5 司祭様と面会しましたわ

 翌朝、アリツェと院長は連れ立って精霊教の教会へと出向いた。


 一日経ち多少落ち着いたのか、昨日ほどのあわただしさはなかった。それでも、平常時と比べるべくもない騒がしさではあったが。


 昨日礼拝堂の隅で固まっていた信者たちも、今は神官に誘導されて別の場所にいるようだ。


「少しずづですが落ち着きを取り戻してきているようです。上層部の方針もある程度決まったのかもしれませんね」


 きょろきょろとあたりを見回しているアリツェに、院長は語った。


 礼拝堂の傍を歩いていると、一人の神官が駆け寄ってきた。すぐに司祭の執務室へと案内される。


「中身のある話し合いができるといいですわね。子供たちにとってより良い方向に進められるよう、頑張りましょう」


「まったくですね。アリツェ、頼りにしていますよ」


 院長に頼られて、アリツェは嬉しかった。頼られることで、自分はここにいていいんだと感じられる。足取りも、自然と軽いものになった。


 執務室の前に着くと、神官に促されるがまま中に入る。


「おぉ、トマーシュ殿にアリツェ。お待ちしておりました」


 前面に大きく龍の刺繍が施されたゆったりしたローブを身にまとう恰幅の良い中年の男が、両手を大きく広げて歓迎の意を示してきた。精霊教会グリューン支部を統括する司祭だ。


 ちなみに、トマーシュとは孤児院長の名前である。


「司祭様、お忙しい中お時間を割いていただき、感謝いたしますわ」


 アリツェは丁寧に一礼する。


「いえいえ、孤児院は私も気がかりな案件でした。あなたも含めて、霊素持ちが三人もいますからね」


 孤児院には現在、アリツェ以外に二人の霊素持ちがいる。霊素持ちなので、もちろんアリツェと同い年だ。同じ霊素持ちで同い年の子供。当然、孤児院でアリツェの一番の仲良しでもあった。


 いずれは二人にも霊素の使い方を教えたいと、アリツェは思っていた。今はまだ、アリツェ自身が悠太の精霊術の知識を吸収しきれていないし、何より、時間がないために無理だった。だが、霊素の扱い方を知れば、きっと二人の今後の人生に明るい道が開けるはず。アリツェはそう確信していたので、必ず果たしたいと思っていた。


「お互い時間もないでしょう。挨拶は抜きにして、さっそく本題に入りますか」


 司祭は言うと、アリツェと院長をソファーへと誘導した。


「単刀直入に言います。グリューン支部は丸ごと、隣国ヤゲルへの脱出を決めました」


 柔和な表情から一転、真剣な目つきで司祭は話す。


「そ、それはずいぶんと大胆な方針ですね」


 院長は面食らっていた。


 アリツェにとっても、意外な案だったので戸惑う。


「そんなに簡単にグリューンを脱せるのですか? たしか、一部の職を除いて、領政は無断での住民の移動を許可していないはずですわ」


 領民が勝手に域外へ流出すれば、領内経済はすぐに破綻してしまう。領民に対しては、ある程度の移住の制限が課せられるのが普通だった。これは、プリンツ子爵領に限った話ではない。自由に移動できるのは、商人ギルドに所属する商人や教会に所属する聖職者など、一部の人間だけである。


「おっしゃるとおりです。ですから――」


 司祭は目を閉じて、少し間を置いた。


「強行突破を、します」


 教会上層部の考えた案はこうだ。


一.戦える神官は北門、それ以外の神官と一般信者は南門と二手に分かれる


二.北門で騒ぎを起こし、領兵の目を北門に向けている隙に、南門を一気に突破する


三.門を突破した一般信者はまとめて捕まることのないように、神官の指示の元いくつかのグループに分かれ、ばらばらにヤゲル王国を目指す


四.ヤゲル王国の国境の街クラークで落ちあい、現地の精霊教会の庇護下に入る


「孤児院組については、トマーシュ殿とアリツェに率いてもらいたいと思っています。一般信徒と一緒に南門から脱してください」


「街から脱出した後は、孤児院組でまとまって院長の指示でクラークに向かう、そういうことですわね」


 司祭は頷いた。


 ただ、一つ懸念がある。アリツェは尋ねた。


「ヤゲル王国はわたくしたちを受け入れてはくれるのでしょうか。プリンツ子爵とは交易で関係が深いですし、わたくしたちの受け入れで関係が悪化する事態は、望まないのではないですか」


 せっかく国境を越えてクラークまでたどり着いても、門前払いをされてはたまらない。グリューンに戻ることもできないので、完全に行き場を失ってしまう。


 軍事訓練を受けたわけでもない数百人の人間が街の外で長期間野営をしたところで、街の協力を得られなければ長くは持たないだろう。


「今回の精霊教弾圧はヤゲル王国の意には沿っていません。ヤゲル王国自体、精霊教の勢力がかなり強いのです。なんでも、ヤゲルの王都では聖女と呼ばれる少女が現れたそうです」


 聞きなれない『聖女』という単語に、アリツェは首をかしげた。


(聖女! これまた何とも、お約束な存在が出てきたな)


 悠太がなぜか興奮している。


(おやくそく……? とは何ですの)


(お約束はお約束だよ。なんていうの、テンプレ? ベタな展開? まぁ、横見悠太の世界での、人気のある物語でちょくちょく出てくるお決まりの存在って所かな。オレの『悪役令嬢』と、同じようなものさ)


『悪役令嬢』と聞きアリツェは頭を抱えた。ということは、この『お約束』もろくでもないものに違いないと思ったからだ。『聖女』に対し、妙な偏見を持ってしまいそうだった。


「聖女は精霊具現化によって、貧しい人たちに蔓延していた病を治したり、汚染されていた水路を浄化したそうです。おかげで、大衆の間での精霊教への信仰は、相当に篤いものになっています。なので、王国政府側も精霊教には最大限の便宜を図っています。プリンツ子爵に義理立てをしようとして救援を求める精霊教信者を見捨てるようなことをすれば、王国内に不穏な空気が漂いかねないのです。それだけ、精霊教が影響力を持っています」


 強大な精霊術を行使する聖女には、興味をひかれる。いつか会ってみたい。


 だが、まずは自分たちの身の安全の確保が先だ。


「念のため、使者をクラークへ遣っています。クラークの領主や教会の上層部の同意をあらかじめ得るためです。万が一、使者からの報告が色よいものでなかったら、事を起こす前にもう一度計画を変えねばならないでしょう。ですが、その心配はないと思っています」


 ヤゲル王国内の状況を聞く限りは、やはり、グリューンに留まるよりは一か八かヤゲルに逃げ込む方が、今後のことを考えてもよさそうに思えた。グリューンで地下に潜り抵抗運動をしたところで、ジリ貧になるのは目に見えている。


「アリツェ、あなたは精霊術を使えると聞いています。万が一の時は、子供たちを護るためにも、躊躇せず精霊の具現化を行ってください。皆を、護ってやってください」


「当然ですわ! 一人も欠けることなくクラークまで送り届けることを、わたくし、精霊王様の名のもとに誓いますわ!」


 こぶしを握り締め、アリツェは力強く宣言をした。


 精霊術を役立てるまたとない機会だ。高揚する気分を抑えろだなんて、無理な相談だった。


 計画は二週間後、深夜、日付の変わる時間に決行をする手はずになった。

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