26 メテオラの魔法ノート その一 (それと、副校長、メイプル先生の回想)
それからゆっくりと入り口のドアが開いて、そこから一人の背の高い女性の魔法使いが教室の中に入ってきた。その魔法使いは床まで届きそうな黒いローブを着ていて、頭には先っぽに星のアクセサリーのくっついた黒いとんがり帽子をかぶっていた。手には背丈と同じ長さのある魔法の杖、そして胸のところには金色に輝く不思議なペンダントを下げていた。メテオラはそのペンダントに見覚えがあった。それはマグお姉ちゃんが毎日必ず身につけているペンダントと同じものだった。
その金のペンダントは、魔法の森に存在する数ある魔法具の中でも最重要のクラスに分類される魔法具であり、同時に魔法学校の教師のみに与えられるというその人の身分を証明するような特殊な道具だったからだ。実際に金のペンダントは特別な施設の通行証や利用許可証の代わりとして用いられたりしている。それを首から下げているということはつまり、この背の高い女性の魔法使いがメテオラたちがこれから一年間お世話になるこの特別教室星組の担任の先生であるということだった。
背の高い女性の魔法使いは三人の魔法学校の先生として教壇に到着した。すると教室の空気がぴりっと引き締まる音がした。メテオラたちは姿勢を正したまま、自分たちの真正面にいる先生に目を向けて真面目な顔で沈黙した。
先生は教壇の前に立つと、顔を隠すようにして深くかぶっていた大きなとんがり帽子を取って、メテオラたちに自分の顔を見せた。
その先生の顔を見て、メテオラはとても驚いた。
アネットは緊張しているだけのようだが、ニコラスはメテオラと同じようにとても驚いていた。
なぜなら、その先生はマグお姉ちゃんだったからだ。
マグがこれから自分たちの担任として、魔法学校特別教室星組で授業を行うということをメテオラはまったく知らされていなかった。
マグお姉ちゃんは驚いているメテオラとニコラスを見て、なんだかとても満足そうな顔をした。
メテオラの魔法ノート その一
魔法学校の入学の儀式について
魔法学校に入学するときに、その生徒になる子供の魔法使いの手のひらを見て、その子にきちんと潜在魔法力があるかどうかを確認する儀式。
アスファロット、及び炎の厄災を生み出してしまったことの教訓として、新たしい魔法の森で生まれた独自の儀式。
そのあとで、『君は魔法使いになりたいか?』と先生が生徒に問いかけ、生徒が『なりたい』と答えれば、魔法学校の入学の儀式は成立し、その生徒は晴れて、正式に魔法学校の生徒になることができる。
魔法使いの魔法について
魔法使いの魔法とは空を飛ぶこと、であるが、そのほかに固有魔法とか、特殊魔法という名前で呼ばれる、個人的な才能やその人の性格、特徴を示すような特殊な魔法を使用することができる魔法使いが一定数存在する。
その魔法の力は基本的にその魔法使いの瞳に宿る。
魔法学校の副校長 メイプル先生の回想
それは、メテオラが魔法学校に入学したばかりのころのお話。
メテオラは金色のペンダントを見たあとで、そっと背の高いメイプル先生の顔を見た。(メイプル先生は銀縁のメガネをかけた髪が短くて胸の大きな若い女性の魔法使いの先生で、マグお姉ちゃんと同い年の先生だった)するとメイプル先生もメテオラを見ていたようで、二人の目は空中でばっちりと合ってしまった。すると、メテオラは大きなメイプル先生の『大きな瞳』の中に、まるで吸い込まれるような不思議な感覚を味わった。(それはメイプル先生の持っている固有魔法、魔眼の力なのかもしれない)メイプル先生はとても大きな瞳をしていた。それがすごく印象的で、初めてのあいさつのときに、メイプル先生の視線がメテオラから隣のニコラスに移ったあとも、メテオラの中には先生の大きな瞳が確かなイメージを持って残っていた)
「さ、メテオラくん。次はあなたの番よ」メイプル先生は優しい声でそう言った。
メイプル先生は魔法学校の新入生一人一人をその杖の後ろに乗せて、魔法学校の周りの空をぐるっと一周、一緒に飛んでお話をする、という特別授業の最中だった。その最後の生徒がメテオラだった。
「よろしくお願いします」メテオラはそう返事をして、メイプル先生の杖の後ろにまたがった。「しっかりと私の腰に捕まってくださいね」とメイプル先生がメテオラに言った。メテオラは「はい」と返事をして、言われた通りにメイプル先生の腰にぎゅっとしがみついた。
するとすぐにメテオラの視界がゆっくりと上昇していった。浮遊している。メテオラは今、空にゆっくりと浮かんでいるのだ。それなのに全然怖くない。むしろすごく安心する。まるでマグお姉ちゃんの杖の後ろに乗っているみたいだとメテオラは思った。メイプル先生の体はとても柔らかくて、それにすごくいい匂いがした。下を見ると小さくなったマグお姉ちゃんとホロ先生と、それからニコラスを含む数人のメテオラと同級生の今年の魔法学校の新入生たちが、メテオラとメイプル先生に大きく手を振っていた。メテオラは二人に手を振り返したかったけどメイプルの腰から手を離すことができなかったので、それは諦めることにした。
