5-3 俺の自慢は
「――どうしたの?」
シンが言った。小さく微笑み、左横に目を向ける。
青い空の六割を占めるいくつかの厚い雲。その一つが太陽に被さり、湖全体とその周りに影をつくった。
「わざわざ
数歩ばかり距離を開けた場所に、リンが立っていた。
リンは薄く笑い、通路を見やる。
「……少し、気になることがある」
シンの質問には答えず、まるで独り言のように呟いた。
シンはしばし何かを考えて、真面目な口調で尋ねる。
「それは、エルナのことに関係してるの?」
「……さぁな」
視線を戻したリンはにやりと笑い、からかうようにそう言った。
どう考えてもケンカを売っているようにしか見えない態度だが、リンのことをよく知るシンは、そこに含まれている真意をすぐに理解した。
そしてそれは、リンにしては非常に珍しいことだった。
シンは嬉しそうにふふっと笑い、
「話す気が無いのなら、仕方ないね。
――リンの言う通り、そろそろ本体の方が忙しくなるし、私ではあまり助けにならないかもしれない」
言って、真剣な眼差しでリンを見返した。
「……だから、よろしくね。華月達のこと」
「…………」
リンはすぐには答えなかった。再び通路を眺め見る。
しばらく経って、
「……あいつらは面白いことをするからな。死なない程度には見ててやる」
静かに言い捨て、転移を使ってどこかに去って行った。
それと同時に、厚い雲の端から太陽が現れ、辺りに光を降り注ぐ。
「……ありがとう、リン」
消えた彼女に言って、湖の方に向き直る。
目を伏せて、くすっと笑った。
「ほんと、素直じゃないんだから。
でも、気にしてるってことは――少しはエルナを、友人だと認めていたのかな……」
**
別れ道は勘で選び、何度も曲がり角を曲がった。
目的の場所がわからないため、しらみつぶしに調べようかと思っていたが、部屋どころかドアすらも一向に見当たらない。
あるのは長すぎる廊下と壁にかかった燭台だけ。
今はもう、どこが城の入り口なのかもわからない。
……言っておくが、それ、俺が方向音痴だからじゃないぞ。
おかしいんだよ。この城の構造が。物理的に。
試しに一回やってみたんだが、曲がり角を全部右に曲がってみたんだ。廊下の直線の長さはほとんど同じだから、三回曲がったら同じ廊下にぶつかるはずなんだ。
でもな、三回曲がっても四回曲がっても、同じ廊下には出なかったんだよ。矢鏡に白いチョークを出してもらって、壁に矢印書きながら進んだから間違いない。
「まるで迷路だな……」
赤い肌の悪鬼を斬り倒し、ため息混じりで呟く俺。
刀を収めつつ振り返ると、すぐそこに矢鏡がいて、その背後では悪鬼二体が氷漬けになっていた。すぐにそれらは砕け散る。
幸いなのは、こうやってたまに悪鬼が現れることだ。
でなければ、矢鏡と二人、面白くもない無言タイムを味あわなければならなかった。
そんなのはご免だ。前にも言った気がするが、俺は暇なのは嫌いなんだよ。
「まるで、というか……完全に、だな」
淡々と矢鏡が言った。
俺は軽く肩をすくめ、
「まぁ、そうだけど……
つーかさぁ、おかしすぎだろこの城。外から見た時、こんなに広くなかったぞ?
