6 転校生

6-1 転校初日

 俺がこの学校に転校して来たのは、フーリに行く一週間前のことだった。




 私立翠ヶ丘高等学校。


 森や林や畑など、緑が目立つド田舎にあり、小中高とエスカレーター式。小中学校は駅の近くに、高校だけは駅からかなり離れた小高い山の裾野にあった。


 どこの学校にもある鉄製の柵を備えた正門。その向こうには左右対称の庭とまっすぐ伸びる舗装された道があり、数年前に改築したという真新しいコンクリート製の校舎の中央、その正面玄関に続いていた。横に長い三階建ての建物二つが平行に並び、まるで四角を描くように、端と端を渡り廊下で繋いでいる。囲われた真ん中が中庭で、裏門の方に校庭がある。正門から見て、校舎の右側に部活用のテニスコートなどがあり、その奥に体育館とプールがある。


 総生徒数は五百人に余裕で届かない程で、各学年に五クラスずつ、三十人前後で構成されている。


 割り当てられた俺のクラスは二年B組。

 正門に近い方の校舎の二階、西階段(正面から見て左)から二番目に近い教室だ。


 担任である佐藤先生の声を合図に、前方のドアを開けて中に入った。

 瞬時に集まるクラスメイト達の視線。ところどころで驚く声が上がる。


 だが、そんなものには慣れている。


 俺はまったく気にせず、無表情のままスタスタ歩み、教壇に上がった。先生の立つ教卓の横で立ち止まり、クラスメイト達の方を向く。

 俺の目を見て、再び驚く声が上がった。


 何の変哲もない一般的なクラスだと思ったが、意外にも一人だけ、金髪の男がいた。

 不良かどうかはわからないが、見た感じは外国人。恐らくハーフなのだろう。

 珍しいかもしれないが、俺には全く関係無い。



 誰がどう見ても、俺の方が"おかしい"からだ。

 空色の髪と、濃い青色の目を持つ、俺の方が。



 先生に促され、いつも通りの自己紹介をする。


「俺は華月京かづききょう。先に言っておくが、この髪と目の色は地だ。その証拠に――」


 堂々と名乗り、懐に入れてある"いつものやつ"を、右手でバッと取り出した。

 生まれた時から八歳頃までの、一年ごとの俺の写真である。故に、全部で九枚。もちろん写真写りは髪と目の色がわかりやすい、最良のものを選別してある。


 俺は写真をトランプのように広げ持ち、クラスメイト達にしっかり見えるようにした。


「生後からこうだった」


 淡々と、そう告げる。


 小学校までは天然色だと言っても信じてもらえず、中学からは『染めたんだろ』と決め付けられ、挙句に髪色やら目の色が気に入らないからと、いちいち絡んでくる奴らも現れた。説明するのも相手をするのも面倒になり、高校からはこの写真を持ち歩くようにした。


 以来、自己紹介という個人的にかなり煩わしい定番行事のたびに、同じようにやってきた。とりあえずこれで、本当に地の色なのかという聞き飽きた質問をされることはないだろう。今まで通り、自由時間になった途端に囲まれるとは思うが。


 そして、学校公認だということを佐藤先生が付け加えた。

 この先生は良い人だ。爽やか系の若い男性で、多分スポーツマンタイプ。


 俺を見て、最初はとても驚いていたが、説明したらすぐに納得して親切に対応してくれた。明るい笑顔で『よろしく』と言って、普通の生徒に接するみたいに、この学校がどんな感じか説明してくれた。


 他の先生達も、驚きはしたが証拠を見せつつ説明したら、ちゃんとわかってくれた。

 親父が言った通り、いいところだと思った。


 今までは証拠を見せても捏造だとか、そんなの知るかと認めてもらえず、生徒どころか先生達からも化け物を見る目で見られた。基本的には遠巻きにされ、関わってくるのは不良か陰険で低能ないじめっ子集団だけ。