空はもう全部が赤い色に染まりきっていた。夕焼けの色。それに黒光りする石造りの学校。それはまるで学校というよりは、古い巨大な塔みたいだった。そのてっぺん付近には、時計塔とその中にある大きな音で時刻を告げてくれる大きな青銅の鐘の形を見ることもできた。ほかにも幾つかの建物の屋根が見える。それに空を飛んで下校する生徒の姿もちらほら見えた。二人はその生徒たちよりも、もう少しだけ高い場所を飛んでいる。
「怖くありませんか?」とメイプル先生が言った。
「いいえ。怖くありません」とメテオラは答える。
すると緩やかに杖が旋回を始めた。メテオラは落っこちないようにメイプル先生の背中にさっきよりもぴったりと張り付いた。メイプル先生の背中はとてもあったかい。マグお姉ちゃんの背中と似ているようで少し違う。どうして少しだけ違うんだろう? マグお姉ちゃんとメイプル先生の違いはなんだろう? そんなことをメテオラは空の中で疑問に思った。
メテオラがマグお姉ちゃんとソマリお兄ちゃん以外の魔法使いの背中にくっついて、空を飛ぶことは今日が初めてのことだった。
「メテオラくん、マグ先生のことは好きですか?」しばらく飛び続けたところでメイプル先生がメテオラに質問した。
メテオラとマグお姉ちゃんの関係は魔法の森の中でも、みんなが知っている、とても有名な話だった。そのせいでメテオラはマグお姉ちゃんのことを誰かに聞かれるたびにいつもは恥ずかしくてなんとなく、その答えをごまかしてしまっていた。でも今はなぜか素直に「はい。好きです」と自分の気持ちを正直に口にすることができた。それができたことがメテオラはすごく嬉しかった。
「マグ先生のこと、信じていますか?」メイプル先生は質問を続ける。
「はい。信じています」メテオラはそう答える。するとメイプル先生は「そうですか」と一人で納得したように言った。
「ねえ、メテオラくん。私のことはどうですか? メテオラくんは、私のことは好きですか?」次にメイプル先生はそんな質問をメテオラにした。メテオラはメイプル先生の質問に「はい。メイプル先生のことも好きです」と正直に答えた。
「なら、メテオラくんは私とマグ先生なら、どっちの方が好きですか?」そう質問されてメテオラは少し困ってしまった。「どっちって……、どっちも好きです」とメテオラは言った。するとその答えが気に入らなかったのか、「むー」とメイプル先生は不満そうに口を尖らせて黙り込んでしまった。それでメテオラは本当に困ってしまった。
どうすればいいのだろう? 誰かに相談したいけど、今は空を飛んでいて、ここにはメテオラとメイプル先生しかいない。だから自分でなんとかするしかないんだけど、どうしていいのかわからない。そうやってメテオラが、おろおろとしていると、しばらくしてメイプル先生の体がふるふると震えだした。どうしたんだろう? と思ってメイプル先生の顔を覗き込んで見てみると、銀縁のメガネの奥のメイプル先生の瞳は笑っていた。どうやらメイプル先生は頑張って笑いをこらえているようだった。
「……先生?」とメテオラが言った。
「……ふふ、ごめんなさい。冗談、冗談ですよ。メテオラくんがどれくらいマグ先生のことを大切に思っているか知りたくて、少し意地悪してしまいました。本当にごめんなさいね」笑いながらメイプル先生はそう言った。その言葉を聞いてメテオラは心のそこからほっとした。とりあえずメイプル先生が笑ってくれたからだ。もしメイプル先生が泣いていたらどうしようかとメテオラは本気で心配していた。
「メテオラくん、怒った?」メイプル先生が言った。
「いえ、怒ってないです」とメテオラは答えた。
ちょうどこのときメテオラたちは学校の裏庭の上を飛んでいた。だいたい半周くらい学校の周りを回ってきて校庭から学校の反対側まで飛んで移動したことになる。メイプル先生とメテオラの二人だけの空のお散歩はもう半分終わってしまったことになる。それを確認してメテオラは少し寂しい気持ちになった。
「意地悪をしてしまったお詫びってわけじゃないんだけど、メテオラくんに一ついいことを教えてあげます」とメイプル先生は言った。「いいことって、なんですか?」メテオラがそう聞くとメイプル先生は一度咳払いをした。
「あなたの魔法の癖、のようなものよ」
「魔法の、癖?」
魔法の話が出たことでメテオラは急に真剣な表情になってメイプル先生に目を向けた。メイプル先生はメテオラの変化を感じ取ってふふっと小さく笑った。
「メテオラくん。私がさっき、あなたに話したことを覚えている?」
「覚えてます。僕は飛ぼうと強く思いすぎているってメイプル先生に言われました。空を飛ぶためには、もっと体の力を抜かなくてはいけないって」
メイプル先生は入学式のあとで、メテオラたち魔法学校の新入生に飛行術を初めて指導してくれたとき、メテオラにアドバイスをしてくれていた。その内容を簡単に要約すると、メテオラは空を飛ぼうとして、体に力が入りすぎている、毎日を頑張りすぎている、周囲の視線を意識しすぎている、といった内容だった。だけどそのアドバイスをもらったあとも結局、メテオラは空を飛ぶことはできないままだった。