それに、廊下の構造だってめちゃくちゃだし」
「それは仕方ない。魔界だと大体そうだから」
こともなげに矢鏡は応えた。
刀を消した俺は、訝しげに尋ねた。
「大体そうって……どういうこと?」
「ほとんどの魔族と悪魔は、自分の拠点を作るんだけど」
「それは聞いた」
「他の奴らに見つかりにくいように、外装は小さめに作って、内部を異空間と繋げる奴が多いんだよ」
「……お、おぅ」
「だから、外からの見た目と中の構造は違うものがほとんどで、異空間では物理的な常識とかが通用しないから――」
「えーっと……要するに、細かい事は気にすんなってことだな?」
説明が長くなりそうだったから、やや強引に遮って言う俺に、矢鏡は小さく頷いた。
因みに、他の妖魔に見つかりにくくしてるのは、勝手に荒らされたくないからだって。妖魔同士でつぶし合うことも珍しくないようで、そーゆーのを避けるためでもあるらしい。
俺達は再び歩きだし、
「通路の謎はわかったけどさー……
でも、未だに部屋の一つも見つからないのはおかしすぎねぇ?」
「普通はな。けど、この通路自体が罠だから」
何気ない一言に、ぴたっと足を止める俺。ぎぎぎ、とゆっくり首を回し、ジト目を向けて、
「……いつからかかってた?」
「フィルと別れて、最初の曲がり角を曲がった後」
「……言えよ、そういうことは」
「言っても意味がないだろ? 罠だとわかっていても、行くのが君だ」
自信満々で言いきる矢鏡。当たってるからくっそ腹立つー。
つーか、俺だけ情報筒抜けって理不尽だろ。
俺はようやく矢鏡の表情差分がちょっとわかってきた程度なのに。
……まぁ、俺には記憶が無いからな。仕方ないか。
俺はため息ひとつ吐き、完全に呆れた口調で、
「とにかく、罠にはもうかかってたわけだ。迷うだけで、仕掛けもなんもないけど。
……ほんと、変態の考えることはわかんねぇな。何がしたいんだ?」
「同感」
矢鏡が短く同意し――
ズガンッ!
直後、俺の背後で大きな音がした。
弾かれたように振り向くと、正面に真っ直ぐ伸びていたはずの廊下が、突然下りてきた壁によって塞がれていた。
俺は驚いた。
……いや、壁が下りてきたことじゃなく。壁まで割と距離があることに。
「ふつーさぁ……ああいうのって目の前で下ろさない?
いかにも嫌がらせっぽくさぁ……」
「バカなんだろ」
ジト目を向けてぼやく俺と、あっさり言い放つ矢鏡。
そして、
『なんだとぉっ!?』
久しく聞いた変態の声は、上の方から響いてきた。
しかし、見上げて見ても、ロウソクの炎でわずかに照らされた暗い天井があるだけで、変態の姿はどこにもない。恐らく、なんらかの術を使い、声だけをここに届けているのだろう。
『ふっ! この俺の策を見破れないとは愚か者どもめ!』
「迷路のことか?」
つまらなそうに俺が聞く。
変態はなんだか嬉しそうな声で、
『それは単なる時間稼ぎさ。お前の魂を手に入れるためのね』
俺はすぐさま矢鏡に目を向け、
「だってよ矢鏡」
『そいつじゃない! お前だお前! エルナもどき!』
即座に否定してくる変態。必死なところが笑えてくる。
つーか、エルナもどきって……
俺はなんとなく上に向かって、
「だーかーらー、俺は華月京だって。アホだなー」
『いいんだよ! どうせすぐに殺すんだ!』
「やってみろ変態。返り討ちにしてやる」
フッと鼻で笑ってそう言うと、変態は一瞬黙り、
『……まずはアレの相手でもしてもらおうか。それで死ななかったら、俺が直々に殺してあげるよ』
静かに言って、パチンッとフィンガースナップ。
ズンッという重たい音を鳴らして、正面を塞ぐ壁際に巨大な球体が降ってきた。
廊下にギリギリ収まっているそれは、高さが俺の身長の二倍くらいあり、鉄製らしき黒い表面が、ロウソクの炎を反射して鈍く光っている。
怪訝に思って見つめていると、
ガコンッ
「うわっ」
いきなり床が矢鏡の方に傾いた。ちょっとびっくり。
およそ四十五度の急な斜面。反射的に下の方を見ると、まるで滑り台のように真っ直ぐ伸びる暗い廊下と、俺の後ろをじっと見つめる矢鏡が――って、ちょっと待て。
慌てて鉄球に視線を戻す。
「げっ」
案の定、こっちに向かってゆっくり動き出す鉄球。
床が下がったのと同時に、天井も鉄球に合うように下がったため、廊下は正方形になりました。逃げ場なし。
顔が引きつるのがよくわかる。
『言っておくが、その球も壁も、エルナのために特別に用意したものでね。いくら君でも壊せないよ』
うっわー、マジでー?
『では、また後で会おう』
それきり変態の声は聞こえなくなり、代わりに鉄球は徐々に速度を上げて――
「なぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
思わず叫びながら全速力で逃げた。俺の左横に並ぶ矢鏡。
ごろごろと騒がしい音を立て、俺達の後ろから迫る鉄球。絶賛加速中。
このままではすぐに追いつかれる。早く何とかしなければ!
