境界線上、大ピンチ

 話してみると気の抜ける相手だとはいえ、状況はいまだ危機的だ。

 魔女の怪異……マーガレット? サメジマ? 名前はともかくとして、相手の力は至って明快。床や天井を『境界』と見做し、水中と同じ性質の結界と繋げているのだろう。四季しきはそう理解する。

 理解したからといって、自分の力だけでどうにもできないのがもどかしい。


「てかさー、そっちの長耳女よりアタシのほうがかわいくない? えーと……アンタ、名前なんだっけ?」

「に、日条にちじょう 四季」

「名前もかわいいじゃーん! …………アレ? でもどっかで聞いたことある。んー、会うの初めてだよね? アレー?」


 天井から逆さまに上半身を突き出したままで、鮫の怪人は首を傾げる。先ほどまで戦っていた怪異エル退魔師れんとみくにたちの前だというのに隙だらけだ。

 恐るるに足らないと侮っているのか、あるいはさっきまで戦っていたことを忘れているのか。いずれにせよ、その隙を見逃すわけにはいかない。

 エルが突剣の先を床に当てる。波紋とは別に微かな光が走り、円を描いた。なんらかの魔法陣か。


「…………あっ、思い出した! カーちゃんが探してたやつじゃんアンタ!」


 ぽん、と手を叩いたマーガレットは勢いよく天井へと沈み込む。

 退魔師が構える横で、四季は慌てて前へと跳んだ。


小夜子さよこさん! 悪いけど支えて!>

<了解です!>


 床に沈みかけた足が、一瞬遅れてふわりと浮かぶ。

 側から見れば情けないことになってるんだろうな、と四季は少し恥ずかしく思った。小夜子に背中から抱えられている状況だ。

 が、判断自体は正解だったらしい。四季がいた背後の壁から、勢いよく両手が突き出されて宙を掻く。


「あっれー!? なんで逃げてんの!?」


 ついで顔を出したマーガレットが驚いたように目を見開く。その横面に怜の回し蹴りが迫る。

 しかし怪人はハエでも払うようにこれを弾き、再び壁の中へと沈む。

 異界に消えた怪異の気配が動く。そのとき、三國から念話。


<日条ちゃん、その調子だと相手の位置つかめてるね? 次、どこ出てくる!?>

<……俺の真下! 小夜子さん、ちょっと横動いて!>

<アイアイサー!>


 弾んだ思考とともに、四季の身体が動かされる。彼女かれは見る。三國がどこからか取り出した扇子を閉じ、床に沈めている。

 数秒後!


「捕まえたァーッ! ってアレェーッ!?」


 弾丸のような勢いで飛び出してきたマーガレットが、信じられないといった様子で四季を見つめた。

 直後、横手から飛来してきた三日月状の水刃が怪異を吹き飛ばす!


「よーし、当たった。ありがと日条……さん! ナイスアシスト」

「ど、どういたしまして」


 生返事をしつつも、四季はマーガレットを見やる。直撃したにも関わらず、その霊気はほとんど揺らいでいない。

 反対側の壁に衝突した怪人はそのまま壁の中へと消え、数秒の後にやや離れた床から顔を出した。


「き……効いてねーし! あんな水鉄砲痛くねーし! バーカ!」

「小学生か。ここ高校よ? 悪態つくにしてももう少し気の利いたこと言ってみたら? まったく作り手の程度が知れるわね」

「う、うるせーし! アタシはいいけどカーちゃんバカにすんなよな! 殺すぞ!」


 ギャーギャーとひとしきり喚いてから、マーガレットは苛立たしげな様子で四季を見やる。

 なにか文句の一つでも言おうとしたのだろうか。口を開きかけた彼女はしかし、そのままぽかんと四季を……否、四季の背後を見つめた。


「アレ? さっちんじゃん。なにしてんのこんなとこで」

『………………はい?』


 思わぬ一言に、にゅっ、と小夜子が顔を出す。四季も思わず幽霊を見やった。


「小夜子さん? 知り合いだったの?」

『え、え、違います! 初めて会う怪異ひとですよ!』

「なんだよー、水臭いじゃんかよー。カーちゃん探してたよ? まったく、燕尾服だっけ? そんな露骨にアヤしいのに憑いていくから……」


 一転してフレンドリーに話しかけてきたマーガレットはしかし、不意に動きを止めた。

 しばしの沈黙の後、彼女は思い出したように手を叩く。


「あ、ちげーわ。カーちゃん、さっちんができてすぐ攫われたから探してたんだわ。え? なんでいんの?」

『し、知りませんッ! 変なこと言わないでくださいッ!』


 小夜子が慌てた様子で首を横に振る。横合いから睨む怜の目が途端に冷たくなったことも、彼女の混乱に拍車をかけているのだろう。

 が、四季にとってはそれよりも気になる言葉があった。燕尾服。つまり、シェイプシフター。あいつが自分の部屋に小夜子を連れてきたのは間違いない。だが、どこからとは言っていなかった。

 マーガレットが視線を四季に転じる。


「なにアンタ、燕尾服? ……じゃねーよなー。なんかちょっと似てる気はするけど、あいつと違って胡散臭くは見えねーしなー」

「……あいつと一緒にされるのはちょっと……」


 思わず心の声が漏れてしまった。幸い、声が小さかったおかげで鮫の怪人の耳には届いていないようだが。

 そのとき、脳裏にエルの思念が横入りしてくる。


<その馬鹿の相手はそれくらいでいいぞ、シキ。撤退準備ができた>

<わ、わかった。じゃあすぐそっちに>


 また思考の迷路にハマったのか、うんうん唸り始めたマーガレットを気づかせないよう四季は極力音を出さないように移動しようとした。

 そのときだ。


「四季ッ!」


 切迫した怜の声。直後、赤い布が腕に絡みつき、引き寄せられる。驚きの声を上げる暇もない。

 直後、視界の端で水飛沫が舞った。自分と入れ替わるように移動した三國が結界を張り……破られたのだ。

 エルの舌打ちが聞こえる。敵の新手。怜に抱きとめられて初めて思考が追いついた。


「……マーガレット・サメジマ。廊下で騒ぐな。『魔女』のやつからも教えられなかったか?」


 油断なく距離を取る三國の肩越しに、乱入者は静かな声をかける。そこでようやく現実に引き戻されたのだろう。マーガレットが目を丸くした。


「アレ? うー……」

「『委員長』だ。そう呼べ。『魔女』を通して再三注意したはずだぞ。廊下で騒ぐな、というのも含めてな」

「う……うっさいし! ちゃんと覚えてるもんアタシだって! それよりほら、こいつら! アタシらの縄張りに」

「見ればわかる」


 ムキになって主張しようとするマーガレットの言葉を一言で打ち切り、『委員長』と呼ばれた怪異は四季たちへと向き直った。

 フード付きのローブで全身を覆った、恐らくは人型。フードの奥の闇から、刺すような視線を感じ四季は身を硬ばらせる。


「……真夜中われらのじかんに校舎へ足を踏み入れるとは恐れ入る。そこまで非常識だったとはな」

「よく言う。ここはお前らの場所じゃないでしょ」


 四季を背後に隠し、怜が冷然と反論した。

 『委員長』のシルエットが僅かに動く。どうやら肩を竦めたらしい。


「そちらの認識はどうでもいい。なんにせよ、土足で踏み込んでおいてただで済むと思っていないだろうな」


 一歩、踏み出す。床の上に波紋が伝わり、空間全体を微動させた。

 どうやら困ったことに、こちらを見逃してくれる気はないらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます