8 アリツェと名乗る少女とともに

 帝国軍陣地への帰路の足取りは重い。ミアを胸に抱きながら、ラディムはとぼとぼと歩いた。


「はぁ、無駄足に終わったな……」


 自然とため息が漏れる。


(そんなに落ち込まない、落ち込まない)


 優里菜は明るい声で励ました。


「でもなぁ、優里菜。陛下がいつ作戦行動に移るかわからない以上、早めに済ませたい」


 両軍が実際にぶつかり合うまで、どれほどの猶予があるかがわからない。戦端が開かれれば、辺境伯家への潜入は絶望的だ。


『ご主人様、ちょっと待つにゃ! 誰かいるにゃ!』


 ミアがびくっと体を震わせ、念話で警告を発した。


「何者だ!」


 ミアの視線の先に黒い塊を二つ見つけ、ラディムは叫んだ。


「お、お待ちになってくださいませ。怪しいものではありませんわ」


 黒い塊――女性が、慌てたように弁明する。声からして、年若い少女のようだ。


「驚かせてすまない。ただの旅人さ。王都からやっとオーミュッツに着いたと思ったら、戦争がはじまりそうじゃないか。街の中に入ってよいものか迷っていたところなんだ」


 もう一つの黒い影――若い男が争うつもりはないと示すように、両手を挙げて近づいてきた。


 ラディムは念のため、警戒は緩めない。懐にしまっている爆薬の小石を握り締めて用心をした。いつでも生命力を注ぎ込んで、相手に投げつけられるようにと。


「……で、私に何か用なのか?」


 ラディムは鋭く二人組をにらみつけた。


「あの……、失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 おずおずと少女が尋ねた。


「なぜ見ず知らずの者に、名乗らなければならない」


 突然のぶしつけな頼みに、ラディムはむっとした。失礼な少女だと思い、自然と語気を強める。


「いえ、あなた様がわたくしの知り合いにそっくりでして。何か関係がおありになるのかと」


 ラディムは威圧したつもりだったが、少女は思いのほか気が強いのか、動じた様子は見えなかった。


「であれば、まず、そちらから名乗るのが筋では?」


 自分からは名乗らずに相手の名だけを聞くなんて、無作法にもほどがあるだろう。ラディムは不機嫌さを隠さず、少女をたしなめた。


「あっ! そうですわね。わたくしったらうっかり……。わたくし、フェイシア王国子爵マルティン・プリンツが一子、アリツェ・プリンツォヴァと申しますわ。今はこうして、精霊教の伝道師見習いとして旅をしておりますの」


 少女は驚いたようにはっと手の平を口元にあて、すぐに自己紹介をすると、深々と一礼した。


「アリツェ……プリンツォヴァ、だと?」


 名を聞いてラディムは目を丸くした。


 プリンツォヴァ……、辺境伯家と同じ家名だった。フェイシア王国の子爵級の貴族まではさすがに把握していなかったので、このアリツェと名乗る少女の家と辺境伯家がどのような関係にあるか、ラディムにはわからない。


 だが、まったくの無関係ということはないだろう。わざわざこの地にまで赴いている事実を考えても。


「私はアリツェの護衛兼指導役の、精霊教伝道師ドミニク・ヴェチェレクといいます。以後お見知りおきを」


 ドミニクは丁寧に一礼した。


 ラディムはちらりとドミニクの腰に目を遣る。長剣をぶら下げているが、豪華な金の細工が施された鞘が妙に不釣り合いで、目を引かれる。聖職者の癖に長剣を扱うのかと、ラディムは訝しんだ。


 ドミニクの慇懃な態度が、かえってラディムの心に不信感を植え付ける。用心した方がよさそうだ。


「お前どこかで……、いや、精霊教関係者に知り合いはいないか」


 しかも、なぜだか知らないが、どこかで見たことがある気がする。いったいどこだったか……。皇宮か?