だがしかし、俺が鉄球を止めることは出来ないだろう。
変態の言葉が正しければ、だけど……さすがにこの状況で、壊せるかどうか試してみる気にはならない。
更に残念なことに、廊下の先を見ても、鉄球をやり過ごせる空間や、ゴールらしい場所はない。ひたすら廊下が続いていた。
ただ、途中から徐々に傾斜は緩くなっていっているようだ。薄暗くて見えにくいけど、それだけはわかった。
俺は矢鏡に顔を向け、少し大きめの声量で、
「矢鏡! とりあえず高速移動で距離取らない!?」
「そうしたいけど、この先に何があるのかわからないから、止めた方がいいと思うよ」
途切れ途切れで答える矢鏡。こんな時でもすまし顔。
この間にも、鉄球は少しずつ近付いている。
俺は焦っていろいろ考えて、そして一つ閃く。
「あ! そうだ! お前の術で凍らせて止めればいいんじゃん!」
もっと早く気付けば良かった。そしたら逃げる必要なかったのに。
だが、このナイスな案は、
「無理」
のひとことで却下された。
「え! なんで!?」
「それが……」
矢鏡は困ったように眉をひそめ、一度ちらっと背後を見やり、
「さっきからやってるんだが……なぜか発動しないんだ」
「は!? 嘘だろ!?」
「本当」
再び視線を戻して言った。
鉄球の速度はかなり上がっていて、もうすぐ後ろにまで迫っていた。
ようやく斜面が緩やかになってきて、少しだけ走りやすくなる。
すでに全力で走っているから、これ以上のスピードは出せそうにないが。
いくら体力に自信がある俺でも、さすがに息が切れてくる。矢鏡はまだ余裕そうだ。
くそー……こいつのが体力あるのか……じゃなくて!
今はこの状況を抜け出すのが先だ! 余計なことは後回し!
っていうか今、ひじょーにまずいこと聞いたぞ!
「じゃあ俺も術使えないってことか!?」
青い顔して叫ぶ俺に、しかし矢鏡は小さく首を振り、
「いや、肉体強化は使えるから、君は平気だよ。攻撃系の術が使えないだけだ」
「なんだ、そうか……」
ほっと胸を撫で下ろす。
完全に使えなくなったらヤバすぎるからな。俺の死が確定してしまう。
まぁ、今も死にそうなくらいヤバい状況だけど。
とりあえず、先を確認しようと正面を見て――
「あ! 矢鏡! 出口!」
「え?」
まだ数百メートルは先だが、廊下がぷっつり途切れていた。その先にも床は続いているようだが、壁と天井は無くなっている。
「多分部屋だ! 部屋に繋がってる!」
どのくらい大きい部屋かはわからんがな。ここより暗いし。
けどこれで、潰されずに済みそうだ!
出口までは残りわずか! 最後(でもないけど)の力を振り絞り!
