異界→現世→異界、怪人登場

 異界から現世へ無理やりに戻るときに味わう感覚というのは、どうしても慣れない。

 『創り手』との会談が終わり、談笑すら始まる気配もあったというのに、突如として視界が滲み始めた。自分の目ではなく世界のほうがぼやけていくのだと気づいた直後、なんの警告もなく暗闇の中に放り出される。

 居心地の悪い浮遊感。でたらめな速度で振り回されているようなあの感覚。実に不愉快な一瞬ののち、四季しきはあやふやだった自分の輪郭がはっきりしてきたことを実感する。


「……もうちょっと穏便に戻せないの?」


 重たい体を起こしつつ、文句を零す。顔の前に垂れる銀の髪に胸の重みが、現世へ戻ってきたことを荒っぽく教えてくれた。

 目の前に降りてきた手だけの怪異が、申し訳なさそうに合掌した。


『本当にすまない。だがその、緊急事態のようでね、』


 その言葉を鋭い音が切り裂く。四季は思わずそちらを振り向いた。教室の扉の向こうから響いてきたのだと、容易に想像がつく。

 剣戟の音だ。顔が強張っていくのがわかる。

 周囲を見渡すと、頭を振りつつ起き上がる退魔師二人。それを遠巻きに眺める美術室の怪異たちに、おろおろした様子の真名子。


 四季の視線を受けた真名子が、慌てて近寄ってきた。


「あ、あのね四季しきちゃん大変なの! なんか『魔女』の直属の怪異っていうのがやってきて!」

「『魔女』……!? うん……ちょっと待って。エルは?」

「そ、そいつをやっつけに」


 四季は反射的に飛び起きていた。

 『魔女』の直属とやらがどれだけ強力な怪異かはわからない。エルだってそもそも相当に格の高い奴だ。簡単にやられることはないだろう。

 問題は、彼女がまだ争っているということだ。


 四季が青ざめる横で、三國みくにが眉間にしわを寄せ『創り手』を睨んでいる。


「ちょっと『創り手』さん? まさかさっきの会談は時間稼ぎだったってわけ?」

『妙な勘繰りはやめてくれたまえ。本当に不慮の来客だ……ええと、誰か! どの怪人が来てるか教えてくれないか?』

「その、サメジマさんです」


 おずおずとした様子で美術室の怪異の誰かが答える。『創り手』が小さく呻いた。


『よりによってか!? まずいな……まずいぞ』

「強いの?」

『あいつの創った怪異はおおよそ強力だ。が、問題はそれよりもだな……サメジマのやつは実に、その、派手に暴れるのが好きなんだ』


 質問を投げかけたれんが目を細め、三國を見やる。退魔師たちの顔は険しい。

 一拍遅れて、四季も彼女たちが緊迫感を強めた理由を理解した。夜間の学校は『魔女』の陣地、すなわち敵の陣地の真っ只中。そんな中で暴れれば、どうしたって増援がやってくる。

 怜が不意に四季を見た。


「……私たちは加勢してくる。四季はそこの一つ目娘と一緒にここで待ってて」

「俺も行く」


 四季は迷わず答える。怪異相手であれば、自分も手助けができるからだ。

 一瞬だけ面食らった怜は反論しようとし、三國に肩を叩かれて断念した。そもそも議論の時間さえおしいということか。


 扉へ駆けていく二人を追おうとした四季は、思い出したように『創り手』に向き直り一礼する。そして美術室の怪異たちの視線を背に受けながら、教室の外へと飛び出した。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 廊下へ踏み出すと同時、足元に違和感。


「おわぁっ!?」


 その違和感の原因を探る暇もない。四季は思わず悲鳴を上げていた。

 仕方ないだろ、と誰にともなく心の中で反論する。

 足どころか腰まで落ちかけた、そのとき。


「おっと、大丈夫? 日条にちじょうさん。ほら、捕まって」

 