 だが、ドミニクは精霊教伝道師と自己紹介をした。顔見知りのはずがない。精霊教関係者が、皇宮に入れるわけがないからだ。


「私はバイアー帝国第一皇子、ラディム・ギーゼブレヒトだ」


 なめられてはいけないと思い、ラディムはやや尊大な態度で名を告げた。


「帝国の、皇子様ですの!?」


 アリツェは目をぱちくりとさせている。


「こいつはたまげた、皇帝親征とは聞いていたが、まさか第一皇子まで同行しているとは」


 ドミニクも目をむいて、じろじろとラディムの姿を観察し始めた。


「で、私はアリツェさんのお知り合いと、何か関係がありそうか?」


 驚愕に動きが止まっているアリツェとドミニクが落ち着くのを待って、ラディムは尋ねた。


「いえ、さすがに関係はなさそうですわね。フェイシア王国の敵国である帝国の、しかも皇子様では……」


 アリツェは残念そうに頭を振った。


「ちなみに、誰とそっくりだったのだ?」


 ラディムは自分に似ているという人物が気になった。世界には同じ顔をした人間が三人はいるとよく聞くが、まさか、与太話などではなく、事実なのだろうか。


「ええ、カレル・プリンツという殿方に……。ただ、カレル様自体は十八歳なので、ラディム様とは歳が違いますわね」


「カレル・プリンツだと? 前辺境伯の名だな。……だが前辺境伯は死んでいるはずだし、そもそも生きていたとしても、今三十代後半くらいのはずだが」


 アリツェの話すカレルとラディムの知る実の父たる前辺境伯カレルとは、別人のように思えた。ただ、王国の上級貴族であったカレル・プリンツと同姓同名を名乗る人間など、他にいるだろうか。アリツェの語るカレルは、偽名で間違いないだろう。


「ああ、いえ……。その、前辺境伯とは違うカレル・プリンツですわ。同姓同名の、別人ですの」


「なん……だと……?」


 まさか、本当に同姓同名の別人がいるとは……。ラディムは驚き、言葉を失った。


 その時、ラディムの脳裏に、一つの突飛な考えが浮かんだ。アリツェの言うカレル・プリンツは、もしやシステム上のラディムの父である横見悠太の操っていたカレル・プリンツではないか、と。そうであれば、ラディムにそっくりなのも当たり前の話だ。


 それに、もう一つ気になる点があった。アリツェの容姿だ。どう見てもラディムの中の優里菜――ユリナ・カタクラと瓜二つだった。ユリナ・カタクラにそっくりな少女が、ラディムのシステム上の父のカレル・プリンツを知っている。これはどう考えても、転生がらみな気がしてならない。


「おい、その話、詳しく聞かせてくれないか? もしかして、その男、別の世界から来たとか言っていなかったか?」


 確かめるため、ラディムはアリツェに鎌をかけてみた。


「なんですって? ラディム様、どこでその話を!」


 案の定、アリツェは食いついた。どうやら、ラディムの予想が当たったようだ。


「実はな、笑われるかもしれないが、私の心の中に別の世界から転生したという者の人格がある」


「!? ラディム様は、もしかしてテストプレイヤー!」


 アリツェの口から、決定的なキーワードが飛び出した。


「テストプレイヤーを知っているということは、どうやらお互いにそうみたいだな。まさかこんなタイミングで出会うとは」


 ラディムの側から転生者を探すまでもなかった。まさか件の相手からラディムに近づいてくるとは。偶然とはいえ、ここでもう一人の転生者に会えたのは僥倖かもしれない。いろいろ疑問を解消できるいい機会だ。


「わたくし……、いや、もういいか、オレは転生前のキャラクター名がカレル・プリンツ。転生したはいいが、なぜかこのアリツェって女の子の中に入っちまっている」


 突然アリツェは口調を変えた。しかも、ラディムのシステム上の父カレル・プリンツ本人、つまり、横見悠太だとのたまう。


 アリツェの言葉を聞いた瞬間、優里菜の人格から歓喜の情が激しく発せられた。

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