 ……まぁ、そいつらはたまたま近くに転がっていた硬式野球ボールを片手で握り潰して、これ以上俺に関わるなら容赦しない、と軽く脅しただけで何もやってこなくなったが。


 何回か、いっそ黒に染めてカラーコンタクトを入れようかと考えたけど、それは俺の親が止めた。俺のせいではないのだから、堂々としていなさい――と言って。


 実際俺も、それをやったら負けたような気がして嫌だったから、言われた通り開き直って、普通に学校生活を過ごしてきた。大体は教室の隅でぼけっとしていただけだけど。


 問題が起きたのは一月前。高二になった直後のことだ。

 久しぶりに上級生の不良と他校のお仲間二十人にケンカを売られた。通算二回目。


 学校の帰り道、人気の少ない路地で待ち伏せされて、生意気だとかなんだその髪だとか、定番すぎる脅し文句を散々言われた。興味が無くて無反応だったのが余計に気に入らなかったらしく、すぐに各自鉄パイプや角棒なんかを手にして襲い掛かってきた。とりあえずぼっこぼこにしたかったらしい。


 でも俺は持ち前の反射神経で全て避けて、そしたら仲間同士で自滅していった。最後に残ったのはリーダーらしいちゃらい男で、怒り狂いながら突進してきたから、ひょいっと避けたら電柱に当たった。それで気を失った。


 その後、近所の人から通報を受けた警官達が来て、一応逃げずに事情聴取を受けた。一部始終を見ていた人がいたから俺は無実だと信じてくれたけど、この状況で無傷なのはさすがにおかしいとは言われた。学校側も信じてはくれたけど、体裁を気にして停学にされた。


 俺は別に、微塵も気にしていなかったんだが、優男である親父の気遣いで転校することになった。逃げるようで嫌だと言ったら、自分の仕事の都合で田舎に引っ越すことになっただけだよ、と返された。いいところだから、と付け足して。



 ――とまぁ、転校して来た経緯はさておき。


 クラスメイトは三十一人。席順はクジで決めたらしくバラバラで、横に六人縦に六列。俺が来るまでは六列目には一人だけで、廊下側最後尾にいたらしい。


 でも今は、窓際最後尾が俺の席になり、その隣に移動させられている。


 理由は、人の良い佐藤先生が『転校生だし窓際がいいんじゃないか』と考え、さらに『転校生だし隣に誰もいないのも可哀想だ』と思ったからだと。


 グッジョブ先生。その席サイコーです。

 ……まぁ、隣はどーでもいいけどな。どうせ関わらないだろうし。


 因みに、移動したのは金髪の人で、昨日机を運び入れる時にも手伝ってもらったらしい。その際に移動してくれないかと頼んで、彼は二つ返事で了承したそうだ。かなり大人しいけど、常に学年主席の優秀な生徒だから、わからないことがあれば聞くといい。もちろん俺にも遠慮なく聞いてくれ、という話のついでに聞かされた。職員室からここまで来る間に。


 とりあえず、自己紹介を終えた俺は自分の席につき、一応隣の金髪君に、よろしく、と言った。金髪君は抑揚の無い声で、あぁ、と答えた。かなり大人しい、と先生が言っていた理由がわかった。


 今日は俺のこと以外は何もないと先生が告げて、そして朝のホームルームは終わった。


 先生が教室から出て行く前に、予想通り、クラスメイト達が俺の周りを囲った。多分ほぼ全員。隣の金髪君は見えなくなった。


「どこから来たの?」

「この時期に転校って珍しくねぇ?」

「その髪と目の色すごいね! マンガみたい!」

「突然変異ってやつ? にしてもマジすげぇな」


 などなど。転校生に必ずする質問と、俺にとっては聞き慣れたことを口々に言う。


 ただ、どうせ嘘だろ、有り得ない、捏造だろ、と言い出す奴はいなかった。

 気味が悪い、気色悪い、格好つけてる厨二病、コスプレ野郎、と罵る奴もいなかった。


 今までなら必ず言われることだったから、俺は少し驚いた。




 一時間目の授業開始を告げるチャイムが鳴ると、クラスメイト達は、これからよろしく、仲良くしよう、と言って席に戻った。隣の金髪君はいなくなっていた。


 不思議に思っていると、前の席の男が振り向き『宮間』と名乗ってから、


「そいつ、体弱いらしくてさ、たまに保健室で授業受けてるんだ」


 と小声で教えてくれた。

 俺は礼を言って、壮年の女の先生が教室に入ってきた。一時間目は数学だった。


 教科書はすでに揃っているから問題ない。隣に見せてもらう、という展開にもならない。というか、そもそも隣いないし。ほんと良かった、準備がいい母親で。




 ただ、一つだけ誤算があった――


 内容レベルたっか! やべぇ全然わからん……ここ進学校だったっけ……?


