遭遇、一寸先の闇

「…………なにこれ?」


 怪異の全貌を目の当たりにした怜がまずこぼしたのは、単純な疑問の呟きだった。

 明かりの乏しい中でもその姿は簡単に説明できる。全身真っ黒の人型だ。暗闇に慣れてきた目でもなおわかるほどの不自然な黒。背丈は自分と同じ程度か。顔に当たる部分には、大きな目が二つ。

 今のところ、敵意はない……ように見える。それでも警戒は解くわけにはいかない。ゆっくりと歩み寄ってくる怪異に、れんは拳を握り締める。


 と。


「お早いお着きで」


 人型の闇から声が響く。耳慣れた声が。

 目を丸くする怜の後ろで、四季が眠たげに反応した。


「んん……あがべ、さん。そのなか?」

「はい。ご足労いただき、感謝いたしますわ。日条にちじょうさん」


 不意に、怪異の胸のあたりに大輪の花が咲いた。

 違う。怜は自分の認識を改める。四季の言葉を念頭に置くならば、あの怪異の中にもう一人隠れていたのだろう。

 首から先を突き出した花の怪異、阿我部あがべ 百華ももかがどこか弾んだ声を上げる。


「『創り手』さまもたいそう楽しみにしていらっしゃいます。さ、こちらへ」

「こちらって……え、そいつの中?」

「はい。ああ、申し遅れました。彼女は闇子やみこと言います。私と同じ、『創り手』さまの作品です」

 

 黒い怪異がわずかに身じろぎする。どうやら向こうなりの挨拶らしい。

 思わずたじろぐ怜を見て、阿我部が不思議そうに花弁を揺らした。


「あの。どうぞこちらへ」

「その……ちょっと待って。なんで入る必要が?」

「『魔女』さまや他の七不思議の皆さまとの接触を避けるためです。美術室までそう遠くはありませんけれど……それでも用心に越したことはありませんので」

「ご、五分もかからないでしょ?」

「念のため、です。このあたりは我々の縄張りですけれど、魔女さまの配下が前触れもなく遊びにいらっしゃることもあるので」


 地味に役立ちそうな情報が返ってきた。とはいえ、それと決心がつくかは別の問題だ。

 正直な話、怜としては怪異の中に潜り込むのは遠慮したい。とても、遠慮したい。怖い……のではない。もちろん。敵意がないとはいえ、何が起こるかわからないからだ。決して。怖いからではない。

 逡巡しているその横を、ふらふらと小さな影が通り過ぎた。


「……って、四季!?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」


 半分眠っていると確実にわかる調子の返事。止める間もなかった。阿我部が差し出した手を、四季はなんのためらいもなく取る。

 そしてそのまま、闇子の中へと吸い込まれていった。


 血の気が引く。怜は床を蹴り、引きずりこまれる直前の四季の手首を掴む。

 ほっとしたのも束の間。彼女の視界はすぐに闇に覆われた。


 つんのめりかけた身体は、すぐに誰かに支えられる。わずかに青臭い植物の匂い。


「……ご、ごめんなさい。阿我部さん」

「いえ、お気になさらず」


 暗闇の中、ただ声だけが返ってくる。

 ややあってから背後にいくつもの気配。


「ひゃー、すっごいねこれ。中が結界になってるんだ?」

「一種の影人間シャドウピープルかと思っていたが、なるほど。斯様な工夫を加えてあるか」


 三國みくにとエルの声。どちらも興味津々といった様子。姿こそ見えないものの、声の聞こえ方からして近くにいるのだろう。


「……中は真っ暗なんですね。私の目でも見通せないです。なんか、こう……イラっとくるな……」


 ぼそぼそと不平を漏らしているのは真名子まなこか。視力を買われてメンバー入りした彼女である。プライドを傷つけられたと思っているのかもしれない。

 怜は慌てて阿我部から身を離した。誰も見ていないとはわかっていても恥ずかしいものがある。


 改めて周囲を観察。どこもかしこも闇の帳。すぐ近くにいるはずの百華の花さえ見つけられない。

 耳を澄ましてみれば、三國と四季の呼吸音がわずかに聞こえる。

 ……真っ先に飛び込んだ幼馴染が寝息を立てていることに気づき、怜は脱力しそうになった。


「四季ってば、立ったまま寝ないでよ……」

「ああ、ご心配なく。闇子が支えていますので」

「……支える?」

「この結界がそもそもあの子自身ですから。中に入っている以上、皆さんに触ろうと思えば触れますし、見ようと思えば……ほら」


 ぎょろん、と。

 怜の眼前に二つの目が開く。

 かろうじて悲鳴を堪える。が、手の方は反射的に動いてしまった。幸運にも(?)それは空を切る。目が笑みの形に歪んだ。


「ふぎゃーッ!?」


 真名子の悲鳴。振り向くと一箇所だけ目が大量に浮び出ている場所があった。あそこに彼女がいるのだろう。

 おそらくは、あの中にいる。


「……あがべ、さん。あれ、やめさせて」


 不機嫌そうな声が聞こえる。四季のものだ。


「まなこ、ああいうの、きらいだから」

「え? ……ああ、そういうものなのですね? ごめんなさい、わかりました。闇子!」


 呼びかけと同時、目の群れが搔き消える。残されたのは先ほどと同じ暗闇だけだ。

 ほっとしたようなため息の音。阿我部の声が申し訳なさそうに響く。


「すみません。その……闇子、たぶんあなたが気に入ったんだと思います。視線がお嫌いとは知らず」

「ちがう。めがたくさんあるのが、だめ」

「ば、バラさなくていいからッ! もう……」


 四季の訂正を真名子が慌てたようにかき消す。

 なるほど、と怜は納得していた。一つ目の怪異の一種には、笊のように『目が多い』ものを嫌うという伝承があったはず。彼女の苦手もそこから着ているのだろう。

 とはいえ、気に入ったから目で囲むという闇子の行動はよくわからない。固有の習性なのだろうか?


 頭をひねる怜の耳に、やや剣呑なエルの声が届く。


「ときに七不思議の使者よ。いつまで我らを闇の中に留めおくつもりだ? そちらの本拠までそう遠くはないと言っていたはずだが」

「ご心配なく。もう到着する頃合いです……ほら」


 阿我部の言葉が合図だったかのように、突如視界が晴れる。

 目に飛び込んできた明かりに怜は目を細め……周囲を囲む怪異の気配に、わずかに鳥肌を立てた。

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