第17話 思い込みは禁物だよね

恭彰は沖合に見える親子連れを双眼鏡で見ながら、晃太と瑞樹に告げた。



「あの二人は流されているみたいだ。お父さんがこちらの方を見ているし、子供にしがみつかれてアップアップしている。」



肉眼で見ると二つの頭が一塊になって水面上に見える程度の距離だ。



天気が良くて強い日差しが照り付ける中、水平線の辺りに少しだけ雲が見えているが、沖合からのうねりはかなり高い。



晃太はポロシャツとズボンを脱ぎ捨てて水着姿になり、レスキューチューブをひっつかんで走り始めた。



「晃太、全速力であそこまで行ってチューブで子供の浮力を確保して。岸まで引っ張ってくるのは私がやる。」



瑞樹の声が背後から追いかけるように響く。



瑞樹は状況から見て一刻も早く現場にたどり着かないと二人とも沈んでしまうと判断したのだ。



晃太は波打ち際までの数十メートルの砂浜を走り切ると、浅瀬をバシャバシャと波を蹴散らすように走る。



ランスイムランはこのためのトレーニングだ。



泳げるだけの深さになると、晃太は頭から飛び込んでクロールで泳ぎ始めた。



レスキューチューブには3メートルほどのひもが付いていて、その端はストラップになっている。



晃太はストラップをたすき掛けにし、チューブを後ろに引く形で泳ぐ。



晃太はかなり沖合まで一気に泳いでから顔を上げて周囲を見回した。海で泳ぐ時は、水中に目印がないのでまっすぐ進んでいるかわからないので、目的の方向に進んでいるか時々確認する必要がある。



晃太が救助しようとしている親子までは、20メートルほどの距離になっていた。



晃太はさりげなくストラップにつながるひもを引っ張って、レスキューチューブの所在を確かめた。



レスキューチューブはエソライトフォームという柔軟な素材でできた幅14センチメートル、長さ1メートルの棒状の物体だ。合成樹脂の一種であるエソライトフォームのなかに空気の粒がたくさん含まれているので人一人を救助するのに十分な浮力を持っている。



救助に使うのは浮き輪でもよさそうなものだが、浮き輪の形状ではライフセーバーが泳いで要救助者に向かう時に、水の抵抗が大きいことからレスキューチューブが考案されたのだ。



晃太はさらに近づいてから慎重に様子を伺う。




要救助者に意識がある場合は、パニックを起こしてしがみつかれる危険がある。うかつに近づかないのが鉄則だ。



しかし、今回は子供が既にお父さんにしがみついていて、危険はなさそうだ。晃太は女の子の背後からゆっくりと近づく。



女の子を抱えて苦しそうに浮いているお父さんは、晃太と目が合い何か言おうとするが、言葉にするほど余裕がないようだ。



晃太は水中に潜ると、女の子の脇の下にレスキューチューブを差し込んだ。

そして、お腹の前を通して引っ張り出したチューブの端を反対側の端とフックで止める。



丁度浮き輪のように胴体を取り巻く形だ。



「もう大丈夫だよ。お父さんから手を離してごらん。」



晃太は水面に顔を出すと穏やかな雰囲気で声をかける。



女の子は晃太の声が聞こえているはずだが、それでもしがみついた手を離さなかった。



晃太は再び近寄ると女の子が父親にしがみついている手を掴んで引きはがすと、後ろから羽交い絞めにしたような体制で後ろ向きに進んで引き離す。



女の子は一瞬暴れたが、自分が浮力のある浮き輪のようなものに支えられていることに気が付いておとなしくなった。



「岸まで連れて行くから、楽にして浮かんでいたらいいんだよ。」



晃太が声をかけると女の子は晃太を振り向いた。



晃太は立ち泳ぎ気味に後ろ向きに遠ざかっている。女の子は晃太を不安そうな表情で見ながら、何度も頷いた。



俺は今、助けに来た人として信頼されているんだと、晃太は少し感動しながら思った。



ライフセーバーとしてアルバイトしているのだから当たり前の話だが、ライフセーバーに限らず実際に他人のために働いたりしたことはあまりなかったからだ。



その時、晃太の肩にポンと手が置かれた。



「晃太お疲れ様。あとは私が引っ張っていくから、お父さんを離岸流から出るように誘導してあげて。」



瑞樹だった。



言葉の合間に、ゼへゼヘと息を切らせているが晃太からストラップを受け取ろうと手を伸ばしている。



晃太が女の子にセットしたレスキューチューブにつながるストラップを渡すと、瑞樹はストラップをたすき掛けにして背泳で泳ぎだした。



やがて、ストラップとひもが伸び切ると瑞樹はくるりと裏返しになり泳法をクロールに変えてさらにピッチを上げる。



晃太たちはまだ離岸流の中にいる。まずは離岸流から離れなければいけない。



瑞樹は海岸に向けて泳がず、海岸と平行な方向に泳いでいく。



瑞樹がレスキューチューブを使って女の子を引っ張っていくのを見送った晃太は、残されたお父さんに声をかけた。



「もう大丈夫ですよ。ここは沖に向かって流れがあるので一旦そこから離れます。僕についてきてください。」



女の子のお父さんらしき男性に声をかけて誘導しようとした晃太は、愕然とした。



30代くらいに見える男性は、浮いているのがやっとといった様子でもがいていたからだ。



瑞樹と晃太は、無意識のうちに大人は泳げるものとして子供を救助すること優先して考えていたのだが、大人でも泳ぎが不得手な人はいる。



子供を助けるために必死で浮かんでいた彼は力尽きようとしていた。

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