「そうね。よく覚えていました。では、これからもう少し詳しい話をメテオラくんにします。よく聞いてくださいね」メイプル先生の言葉にメテオラは「はい」と真剣な口調で答えた。
「メテオラくんがうまく空を飛べない理由は、一言で言うとあなたのその身に秘めている魔力があまりに強すぎるからだと私は考えています。まだ初日なのであくまで憶測ですが、メテオラくんの『潜在魔法力』は、少なく見積もっても常人の二倍か三倍、もしかしたら最大で十倍くらいはあるはずです。これはとてもすごい数字です。潜在魔法力とは魔法の授業や訓練では絶対に増やすことができない数値です。その魔法使いの持つ可能性の器そのものと言える値です。たとえば魔法の才能という意味ではこの学校には天才が何人かいますがその天才たちでも潜在魔法力を増やすことはできません。たとえば、あのマグ先生だったとしても、それは不可能なことです。ここまではいいですか?」
「はい。大丈夫です」メテオラは自信を持って答える。魔法の実技はともかく、魔法書の暗記や筆記はメテオラの得意中の得意分野だった。メテオラは空が飛べない代わりに人一倍勉強をした。魔法書もたくさん読んだ。だからメイプル先生の言っている言葉の意味をメテオラはほとんど全部知っていて理解することに苦労はしなかった。
「よろしい。では、説明を続けますね。メテオラくんは生まれつき、あまりに大きな器を持って生まれてきてしまったために通常の魔法使いの成長よりもその成熟に若干時間がかかる傾向があるように思えます。だからメテオラくんはほかの同い年の子供たちと比べて少しだけ魔法の習得に時間がかかるはずです。これは空を飛ぶことだけではなくて、魔法力を使う魔法全般の技能に言える話です。メテオラくんは私の言っていることに身に覚えはありますか?」メイプル先生の問いかけに「あります」とメテオラは答える。
そう答えてからメテオラは心の中でメイプル先生は本当にすごい先生なのだと感心していた。メイプル先生が今、メテオラに言ってる話とほとんど同じ内容の話をメテオラはマグお姉ちゃんやソマリお兄ちゃんからも言われたことがあった。メテオラの魔法の癖をメイプル先生はたった一日で、いやほんの一瞬で、見抜いて理解してしまったのだ。すごいとしか言いようがないとメテオラは思った。
「結論から言うと、メテオラくんが空を上手に跳べるようになる方法は……、残念なことにありません。でもそれはメテオラくんのせいではなくて私の力不足のせいです。私にはメテオラくんに適切な指導をする知恵と力がないのです。だからメテオラくんが空をうまく飛ぶようになる方法を私は思いつくことができません。もちろん全力で授業は行います。でも確信が持てないのです。それは私にとっても初めての経験です。私は少し落ち込んでいます。……メテオラくん、頼りない先生で本当にごめんなさい」とメイプル先生は言った。
「……いえ、メイプル先生が謝る必要はないです」とメテオラは言った。
「メテオラくん。あなたは私などでは名前も姿も認識することのできない、とても大きな存在から、根元の海から、とても大きな贈り物を授けてもらったのです。あなたの意志とは関係なくても、あなたはそれを受け取ってこの世界に生まれてきたのです。現在のあなたの苦労はその代価だと言えるでしょう。だからこれはどうしようもないことなのです。あなたは将来必ず歴史に名を残すような偉大な魔法使いになるでしょう。その代わりあなたは人よりも二倍か三倍の、……もしかしたら十倍近くの悲しい思いや苦労をすると思います。それもあなたの力が成熟する前の未熟な子供時代にそれらは偏って訪れてくるはずです。それを試練としてあなたはこれから、おそらくは一人で乗り越えなくてはならないのです。……そのことをしっかりと覚えておいてくださいね」
「はい。わかりました」とメテオラは言った。
メテオラがそう答えたときが、二人の空のお散歩がちょうど終わったときだった。二人の真下には小さくマグお姉ちゃんとホロ先生の姿が見えた。メイプルはゆっくりと地上に向かって下降していった。その間、メテオラはメイプルの語った言葉をしっかりと自分の胸に焼き付けながら、地上で大きく手を振っているマグお姉ちゃんとホロ先生と、それからニコラスと数人の魔法学校の同級生のみんなに自分も笑顔で大きく手を振り返した。
こうしてメテオラとメイプル先生の空のお散歩はおしまいになった。
地上に降りたときに、今日は本当に素晴らしい一日だったとメテオラは心のそこから思っていた。メテオラは「今日はありがとうございました」とメイプル先生にお礼を言った。するとメイプル先生は少し悲しい顔をしながら「どういたしまして」とメテオラに言った。
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