第52話 キャンプの日 -深夜〜翌朝-
ツンは後輩らしくもう一本ビールの缶を持ってきたのだが、直ぐに空にされて土の上に投げられた。後で回収しなきゃな、とため息をつく。
「あなたは、あの子のこと知ってるんだっけ?」
チベットスナギツネのフレンズである彼女がほんのり赤くなった顔でそう吐いた。普段、口から出す言葉のすべてが喉に突っかかってから出てくるような彼女からは想像がつかない喋り方。ツンは他のメンバーに比べて、そんなチベたんを見慣れている。
が、やっぱり彼女の涙を見るのは初めてだった。
素敵だよね、恋愛って
さめたら、後味なんて塩辛くて苦いのに。
そんな言葉が彼女の口から漏れるのも初めてだったし、普段の彼女からは想像できかった。
「あの子って、どの子ですか?」
「あー、知らないか……ハシビロコウ」
ハシビロコウ。ツンも動物として知ってはいるが、フレンズは見たことがなかった。
「へえ、チベ先輩も女の子に恋したんですか?」
「……まぁね」
フレンズではこういうことは珍しくない。ツンもさほど驚かず、ジュースの缶を傾ける。
「ハシビロコウは元々パークパトロールで働いてたフレンズなの」
「僕達の先輩ってことですか?」
「そう」
素っ気なく返して、足元の石を投げて遊んでいるチベたんはツンの目には悲しく映った。
「そのお話をしたいの」
「聞くつもりですよ、先輩」
チベたんはまた小石を遠くに放って、ポツポツと話し始めた。
私……チベットスナギツネがパークパトロールに入ったのは数年前の事だ。その時から今まで、メンバーが増えることはあっても減ることはなかった。
ハシビロコウのフレンズを除いて。
ハシビロコウは、私の後輩だった。私と同じように不審者の動向を観察したりするのが役目だったから、よく一緒に仕事をしたし訓練なんかもした。
見た目に反して……という言い方は失礼だが、妙に可愛らしい子だった。よく先輩の私をスイーツバイキングなどに誘ってきたし、その時にはフレンズの毛皮を脱いでオシャレをしたりしていた。私に料理を教えてくれたりもした。
よく笑う子だ。
表情の変化に乏しい私とは真逆に見えて、「どうして私なんかと遊ぶの?」と聞いたことがある。
答えは意外なもので、
「わたし、あんまり人当たりがよくなくって……よく初対面の人に『なにか怒ってる?』って訊かれちゃったりして……」
で、こう言った。
「こんな風に遊べるの、先輩みたいに仲良い人だけですよ」
私はその言葉にちょっとドキッとしたけど、パトロールの仲間にはみんな同じように接していたから私が特別なわけじゃなかった。もっとも、他のみんなよりは友人として親しかったけれど。
冬場になると、遊ぶ時に彼女から手を繋いでくることが多くなった。私たちは友人同士で、別にそれ以上の感情で接していたわけじゃなかった。
ただ、冬場はどうもカップルが多くなる。
二人で並んで歩いている途中で、ガールズカップルとすれ違うこともあった。私もハシビロコウも、観察することには長けているから「ただの友人」なのか「恋人同士」なのかはすぐに見分けがついた。
それを見る度に、ハシビロコウは問うのだ。
「先輩、好きな人とかいるんですか?男のヒトでも、女の子でも」
「……恋とか……よくわかんない……かな」
そんなウブな返しをするのがお決まりだった。実際、今でもよくわかっていない。ただ、そう返した後のハシビロコウの顔は満足そうで、手を握る力が嬉しそうにちょっと強まるのは、私をドキッとさせるには十分だった。
ハシビロコウが私のことを好きなのかは分からない。
分からないが、私に好意を寄せているのではと思わせる態度が気になった。自意識過剰なイタい考えかもしれないけど、そういう風に感じてしまうような行動が彼女には多かった。
そんな風に考えていると、どうしてもハシビロコウという存在が気になってくる。
別に私から好きなわけじゃない。って最初は自分に言い聞かせていたけど、途中から分からなくなって、気がついた頃には彼女に夢中だった。
「先輩、好きな人いるんですか?」
そう問われた時には、
「……いる……かも」
と返すようになった。ハシビロコウが私の手を握る力を強める前に、私から手を強く握るようにした。
「それって、男?女?どっちですか?」
「いるかも」以上の話はしなかった。ほとんど無視した。だけど、やっぱり二択の質問には態度で返事が出てしまうらしい。私も、わかりやすい人ならそれで見抜けることがあった。ハシビロコウは、私よりもそうやって質問の答えを拾うのが得意だった。
「へえ、可愛い子ですか?美人さんですか?」
こう返してきたのは、女の子ってバレてる証拠だろう。
「誰ですか?」
「……誰、だろうね」
「教えてくださいよー」
「……」
「お友達?飼育員さん?職場の人?」
「……」
「……わたし、とか?」
少し嬉しそうな顔でそんなことを言ってくる彼女はずるかった。
「そうだよ」って返したら、どうなる?
