラディムを洗脳してきた甲斐があったというものです」


 皇帝とラディムを洗脳した……。衝撃の事実だった。皇帝やラディムが頑なに世界再生教を信じていたのも、この男の暗躍があったかららしい。


「皇家のプライベートにうまいこと入り込んだな、ザハリアーシュよ」


「聖職者であると同時に、私は教師でもありましたからな。ラディムの教育係に任命されるよう、うまく立ち回らせていただきましたぞ」


 大司教からの賛辞に、誇らしげな声をザハリアーシュはあげた。


「しかし、精霊が大地の生命力を吸い出して、枯らしてしまうか……。まったくよくできたでたらめを考えたものよ。実際は、真逆なのにな」


 大司教の言葉を察すると、世界再生教側も精霊術の本来の効果を知っていたようだ。精霊は決して、大地を枯らす存在ではないと。


 でたらめを教え込み、帝国国民に流布する。何と罪深い連中だろうか。


「ハッハッハ、そう褒めないでくだされ」


 ザハリアーシュは高笑いを上げた。


 悠太は不快感がこみあげてくる。精霊をわざと汚すとは、許せないやつらだった。


「一時はラディムに疑いを持たれたこともありました。ある日突然、頭の中に女の声が響き、精霊は善だと言ってきたなどと私に相談をしに来ましてな。私は一笑に付し、教会で祈りを捧げさせたのですが、その際に、マリエという娘に作らせた精神に作用するマジックアイテムをラディムに投げつけ、思考を少々操作してやりましたぞ。あの後、すっかりラディムは従順になりましたな」


 ザハリアーシュはずいぶんと手の込んだ工作までしていたようだ。口ではラディムのためと言っておきながら、裏では真逆の行動をとっている。お近づきになりたくないタイプの人間だ。


「まぁ、お前の悪知恵のおかげで、帝国はほぼ我々の手中に収まった。あとは、憎きフェイシア王国攻略だが」


「プリンツ辺境伯は、今のところ動きを見せておりませんな」


 ひそかに領軍を整え、フェイシア国王に対し王国軍の編成を依頼しているフェルディナントの動きに、どうやら世界再生教はまだ気づいていないようだ。


「だが、ムシュカ伯爵の反乱に同調して、兵をあげる危険性もあるのではないか?」


 さすがに大司教まで上り詰めた男だ。嗅覚が鋭い。


「確かに、あり得る話ですな。それに、ラディムの救出を企てている可能性もあるかもしれませんぞ。なにしろ、ラディムはプリンツ辺境伯の甥ですからな」


 大司教の指摘に、ザハリアーシュも納得したようだ。


「……ザハリアーシュよ。ふと思ったのだが、もしかしたらムシュカ伯爵は、プリンツ辺境伯とすでに渡りをつけておるのではないか? それで、我が帝都を挟み撃ちにしようと企てている、と」


 鋭い指摘だった。まさに、大司教の懸念するとおりに、フェルディナントもムシュカ伯爵も動いている。この大司教は曲者だ。今後も注意する必要があるだろう。


「考えすぎではないでしょうか……とは言えませんな。可能性、大いにありますぞ。であるとすると、すでにプリンツ辺境伯は動き出しているかもしれませんな」


「不味いな……。ラディムをプリンツ辺境伯に奪われるのは危険だ。奴は皇位継承権第一位の皇子だ。相手に渡れば厄介だぞ」


 大司教は当然の帰結として、フェルディナントやムシュカ伯爵たちにとってのラディムの重要性も認識していた。


 どうにも不味い流れだった。悠太たち反乱側の意図が、ある程度正確に知れてしまったことになる。


 ラディム救出を急がなければならないし、また、決して失敗は許されない。


「仕方がありません。皇帝を説得して、処刑の日時を早めましょうかな」


 ザハリアーシュは恐ろしい内容を口にした。これは、何としても今夜で決着をつけないと、最悪の結果になりかねない。


「それが無難だな。では、後は頼んだぞ、ザハリアーシュ。私はいったん大神殿へ戻る」


「承知いたしました。吉報をお持ちできるよう、善処いたしますぞ」


 そこで二人の会話が終わった。悠太はすぐさまペスに戻るよう指示を出した。







「……いったいなんですか、これは!」


 悠太は思わず、握りしめたこぶしで床を叩いた。


「アリツェ、どうしたんだ?」


 ドミニクは訳が分からず、不安げに悠太の顔を覗き込んだ。


「あまりにもひどい内容で……。わたくし、この込み上げる怒りを、どこにぶつければよいのでしょうか!」


「落ち着いて、アリツェ。本来の目的を見失ってはダメだよ。まずはラディム救出だ」


 ドミニクは悠太の両肩をガシッとつかみ、鋭く見つめてきた。


「は、はい……。すみません、ドミニク様。世界再生教のあまりにも非道な仕打ちに、わたくしつい……」


 ドミニクのまなざしに、悠太は急速に怒気が抜けていくのを感じた。


(う、まただ……。なぜだかドミニクの顔を見ていると、怒りとは別の感情がこみあげてくる。なんなんだ、いったい……)


 ここ数日感じている違和感。やはり、アリツェの人格に引っ張られているのだろうか。悠太は必死に頭を振り、邪念を振り払った。


「アリツェ?」


 悠太の様子にドミニクは首をかしげた。悠太は慌てて、「なんでもないですわ」と両手を振った。いけない、今はそれどころではない。


「ザハリアーシュの会話の詳細は、あとで聞かせてもらう。今は時間もあまりない。伯爵たちが不利になる前に、さっさとラディムを連れ帰ろう」


 確かに、今はラディム救出が最優先だ。悠太は頬を軽く叩き、気を入れなおした。


「急ぎましょう、ドミニク様。ザハリアーシュの部屋には世界再生教の大司教がいます。会話も終わったので、間もなく部屋から出てくるはずですわ。見つかる前に、お兄様の私室に向かいましょう」


 悠太は立ち上がり、ドミニクに手を差し出した。


「そんな大物がいたのか!? なるほど、ザハリアーシュが導師部隊の指揮をほっぽり出すわけだ。大司教の歓待の方が重要だろうしな」


 ドミニクはうなずきながら、差し出された悠太の手を取って立ち上がった。


「では、引き続き、ペスお願いしますわ」


 ペスの風の精霊術で改めて気配を消し、奥のラディムの私室を目指した。

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