 因みに俺はバカな方だ。並レベルの学校で平均点を超えるのが難しく感じるくらい。

 まぁ、さすがに赤点は回避してたけど……親に怒られるし。

 つっても、英語だけは得意なんだがな。ケアレスミス以外で点を落としたことは無いぜ。だから俺は、将来は通訳とかになればいいんじゃないかと思う。



 **



 結局、隣の金髪君は放課後になっても帰ってこなかった。

 なんでも、あの後すぐに早退したらしい。昨夜から風邪ぎみで、一応学校には来たが、朝のホームルーム中に容体が悪くなったんだと。

 実際にいるんだな、病弱な奴。


 自慢にはならんが、俺は今まで風邪の一つも引いたことが無い。だから、そういうのはフィクション世界での話だと思っていた。


 あ。そうそう。

 午前中の授業合間に、宮間がいろいろ教えてくれたんだが……


 隣の金髪君、名前は"しきょうかなた"で、漢字を"矢鏡奏為"と書くらしい。

 すっげーキラッキラッネーム。初めて身近で見たよ。ネットではいろいろ見たけど。


 それと、金髪君はこの学校で一番イケメンらしく、五人くらいだがファンクラブもあることも知った。


 恋愛なんて興味の欠片も無いので、ぶっちゃけどうでもいいんだが……宮間は愚痴が言いたかったのだろう。三白眼だから目付きは悪いし、ほぼ喋らないくらい寡黙で、常に無表情で無愛想のくせに、と話しついでにぼやいていた。


 俺はこの時、宮間は親切で良い奴だなー、と思いつつ、てきとーに相槌を打っていたのだが……いや、実際良い奴だったんだが……俺的には困る性格をしていた。


 宮間はなかなかひょうきんな奴で、時折冗談を言ってはクラスメイト達を笑わせていた。授業中でもお構いなし。先生もきつく咎めたりはせず、一緒に笑っていた。クラスのムードメーカーというやつだな。世話焼きでもあり、昼休みには(やや強引だったが)俺のためにと校舎内を案内してくれた。


 トイレの場所もわからなかったから、非常に有り難いんだけど……

 宮間、声デカいしテンション高いし騒がしいからすっげー目立つ目立つ。


 おかげでこの十数分だけで俺の容姿は全校生徒に知れ渡り、休み時間や放課後になると教室の外には見物人の山が出来た。


 俺は自分の席で静かに頭を抱え、宮間は呑気に『おー、すげー華月。一気に有名人だな』と他人事のようにケラケラ笑っている。


 いや……うん……感謝してるよ、宮間。

 お前のおかげで、校舎内で迷う事は無いだろうよ。

 けどな宮間。俺は心底目立ちたくなかったぜ……


 目立って良かったことなんて一度も無い。余計な火種を起こすだけだ。


 俺はちらっと見物人達を見た。


 全学年が入り混じり、全員が物珍しそうに俺を見てくる。『うわーすごーい』だの『ほんとに地毛?』だの『マジで目青いんだ』だの『ちょっとー見えないんだけどー』だの、率直な感想や好きなことを言って、わらわらわらわらしている。


 部活がある生徒はすでに活動を始めていて、遠くの方からその声と音も聞こえてくるのだが……こっちのざわめきの方がでかくてほぼ聞こえない。


 というか、この学校はあれか? 帰宅部の奴のが多いのか?


 佐藤先生が『華月が困るだろうから』と、教室内に入らないように、かつ、写真撮りたいならちゃんと許可取れよ、と言ってくれたから良かったが……もしそうでなければ、今頃あの大人数に囲まれて、パッシャパッシャと撮られていたな……


 佐藤先生の人望に感謝。マジ感謝。


 だから今、俺の近くにいるのは前の席の宮間と、その右隣の佐野(男)だけである。ほとんどのクラスメイトは部活に行ったり帰宅したりで、教室内に残っているのは俺と二人を除いて十人程度。その内何人かの女子生徒が俺のとこに来て、写真撮らせて、と頼んできたが、さすがにそれは断った。どうせ隠し撮りされるだろうから意味無いけど。


 因みに、佐野のことは宮間から紹介された。二人は友人同士らしい。佐野は宮間と違ってのんびりタイプの人間で、双方ともどこにでもいそうな普通の外見をしている。もちろん、日本人らしい黒目黒髪。


「これじゃ帰れないね、華月君」


 何気ない顔で佐野が言った。


「……慣れてるよ……」


 俺は頬杖をつき、遠い目をして力無く呟いた。

 宮間が気楽に言う。


「なんもない田舎だからな。華月のような珍しいもんに、興味持つなって方が無理なんだよ。

 ――ま、いいじゃん。しばらくアイドルにでもなった気でいれば。冷めない熱は無いって」

「そうだな……」


 これは俺の経験談だが、確かに半月も経てば、この人混みは消えてなくなる。だがな、その代わりに絡んでくる輩といじめっ子集団がやってくるんだよ。


 今のところ、良い人達ばかりで大丈夫そうだが……言い切れないからな。可能性は考えておいた方がいいだろう。


 とりあえず、今は様子見だけど……問題は体育なんだよなー……

 運動部に勧誘されるか、人間じゃないと罵られるか。さてどっちかな……


 俺は小さくため息を吐き、席を立ちつつ、


「いつまでもこうしてられないし……俺、帰るよ」

「え? あそこ通るの?」


 少し驚いたように佐野が言った。


「なんか、そのまま集団下校になりそうだな」


 楽しそうに宮間が言った。

 俺は机の右側に掛けてあるカバンを手に取り、帰り支度をする。


「それも慣れてるから。……またな」


 俺は後方のドアに歩み寄り、なんか『来た来た!』って感じではしゃぎだす生徒らに、帰りたいからどいてほしい、とやんわり伝えて道を開けてもらい、右手の廊下を進んで中央階段を下りた。後から質問攻め御一行がついてくるが、俺はてきとーに答えながら階段正面の生徒用玄関で革靴に履き替え、ついでに御一行も履き替えて、校舎を出た。


 そうすりゃ、こっちのもんだ。


 俺は肩越しに振り向き、


「じゃ、俺急ぐんで」


 と言い捨て、正門に向かって全力で走った。


 背後では『え?』『はやっ!』『うそだろ』『すっげー』などという声が上がり、それらはすぐに遠ざかっていく。何人かは慌てて追いかけて来たが、俺が校門を抜ける頃には諦めた。追いかけたところで追いつけないし、それどころか距離が開いていく一方だからだ。


 ふふふ……

 俺の足の速さを甘く見るなよ。本気で走ればオリンピックも夢じゃないんだぜ。

 ……まぁ、体育で本気を出したことは無いけど。記録に残ったら後々面倒だし。


 ――というわけで、余裕で一行を振り切った俺は、正門から出た後左の道をまっすぐ進み、太い川に掛けられた橋に差しかかってから足を止めた。一度振り返り、一応誰もついて来てない事を確認する。小さくなった校舎を見やり、ため息一つ吐いてから歩き出した。


 因みに、この程度なら息も乱れないし、汗も出ない。身体能力は高いんだ、俺。


 川は左に見える山から右に流れている。俺は橋を渡った後、川の流れに沿って右に曲がり、ほぼ直線に伸びる土手を歩いた。この土手は途中からかなり緩やかに右カーブしていて、しばらく行くと左に住宅地が見える。その中に俺の、引っ越したばかりの家が建っている。


 誰もいない静かな道を歩み、その日は何事も無く家に帰った。

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