「ちがうよ」って返したら、どうなる?
「どうだろうね」って返したら、どうなる?
どう返しても、答えはバレてたりする?
返事に困ったから、困ったなりの返事をした。
「……嫌いじゃ……ないよ。でも……ハシビロコウはでお友……だち」
ハシビロコウは、
「えへへ」
としか言わなかった。
街角のショーケースに映るチベットスナギツネとハシビロコウの二人は、恋人なのか、友達なのか、見分けがつかなかった。
そのまま関係をズルズルと引きずって日々を過ごした。
「好きな人いるの?」
と訊かれるたびに思わせぶりに返してみたりしたが、向こうからアタックしてくることはなかった。散々向こうから思わせぶりに誘ってきた癖に、肝心の一歩を踏み出しては来なかった。
そんな関係が続くこと半年。
遊んでいる途中で、急にハシビロコウが私に告白してきた。
……告白と言っても、愛の告白じゃない。
「わたし、今月いっぱいでパトロール辞めることになりました」
思わず、手に持っていたスイーツ用フォークを落としたのを覚えている。
「……え?……うそ?」
「本当です。パトロール辞めます」
「……なんで?」
「……パークの、別のチホーにハシビロコウが飼育されることになったらしいんです。あ、動物の方ですよ」
ジャパリパークは動物園だ。そういうこともある。
「だから、わたしもそっちのチホーに来て欲しいってパークからお願いされて」
思わず、「は?」と返してしまった。
そんなのおかしい。動物で動物が飼育されて、その場所は人間が決めて、というのは仕方ない話だ。動物に「どこの園で暮らしたい?」と聞いても答えてくれない。
だが、フレンズは違う。異動したいかしたくないかは自分で決めて伝えることができるし、人権でその辺の自由だって保証されてるはずだ。人間の都合で、フレンズを動かすことはできないはずだ。
そんなことを話したが、ハシビロコウはニコニコ笑っているだけだった。
「しょうがないですよ。私達は展示動物に過ぎませんし、パークから色んな補助をされてますから」
彼女がそう言ったのがショックだった。
「わたしだって、それを拒む理由はありませんし。ライオンさんとかロバさんとか、チベ先輩に会えなくなるのは悲しいですけど」
そう眉をひそめる彼女を見ると、何も言えなくなってしまった。
行かないでほしかった。
これからも一緒に遊びたいし、欲をいえば友達以上になりたい。
今ならまだ気持ちを伝えるのは間に合う。
でも私にその勇気はなかった。
それから彼女が発つまでに何回か遊んだが、とうとう告白ができないまま彼女が出発する日を迎えてしまった。
空港まで見送りに行った時に、別れの挨拶をした。連絡先も渡した。
まだ、思いを伝えるのは間に合う。
彼女との話で、最後の最後にこんな話題が出た。
「結局、先輩の好きな人聞けなかったですね。誰なんですか?」
ここで、「あなた」と言いたかった。ずっと好きだったって。行かないでって。抱きしめて、キスなんかしたりして。
でも、私が出した答えは
「好きな人……『いるかも』……だから……本当は……いない」
などという、何も生まないモノだった。
「あはは、騙されちゃいました。いつか『いるかも』じゃなくて『いる』にしてくださいね」
彼女はそう笑って返した。その後、「じゃ」と言って私に背中を向けてしまった。
彼女が乗った飛行機が飛び立つのを見てから家に帰って、泣いた。一日ずっと彼女のことを考えた。
数ヶ月後。