部屋に入った瞬間、斜め右に向かって飛び込んだ。
矢鏡は反対側へ同じように飛び込み、俺達の間を鉄球が通り過ぎて行った。
受け身を取って立ち上がった後、奥の方で『ドゴン!』と盛大な音が鳴る。
鉄板を打ち付けたみたいな部屋の壁に、勢いよく衝突していた。跳ね返るかと思ったが、そのまま壁にめり込んだ。
それだけの速度があったってことだよなー……逃げきれてよかった。ほんとに。
だが、安心している暇はないらしい。
次いで、ガコン、というでかい音と共に、入ってきた入り口が閉められた。
わずかな明かりも消え失せて、辺りには闇が広がった。
「華月、大丈夫?」
矢鏡が淡々と聞いてくる。
俺は刀を手元に現わしつつ、声のした方を見やり、
「あぁ。大分疲れたけどな」
「そうか……」
恐らく、気配と声を頼りに矢鏡が歩み寄ってくる。
乱れた息を整えるため、長くゆっくり息を吐き、それから言った。
「――アレってのは、鉄球のことじゃないみたいだな」
「……え?」
不思議そうに呟く矢鏡。
俺はにやりと笑い、
「気付いてないのか?」
鉄球の左、音も無く上にスライドしたでかいシャッターを見た。
その下から、だだっ広い部屋の中に歩み出てきたのは、高さ十メートル以上の超巨大な獣。見た目は狼が一番近い。しかも双頭だ。
「敵、来たぜ」
言っただろ? 目がかなり良いのが自慢だってな。
**
「矢鏡、まだ術使えないんだろ?」
「あ、あぁ……」
俺は戸惑ったような顔の矢鏡を見やり、
「じゃ、あと七歩下がって待ってろ。俺がやるから」
壁際にいるよう指示し、こっちを睨む獣と対峙する。
刀を抜いて、鞘を消し、巻き込まないために矢鏡から離れる。
部屋の広さはちょっと小さめの校庭くらい。高さは獣の三倍ってとこかな。
入口から見て右の壁寄りに俺は立ち、獣は俺を視界に捉えたまま、中央へ向かう。
多分嗅覚で探り当てているのだろうが、矢鏡には反応しないのはなんでだろうな。
……まぁ、今はその方が戦いやすいから、どうでもいいけど。
矢鏡がアレに気付かなかったのは、かなり上手く気配を消しているからだろう。さすが獣と言うべきか。
もし俺が、矢鏡と同じく夜目のきかない奴だったなら、それだけで勝敗は決まったのに。
「残念だったな、狼もどき」
さすがに色はわからないが、敵の姿ははっきり見える。
獣はのっそり移動し、俺との距離をじわじわ詰める。警戒してるというよりは、間合いを測ってるといった感じだな。
俺は右手だけで刀を握り、切っ先を軽く下げた。
獣の動きがピタッと止まる。お、来るかな?
次の瞬間、思った通り獣の姿が掻き消えた。一旦俺の右横で着地。瞬時に方向を変え、俺に向かって左前足を振り下ろした。鋭いツメが宙を裂く。
俺はそれを、反転しながら大きく退って避けた。その後すぐに跳び上がり、柄を両手で握り直して右上に振りかぶって、右肩を斜めに切り裂く。斬り落とすつもりだったが――思ったより皮膚が硬く、刃は骨にすら届かなかった。
宙に浮いた状態の俺を、右の頭が睨みつけてくる。犬歯をむき出しにして、口を開き――
ガキンッ
噛まれる前に、獣の肩を踏み台にして勢いよく後方に飛ぶ。宙で一回転して、部屋の中央あたりに着地した。その際、動きやすいように刀から左手を離した。
んー……
これは、普通の斬り方じゃダメだな。となると――
一度ちらっと矢鏡を見やる。
矢鏡は俺の方を向いてはいるが、その目が俺と合うことはない。
……これなら、多分ばれないな……
考えている内に獣が跳び掛かってきて、左前足の踏みつけや、右前足横殴り、左右の頭による噛みつき攻撃を軽やかに躱した。
距離を取るため、一瞬で最初の場所――右の壁寄りに戻り、手首を返して刀の切っ先を背後に向け、下に下ろす。
獣がまっすぐ俺を見返す。
俺はにやりと笑って、小声で言った。
「必殺」
獣が動き出すより早く、技を仕掛けた。
エルナ直伝。
初式、一の
剣に込める通力を引き伸ばし、斬る瞬間だけ固める。
そして、獣の背後で足を止めた。
これが――
「
言った直後、獣の全身は、二つの頭の間から真っ二つに割れた。綺麗に裂かれた切り口から血と内臓を撒き散らしながら、左右の床に倒れ込む。
俺はそれを肩越しに見た。軽く血を払い、鞘を出して刀を収める。
それと同時に、部屋が急に明るくなった。どうやら電気がついたらしい。
さすがにちょっと眩しくて、反射的に手で光を遮った。
少し経って、慣れてきたころに振り向くと、消えかけているダークグレー色の獣の死体(うわー、超グロい)と、壁際でじっと見つめてくる矢鏡が視界に入った。
「……暗かったのと、術が使えなかったのは、こいつのせいだったみたいだな」
矢鏡が言った。
俺のやることにはもう驚かないみたいだ。……ま、いいけど。
「原因わかってよかったな。解決もしたし。
――さ、行こうぜ。次がラストだ」
ちょっとだけかっこつけて言って、俺達は鉄球の右横のドアから部屋を出た。
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