 差し出された手に、四季はしゃにむにに縋りつく。

 手を差し伸べた相手……退魔師の三國は小さく苦笑し、呆れたように周囲を見渡した。


「しっかしまー、派手好きってこういう方向性? 私は別にいいんだけど……草江さん、そっちは平気?」

「問題無い。ちょっとびっくりしただけ」


 音もなく怜が滑り込んでくる。よく見ると、足元に白の反物が広げられていた。その上に乗っているらしい。

 視線で促されるままに上がり込み、四季はようやく一息つく。


「ありがとう、怜……けどこんなのどこに隠してたの?」

「いろいろあるんだよ。それはそれとして」


 不意に表情を厳しくした怜は、側の壁を軽く叩く。ごく自然に壁に波紋が広がった。ゆらめきは天井まで届き、果ては反対側の壁まで達する。

 四季は改めて状況を把握する。見た目は廊下のままだが、どうやら床だけでなくこの領域全体が異界として取り込まれているらしい。

 周囲に影はない。気配だけがおぼろげに感じ取れる。


「液状化……でいいのかな。こんなことする怪異、見当つく?」

「うーん、聞いたことないなぁ。『魔女』のお手製って話だし、オリジナルなのかも」

「……それより、エルは大丈夫?」


 油断なく警戒している退魔師たちに、四季はなんとか言葉を挟み込む。

 そもそも当のエルの姿さえないというのが訝しい。いったいどこに。訝しんだ直後、真横の壁から水しぶきがあがった。

 怜が四季の前に立ち、それをカバーするように三國が滑るようにして移動。怜とは違い、特別な道具を使っている様子は見られない。


 壁から顔を出した怪異は、大きく深呼吸してから退魔師たちを見た。赤い瞳、白い肌の上に走る黒い蔦のような紋様。


「……シキ。に、貴様らか。ええい、ここは壁か? 壁だな。しばし待て」


 口を歪めた妖精は、身をくねらせて壁を抜け出すと平然と着地した。床に小さな波紋が走る。

 四季はほっと小さく息を吐いた。どうやら最悪の事態にはなっていないらしい。周囲を警戒しながらも怜が言葉を投げかける。


「無事でなにより。で、怪異は?」

「仕留めきれていない。我としたことが不覚よ。ここまで手こずるとは思っていなかった」

「そもそもさ、どんなやつなの? サメジマとか言ったっけ?」


 やや不機嫌な様子でエルが答えようとしたその直後。廊下のど真ん中に、轟音とともに水柱が突き立った。

 目を丸くする一同の前、水柱の中を影が駆け登っていく。目で追うのもやっとの速度だ。それは天井に飛び込み、派手な水しぶきを立てた後、ぶくぶくと泡を立ててから顔を出す。


「ぷはーッ! あーッ! こんなとこに逃げてるしこの長耳女! ちょこまかうっとーしーんだけど!?」

「……その言葉。そっくりそのまま貴様に返す。というより追っていたのは私だバカめ!」


 天井から指差す新手の怪異に、エルが珍しく声を荒げた。よほどイラつかせられたんだな、と四季は同情する。基本的に彼女は外面を取り繕うタイプだ。

 さておき、魔女の部下。四季は改めて相手を観察し、眉をひそめた。あまり見たことのないタイプだ。

 一言で説明するなら半魚人。見た目は人間に近いが、青黒い鮫肌で覆われているようだ。口から覗く牙はほとんど三角形と言ってもいいほど鋭い。まあ、この辺りは理解出来る。


 しかし……天井から突き出した上半身。そのあふれんばかりの胸を覆うのがビキニだったり、金色の長髪ブロンドだったりと妙な要素がてんこもりになっているのはなぜなのか。


「……あー? なんかそっち増えてんじゃん? 卑怯じゃね? ……卑怯じゃないか。アタシのほうが強いし!」

「ねえ三國さん」

「知らない。私はああいう色物タイプの怪異は知らない」

「ごちゃごちゃうっせーしそこの退魔師二人! しかもなんかアタシをバカにしたね!? 雰囲気でわかるし! ……ん? んん?」


 怒鳴りつけた拍子に気づいたのだろう、半魚人の怪異が身を乗り出して四季を見た。

 黒目ばかりの瞳に四季はたじろぐ。相手の興味を完全にひいてしまったことだけは理解できた。ろくなことになるまい。


「うっわそこの子すっごいかわいいじゃん! ねー! アタシ、マーガレットっていうんだけどさー! そんなやつらほっといてちょっと一緒にひと泳ぎしなーい!?」

「……ねえエルさん。こいつなんなの?」

「私が聞きたい」


 三國とエルの会話が、ひどく疲れたように聞こえた。

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