私はハシビロコウに会いにいく計画をしていた。お金を貯めて、向こうまで旅行するのだ。好きだと伝えても伝えなくてもいいから、彼女に会いたかった。
そんな矢先、私の家に電話がかかってきた。ハシビロコウの飼育員からだった。
「実は……」
そこで聞かされた言葉を信じることはできなかった。
ハシビロコウのフレンズ化が解けたなんて。
そこまでチベたんが語った頃には、彼女は涙でぐしょぐしょになっていた。ツンがもう一本隠していたビールを渡すと、一瞬で空にした。
「……理由はなんだったんですか?」
「わからないんだって。サンドスター不足なのか、ストレスなのか、病気なのか、未知のなにかか」
「……後悔してるんですね」
ツンの言葉に、チベたんは素直に頷く。
「だから、ノコッチがトキちゃんと恋人に慣れた時は心の底からよかったなって思った。でも、その話を聞くのは、ちょっと辛い」
その事を思い出して、チベたんはテントから逃げてきたのだろう。ピンク色の空気で、どうしてもハシビロコウのことを思い出して。
「でも、チベ先輩、なんで恋の後味なんか知ってるんですか?」
「……今話した通り」
「先輩、恋からさめてないじゃないですか。『冷める』なのか『覚める』なのか知りませんけど」
その言葉に、チベたんが不思議そうな顔を向ける。目は涙で潤んでいる。
「恋の後味は本当に苦いかもしれませんけど、先輩が味わってるのは恋の苦さですよ。ハシビロコウさんのことは……残念ですけど、まだハシビロコウさんに対する甘酸っぱい味も残ってるんじゃないですか?」
ツンはそう言って、手に持っていたオレンジジュースの缶をチベたんに手渡す。
「ほら、甘酸っぱいですよ」
それだけ言い残してから、ツンはチベたんの返事を聞かずにテントに戻った。
背中に「ありがとう」という言葉を受けながら。
その後、夜が開けるのはあっという間で、みんなでテントから這い出ておはようの言葉を交わした。
「ツチノコ、おはようございます!」
「トキ、おはよ」
普段は同じベッドの中でそれを交わす二人も、今日はバラバラに起きておはようを交わしていた。
その流れで、トキが耳打ちするようにツチノコに囁く。
「……昨日、テントでどんな話しました?」
不意打ちにツチノコの顔が赤くなる。それを見て、トキはくすくす笑う。
「……恋バナ、とか」
「ツチノコは、私の話しました?」
ツチノコは無言で頷く。
「……なんて?」
「トキのこと、どれくらい好きかとかって」
「……どのくらい?」
「……底なしに?」
それを聞いたトキが、恥ずかしそうに、嬉しそうに、ちょっと安心した感じで「うふ」と笑う。
「私も」
それを言い残して、トキは駆け足でツチノコから離れていった。どうやら朝食の準備を手伝いに行くらしい。
「……私も、仕事しなきゃ」
ツチノコも一人で歩き始めた。
ツンが昨日散らかしたゴミを拾い集めていると、その隣にチベたんが顔を出した。
「……おはよ」
「おはようございます、先輩」
ツンが缶を拾っては潰すのを見て、チベたんも缶を潰しては拾って集めはじめた。
「散らかして……ごめん……」
「大丈夫ですよ。それより、恋ってどう思います?」
「素敵……だよね。さめたら……どう……なるか、わからない……けど」
チベたんがそう笑うので、ツンも思わず笑ってしまった。
「良かったです」
「……改めて……ありがと」
缶を残らず袋に集め終えて、二人で朝食の準備を手伝いに行った。
キャンプはその後も、楽しく続いた。
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