緊急事態、避難路へ

 小気味いい破裂音が連続する。

 何が起こったのか。四季が状況を把握したのは顔に水飛沫がかかったあとだ。

 水面と同様となった廊下を滑り、三國みくにが後退してくる。その顔に余裕はない。


「……草江くさえさん。手助けお願い。ちょっと片手間じゃ無理だわ、あいつ」

「わかった」


 自分に絡めていた赤の反物をほどき、怜が三國とともに新手の怪異の前へと立ち塞がる。

 新手……『委員長』とやらに動じた様子はない。三國の水弾を苦もなく弾き飛ばした実力者。


 怜の横顔から余裕のなさを感じ取り、四季はそっとエルに念を送る。


<え、エル! 手助けしてあげて……>

<お前の脱出が最優先だ>

<でも!>

<そこの人間どもが持ちこたえている今が絶好の機会。そも、お前がこの場を離れれば無理に守りに入る必要もない。わかっているのか?>


 返答に詰まる。こちらを見るエルの目はどこまでも冷静だ。彼女の描いた魔法陣はまだ光を保っている。

 結局のところ、自分は足手まといでしかない。わかっている。まず自分がこの場を逃れれば……


「逃がさないよーっ!」


 背後から水飛沫とともに飛び出してくる声。振り向くと、サメジマがこちらに摑みかかるところだった。

 咄嗟のことに身が竦む。力強く肩を掴まれた、そのとき。


「……ギャッ!?」


 悲鳴を上げたのはサメジマのほう。四季を引きずりこもうとしたその手から力が失せ、床に落下。痛々しい音が響く。

 四季は慌てて床を踏みしめ、エルの元に駆け寄る。サメジマがなにを見て、結界の維持すらできなくなるまで弱体化したか。原因はわかっていた。

 美術室の扉。わずかに開いた隙間から、青い眼光が漏れている。


「あー……ありがとう、真名子まなこ。助かった」

「お、お礼はいいよ。仕留めきれなかったし……もうちょっとこっちを見ててくれれば一発だったんだけど」


 申し訳なさそうに出てきたのは一つ目の怪異。爛々と青く輝いていた巨大な瞳が、墨を落としたかのように光を失う。

 四季はこっそりと息をつく。真名子は大人しい怪異ではあるものの、強力な『邪視』の力を持つ。サメジマを無力化したのもそれだ。

 仮にも怪異がその眼光を視界の端にわずか留めただけでもこの有様である。物理的な被害こそもたらさないものの、真名子もまた怒らせていい怪異ではない。


 その危険を察知していたのか、目を覆っていたエルが念話を送ってくる。


<ひとまずそこの魚人女は無力化したな? よくやってくれた、一つ目の>

<真名子です、真名子。いい加減名前で呼んでください>

<……マナコ。礼を言う。今のうちにシキとともに帰還を。そこの人間どもは我が回収していく>


 一つ目の怪異が頷き、四季の手を取って魔法陣に踏み込もうとした。陣から漏れる緋色の輝きが一層強くなる。

 四季としても抗うつもりはない。情けない話ではあるが、まず自分が逃げなければみんな逃げられないのだから。


 しかし、その瞬間。

 

「……うっ」


 どこか遠くに、ぞっとするような気配が生じたことを。彼女かれは察知した。

 同じくそれを感じ取ったのだろう。真名子が立ち竦み、あらぬ方向へと目を見開いている。

 四季は迷うことなくその手を抜け出し、走った。怜たちの方へ。


「……おいッ!」

「ごめん、エル! すぐ戻る!」


 飛んできた怒声に叫びかえしてから、四季は釈明するように念を送った。


<わかるでしょ、エル。今のは感じたよね!? 誰か一人でも残ってると危ないんだよ!>


 帰ってきたのは、漣のような声なき動揺だけだ。四季は念話を打ち切り、駆ける。

 行く手では『委員長』と怜が激しく打ち合っているところ。怜の両袖口から伸びた反物や、サメジマの異界で足場として使っていた白の反物が、自らの意思を持って怪異を打ち据え、あるいは縛りつけようとはためいている。

 それだけではない。三國がその間隙を縫うように水弾を飛ばし、あるいは斬り込んでいた。


 そのことごとくを『委員長』は防いでいる。


 冗談みたいな実力差だ。戦いなんて知らない四季でも、傍目から見るだけでわかる。

 相手が攻撃に移らないうちに、こちらが先んじる必要があった。だってそうでもないと

 ヒリヒリとしたような視線を感じる。あの気配がどんどんと近づいてきているのを感じる。覚えのないほどの霊気の塊がやってくるのを嫌でも理解してしまう。


 嫌でもわかる。『それ』がここに来た時点でおしまいだ。

 だから四季は、後で文句が飛んでくることも重々承知の上で、怜の襟を掴んで後方に投げ飛ばした。


「……ちょっと!?」

<謝罪も説明も後でするから! 早く避難して!>


 三國の非難の声に念話で返し、前を見据える。

 当然のごとく、そこには『委員長』がいる。退魔師たちと互角以上に戦っていた怪異が。

 フードの闇の奥から、怪訝な視線と声が届く。


「……察知したのか?」


 その言葉だけでわかる。先ほどの戦い方は時間稼ぎだ。今もなお近づいてくる『それ』のための足止め。

 相手は答えを待たなかった。ローブの裾がはためき、四季に向け


『ち、チクショーッ!』

「おうっ!?」


 なんらかの攻撃を仕掛けるその前。四季の谷間から飛び出てきた黒い小さな影に顔を直撃され、動揺の声を上げる。

 目を丸くした四季は、慌てて影を引っ掴むと全速力でエルの魔法陣の元へと向かった。


<ナナさん! ありがとうね、助かった!>

『テメェこのバカ! 本当に感謝しろよな! オレがいなかったらどうなってたか……ほ、本気で怖かったんだぞ!』


 手の中で涙目になって訴えてくるのは、フィギュアサイズの女子高生。頭の上から生えるのは黒い狐の耳。四季に憑いてきて今まで姿も見せなかった怪異、ナナだ。

 ともあれ、魔法陣の側に残るのはもはやエル一人。片足を突っ込んでいた彼女は力強く四季を抱きとめ、そのまま陣の中へと入り込む。

 瞬間、光が視界を埋め尽くした。

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ミイラレ! 〜魅入られ人のにちじょう〜 鹿奈 しかな @shikana

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