第135話 ぼくは最期まで、書き手でいたい


 カクヨム創作オンライン講座の講評に応募したんですが、選ばれませんでした。残念!


 自分が書いたものがどういう評価を受けるかすごく興味があったんですが、願いは叶いませんでした。




 ぼくは創作論、とくに小説の創作論を読むのが好きなんです。

 最初はもちろん、面白い小説の書き方が知りたくて手を出したのですが、最近は「他の人はどんな創作論をもっているのかな?」という興味で読んでいます。


 カクヨムでも、小説の創作論、たくさんありますね。根が好きだから、ちらちら読んでいますが、面白い物は少ないです。なかには当然つまらないものもあります。いえ、嘘が書いてあるということはないのですが、面白くないんですね。


 最近読んだ創作論で面白かったのは、本文ではないのですがコメント返信に作者様がこんなこと書いた創作論です。(原文ママではありません)


「むかし漫画家を本気で目指していた俺に言わせれば、『ワンピース』はクソ」


 いやー、笑いました。思わずレビュー書いちゃうそうになりました。



 余談ですが、『ワンピース』の作者・尾田栄一郎さんは、デビュー前、マンガをいくら描いても描いても担当編集者からオーケーがもらえなかったそうです。もう諦めようと思ったとき担当編集者にこう言われたそうです。


「これほど努力して報われなかった人間を、私は見たことがない。だから諦めるな」と。


 ううむ、自分は果たしてどれほど努力しているかと考えてしまいます。





 話を創作論にもどします。


 カクヨムには良質な創作論が多く、初心者の方なんかにはかなり参考になるのではないでしょうか。ですが、その書き手の方を見てみると、案外小説は書いていません。


 元プロの作家さんとか校正の方とか、あるいは投稿を繰り返してきたけれど諦めた人とか。

 実力のある書き手の方が、創作論を書くことはあまりありません。また著名な小説家の先生も、創作論なんか書いていないですね。


 つまり、創作論を書く人というのは、もう反対側の立ち位置にいるということだと思います。つまり、評論家に片足突っ込んでいると思うんです。


 高校球児はは、野球選手と野球解説者、どちらを目指しているのでしょう。野球解説者は、野球選手を引退した人がやったりします。野球選手は歳を取れば現役でいるのが難しく、指導者になったり解説者になったりします。

 が、小説はどうでしょう?

 年齢関係ないですね。引退なんて、ないです。

 ……ただ。

 小説を書かずに、創作論を展開するようになってしまったら。実践をやめて、理想を語るようになってしまったら、それは実質引退なのではないでしょうか。


 小説の書き方には原理原則があります。

 それを教えてあげると──それが、極めて初歩的なことだとしても──初心者の方はすごく喜んでくれるし、結果周囲から賞賛を得られます。だからといって、そっちに行ってしまったら、一度楽な道に逃げてしまったら、その人は書き手ではなく評論家になり、もう小説は書けなくなるのではないでしょうか。



 ぼくは創作論を読むのは好きですが、創作論を書くのは嫌いです。

 もちろん他の方と創作について語り合うことはします。コメントもするし、ノートに書き込みもします。創作談義にも参加しました。

 が、自分自身の創作論を人に教授することは避けています。聞かれれば答えますが、ぼく自身は教祖とか流祖とかにはなりたくありません。ずっと信者とか弟子でいたい。


 あなたは、書き手でいたいですか? それとも評論家になりたい?



 たしかに、面白いプロット、魅力的なキャラクター、いずれも作り方の方法はあります。ただしそれは、人に教えられて出来るようになるものではありません。子供に「逆上がり」を教えるのすら難しいのに、小説の書き方、とくに面白い小説の書き方なんて、どうやって教えるというのでしょう。そんなん、こっちが聞きたいわ。

 つーか、そもそも自分がどれほどの面白さの小説を書いているのかも五里霧中です。自分自身が「きっと面白い」、「これ、面白いといいなぁ」というものを追い求めています。

 それは著名なプロの作家でも同じなのではないでしょうか。



 あ、でも、大沢在昌さんが素晴らしい創作論を書いているって聞いたことがあります。実はその一部はカクヨムでも読めます。



 ですが、ぼくは、書き手は「小説の書き方」みたいなものを語りだしたら、小説が書けなくなると考えています。でも、大沢在昌さんは、例外といっていいのではないでしょうか?



 大沢さんは、十代でデビューしました。ハードボイルド小説界に彗星のごとく現れた天才少年だったみたいです。


 が、それっきり売れませんでした。何年か後、当時流行っていたユーモア・ミステリーに手を出します。赤川次郎さんが書くような作品です。


 『アルバイト・アイ』シリーズ。ぼくはそのうちの『女王陛下のアルバイト・アイ』をバイト先の課長からもらって読みました。


 面白かったです。こんな作家がいるのかと驚きました。が、大沢さんは有名にはなりませんでした。彼が人気作家になるのはさらに何年もあとです。



 そのころにはぼくはバイト先を変えて書店で働いていました。その職場の主任がある朝、新刊のノベルスを朝礼で紹介しました。


『新宿鮫』

 作者は大沢在昌さんでした。


 主任は多くは語りませんでした。たったひとこと、こう言いました。


「たぶん、今年の直木賞を取ると思います」


 事実、その年の直木賞は『新宿鮫』でした。もちろん拝読いたしましたが、なるほど納得の作品でした。



 大沢在昌さんは有名な作家ですが、ぽっと出てきてなんとなく売れた人ではありません。一度深いところまで沈み、そこから諦めずに書き続け、天高く駆け上がった書き手です。そんな人の書いた創作論をその辺の、素人に毛が生えた程度の小説書きと一緒してはいけませんね。

 ということで、「例外」とさせていただきました。


 ちなみに、『アルバイト・アイ』はその後、ちゃんと続編が書かれてます。

 で、大沢さんはこの『アルバイト・アイ』について、ある後悔をされているのですが、それはまた別の物語。いつか別の機会にお話しすることにします。




 さて、話を創作論にもどしましょう。


 カクヨムで小説を書き始めた方々の中には、小説の書き方が分からなくて、藁をもすがる思いで創作論を読んでいる人もいらっしゃると思います。


 創作論好きなぼくの意見ですが、創作論を読んでも面白い小説は書けるようにならないと思います。残念なお知らせですが。


 それはちょうど、武術の形稽古をしても人間はまったく強くならないのと似ています。


 形稽古をしたり、創作論を読んだりして、人間が強くなったり、面白い小説を書けるようになれば、それは素晴らしいことですね。

 でも、現実にはそんな夢みたいな話、ありません。


 が、ぼくは『剣術講座』のなかで、「形を形としてやらない。その奥のことを学ぶべし」というようなことを解説しました。


 創作論も同じかもしれないですね。

 創作論を創作論として読んでいては、面白い小説は書けないかもしれません。


 が、その前に、剣術の形はいのしえの剣豪たちが作った代物ですが、創作論は、果たして「面白い小説」を書くことが出来る文豪が書いたものなのでしょうか……。


 なんか、作家になるのを諦めた素人とか、出版経験がある素人とかが書いたものではないでしょうか? 彼らはそもそも小説家を目指していたはずです。ならばなぜ、書き手をやめてしまったのでしょうか。


 ぼくは評論家にはなりたくありません。最期まで書き手でいたいです。小説を書くことにゴールはないのだから、いつまでも続けたいです。





 あ、でも、ぼくも素人の書き手として、あちこちに顔出して、創作については語りますからね。ただし、極力「教授」にはならないように注意はします、はい。




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